長岡亮介のよもやま話394「昨今の国際情勢、国内情勢を黙って見ていて、結果として容認してはならないと思います」

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 今回はつい数日前に見たアメリカのテレビの放送で、バイデン・アメリカ現大統領とトランプ・前大統領との討論会というのですけれども、およそその名前にふさわしくない、罵り合いのような会、これが重要な政治の選択を決める出来事であると報道されていた中で、私自身は、アメリカが民主主義といってもこの程度かと残念に思ってしまったということであるのですが、その討論会の中で、がなりたてるトランプ前大統領に対し、静かに語るはずのバイデン現大統領が言う台詞が、十分説得力をきちっと持っているかどうかということについて考えると、私自身は少し残念なものがあると言わざるを得ませんでした。

 「自分がプーチンとゼレンスキーの間に入って戦争をやめさせるんだ」という訳のわからんことを発言するトランプ前大統領に対し、「多くの価値観を共有する国同士の連帯の中で、戦争に終止符を打たせる」ということを言うバイデン大統領。その価値観を共有する国々の中に、日本や韓国が名指しされて入っておりましたけれども、価値観というのが民主主義ということでありましたが、果たして日本や韓国が民主主義というのを最も重要な国是とするような国であると言って良いのかどうか。私自身は、非常に疑問に思うんですね。

 そもそもアメリカにしてからが、大統領という最も重要な職を選ぶときに、2人の候補者の罵り合いのようなものが討論会という名前でテレビ中継され、それが選挙結果に影響を与えるということ自身が、民主主義にあまりふさわしいと思えない。いかにも「大衆政治」と言うべきですね。民主主義の最も悪い例だと思います。日本や韓国がそういう民主主義の先進国家である。そういうふうに本当に考えている人は、日本や韓国にも少ないのではないでしょうか。韓国はと言えば、大統領が変わるたんびに前の大統領が訴追される。そういうことはある意味で韓国の民主主義が生きていることの証かもしれませんが、日本といえば、総理大臣はいろいろと変わり、本当にめまぐるしく変わっていくように変わっていく。あるいは、変わっていかないと言えばずっと変わらないでいた。そういう中にあって、本当に民主主義が実践されていたと考えている人はどれほどいるのでしょう。内閣府が圧倒的な権力を握り、行政に対して有無を言わさぬというより、行政は有って無いが如し。

私に言わせれば、今選挙がなされようとしていますが、最大の争点は、私は「行政をスリム化すること。」これだけ行政がなめられたならば、「行政の構成員の数、議員の数を減らすことによって、1人1人の発言権を大きなものにする」ことの方がよほど大切ではないかと思います。東京都の都知事選挙がなされようとしていますが、その選挙の前の状況一つとってみても、とてもこれは民主主義国家として理想的な姿であるとは到底思えない状況であると思うんです。

 ロシアとウクライナとの問題は、その根底にあるのはNATOのいわば「東進政策」、NATOが東側の国にどんどんどんどん侵入してくる。本来はベルリンの壁が崩壊したときに西側の政治家が「NATOはもうこれ以上一歩たりとも東側に前進することはない」とロシアに約束したものが、どんどんどんどんないがしろにされる。ロシアから見れば、自分のいわば味方がみるみるうちに少なくなって、自分の周りがNATOに囲まれる。そういう危機感にあったということは、多くの政治学者によって指摘されているところであり、これはアメリカにおいてもずっと指摘されてきたことであります。

 ですから、バイデンがNATOと言うと、それはある意味で正直でありますけれども、しかしながら、バイデンはそれを正直に言うことなく、日本とか韓国とかそれまで入れて、「民主主義を旗印に掲げる国々、価値観を共有する国々と連帯して」という挨拶をしたときに、この人は本当に国際政治について、リアリスティックな眼差しを持っているんだろうか、それとも単にアメリカ国民を甘い言葉で騙くらかせば良いと考えているだけの人間であるのか。それが問われていたんだ、と私は改めて思い、これでは到底話にならないと私自身は思いました。

 よく日本の総理大臣も「価値観を共有する国々」というような言い方、これをアメリカを真似して言っていますが、日本は一体どういう価値観でもって、一つにまとまっているというのでしょうか。つい先日沖縄戦の慰霊祭が行われましたけれども、そのときに日本国民のどれほど多くの人が、沖縄戦で沖縄に強いた犠牲の大きさ、それを本土決戦という馬鹿げた目標を掲げながら、沖縄を犠牲に巻き込んだということに対して、深い痛みを感じていたでしょうか。

 私は今日本という国が、価値観を共有するところか、本当に重要な価値でさえ、ほとんどの人が共有できなくなっている。そのくらい大衆化した無知な国民の寄り集まりとなっている。「何といっても、安心安全が大事です。」こんな馬鹿なセリフ、これが国民の大合唱になっている。そんな愚かな国の中で、昨日もニュースで、地価が日本国中で、特に地方を中心として、驚くほどを上昇している。それは地方経済が活性化しているということではなく、むしろ地方に対して、海外の資本が投下されているということの結果に過ぎないと見る人が多いのだと思いますけれども、もしそうだとすれば、日本が売りに出されているということであって、実は極めて危機的な状況ではないかと私は思うのです。

 日本人自身が、日本に対して感ずる危機感と同じようなレベルで、アメリカの大統領選、あるいはフランスの議員選挙、その行方を自らのものとして、痛みを持って理解し合わなければならない。そういう状況にあるのに、私達は一番大切な、肝心の私達自身のことがわかっていないのではないか。そう思うと、私としては本当に居ても立ってもいられない気持ちになります。どうか、若い人たちは、「こんな世の中は馬鹿げている。もっと正しい世の中のあり方があるんだ」ということに目覚めてほしい。大人たちがやっていることがおかしいなということに気づいてほしい、と強く願っております。

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