長岡亮介のよもやま話393「派手な政策の宣伝文句に踊らされないために必要な常識と見識と品位について思う」

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 大学とか研究組織とかについてあまり事情を詳しくない方は、最近のニュースで「日本の文部科学省が、10兆円ファンドというのを作り、東北大学を第1号にして、まず100億円を使わせてくれるというように、重点的に研究費を配るということを始める」というニュースを、ある驚きと感動を持って聞いていらっしゃると思うのですけれど、一般に、日本の大学が世界の大学ランキングの中で、あまり評価が高くないということの背景を、きちっと知っている人は少ないと思うんですね。

 世界の研究ランキングというのを、そんな簡単に比べることができるはずもない。一般に、日本で言えば、東京大学と京都大学、大阪大学とそういった昔からの大学は一般に研究水準が高いと言われていますけど、それを1点から10点で評価する。そんなことは容易でないですね。世界の大学に関しても、いろいろな世界の大学ランキングサービス、これも民間企業でありまして、そういうランキングをつけることによって、ご飯を食べている企業がたくさんあるわけです。そういうランキング会社は当然のことながら、そのランキングをつけることに対して、ある合理的な根拠、西欧人であれば、当然のことながら、客観的な根拠に基づいて判定しなければいけない。

 例えば、この研究者はこの研究者と比べて10倍偉い、あるいは100倍業績がある。こんなことを言うのは、容易なことではありませんよね。アインシュタインは湯川先生の何倍偉いのか。そんなこと言ったらそもそもナンセンスですよね。ですから、そういう無茶苦茶なことはしない。そうではなくて、ある客観的な基準に従ってランキングをつけるわけです。どういうことで研究ランキングをつけるかというと、例えば、海外からの留学生がどれくらいたくさん活躍しているか。これが大きな指標になるわけです。日本の大学が国際的なランキングにおいて、おしなべて低いのは、海外からの留学生、特に大学院生の占める割合が非常に少ない。アメリカなんかですと、日本を含めアジアからの留学生が非常にたくさんいるわけですね。欧州の大学においてもそういう傾向が一般にあります。それに比べると、アジアの大学は、日本の東京大学も含めて、国際的な留学生の数という点で比べると、桁違いに小さいと言ってもいい。

 なぜ日本では留学生が少ないか。それは最大の理由は日本の大学は、留学生に対して特別な奨学金と設けていない。原則として、全ての入学生に対して、公平な授業料を取る。こういう立場ですね。社会主義国のように国費留学生という制度があると、国が留学生のを滞在費とかあるいは学費をサポートするという制度はありますけれども、一般には、海外留学生だからといって、特に奨学金をつけるってことはない。

 しかし、ちょっと前にお話したことでありますが、USAの大学は非常に奨学金が多い。United Kingdomの大学もそうです。そして、EU諸国の中にも奨学金という制度が非常に充実しているところが少なくない。そういう中にあって、日本の大学は、お金は出ない。言葉わからない。それでいて、大学の授業あるいは大学院の授業が、他大学と比べてよりサービスが高いかというと、大学院の教育制度っていうのは、日本は必ずしも充実してない。学部教育の延長上に行われているということがあり、特に最近は大学院の定員の方が、学部定員よりも多い。

 例えば、東京大学の数理科学研究科で言えば、大学生の数よりも大学院生の数の方が実は多い。これが「学歴ロンダリング」って悪口を言われている制度ですね。他大学を出て、東大の大学院を出ることによって、東京大学大学院卒、自分の卒業した大学のことをわざと隠して大学院のことだけを言うということ。そういう陰口がたたかれることの裏の原因にもなっているわけですが、大学院の定員が多い。大学院の定員が多い分だけ、それだけ教育が充実しているかというと、学部の教育と比べて、大学院の教育が取り立てて変わっているというわけでは、日本の場合は必ずしもないですね。

 例えば、アメリカの大学ですと、大学院生であればほとんどの学生が、TA、Teaching Assistantという形で雇われて、それで学生の勉強の面倒を見ながら奨学金がもらえる。これが当たり前になっています。日本でもTeaching Assistantという制度がないわけではありませんけれども、アメリカほど経済的に充実した生活が送れるかというと、必ずしもそうでない。日本は生活費も決して安くないということもあり、携帯電話のキャリア代金が高いということもあって、日本は留学生にとって必ずしも魅力的に映るわけではないわけですね。日本の良さを理解している留学生が世界に存在しないっていうわけでは決してありませんけれども、国際的に見て、華やかな大学院生活というのが、日本において期待されると思う海外の大学院生は、決して多くはないわけです。

 そういう意味で日本の大学院は、海外からの留学生に関してものすごくハンディキャップを負っている。この点数があまりにも低いために、国際ランキングにおいて良いところにランキングされないということが起きている。これは世界ランキングの詳細なデータをご覧になれば、誰でもがわかることなんです。日本の大学院、多くの大学院も留学生を増やすためにいろんな施策をしています。その施策をするということが、大学のランキングを上げるということに繋がることは確かでしょうが、それが本当に大学の教育の品質を上げることになるのか。そのようにして、いわば強引な形で海外から招いた学生が、日本のために、そして世界のために活躍する貴重な人材として、「日本の大学の大学院を卒業したということを、世界に対して情報発信をしていく人材になりうるかどうか」ということについて、本当は冷静に判断すべきなんですね。

 最近の、特にアジアからの留学生は、日本のアメリカへの留学生もそういうところがないわけではありませんけれども、「留学することによって一旗あげよう」というような気持ちでいる。ですから、当然のことながら留学して成果を上げる。研究成果を上げる。これはすごく一見いいことのように思われますが、研究成果を上げるということを急ぐと、結局大した研究はなされない。小さな研究をして、さも重要な研究をやったかのように、いわば「研究の偽り」に走ってしまう。結果として、研究者としてものにならない。そういう研究者を育てることに繋がりかねないということは、研究者であれば誰でも知っていることであるわけです。

 金で釣るようなことをやってはならない。当たり前の話なんですね。「本当の学問の基盤的な能力を持っている。そして学問に惹きつけられる。それだけの知識と見識を身につけた立派な入学生」を迎えるために何をなすべきか、ということが大事なのに、そういう地味なことにはみんな目がいかない。もっと華やかな言葉、広告宣伝会社が作り出すような、それこそ政治のキャッチコピーのような、本当に浮ついた表現、これが文教行政の世界においても力を持ち出しているということの象徴ではないかと思い、私は側から見ていてとても心配になります。

 私が述べているようなことはほとんど常識なのに、その常識が常識として通らない。あまりにも非常識な人、あるいは無常識な人たちによって、新しい政策の情報発信が発散し、拡大し、拡散をしている。言ってみれば、情報の意図的な炎上ですね。こういうような意図的な誤情報の発信が、政治の世界だったならばやむを得ないかもしれない。しかし、学問の世界において、こういうことが中心になる社会情勢に対して、私達はもっともっと慎重に判断できる知性を持つべきである。私達は、本当に深い学識の人を深く尊敬する世の中にしていくように、1人1人が努力すべきである。私はそう考えているのですが、皆さんもきっとそうではないかと思います。そういうふうに冷静な立場に立って、最近の政府の情報発信が本当に日本のためになることなのかどうか。学問のためになることなのかどうか。そして、最終的に世界のためになるものなのかどうか。そういうことを考える日本人でありたい、と願っております。

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