長岡亮介のよもやま話388「間違った英語表現を使い続けることの恥ずかしさについて想うこと」

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 最近の日本人が、言葉の意味を理解せずに、言葉を平気で使うようになってきている。そういう傾向を顕著に表す例として、コンピューターにまつわる業界用語の誤用が、最も単純な例として取り上げるにふさわしいかと思い、今回はそのお話をいたしましょう。

 まず最近では滅多に聞かれなくなりましたが、我が国においてひどい誤解としてずっと続いてきたものに“ホームページ”というものがあります。ホームページというのは、いわゆるWebサイトの一番トップのところにあるファイルのことでありまして、最初にそこに行き着くので、それをホームページって言ったんですが、実態はそのWebサイトのindex.htmlというファイルのことなんですね。それをホームページと言うわけですが、ウェブサイトのことをホームページと呼んだり、あるいはHPとそれを略したりする。そういうのがなんと全国紙の紙面にまで飛び交っていたのはごく最近までの話です。さすがにそれは見かけなくなりましたけど、霞ヶ関のサイトにもHPというような表現がつい最近まで残っていたことは、私達国民の、言ってみればコンピュータに関する最も基本的なリテラシーの恥をさらすかのように表しているように見えて、私としては残念な限りに思うんですね。ホームページなんて言葉を使わなければ、わかってないんだから使わなければよっぽど良いのに、それをわかったようなふりをして使う。それをHPなどと略したりする。ヒューレット・パッカードという会社のことかと最初思いましたけど、そうではなかったですね。未だにそういう誤解をしている人も中には存在するかもしれないと思います。この手の誤解というのは大して罪がないので、たあいない誤解と言って済ますことができるかもしれません。言ってみればナイーブな間違いであるわけです。

 それに対してちょっと悪質な、外国人と話していると誤解を招きかねない、あるいは専門家と話すときに、誤解のもとになりかねない言葉の誤用が後を絶ちません。その典型的なものは、コンピューターシステムに侵入する、悪さをする人たちを“ハッカー”と言う表現です。ハッカーというのは、hackという言葉のerをつけたものであります。hackっていう言葉を知っているならば、コンピュータに不正侵入する人をhackerと呼ぶのはそもそもおかしいということに、普通は気づくはずなんですが、日本語でhackという言葉があまり教育で普及していないということが、その背景にあるのかもしれません。hackっていう言葉はいろんな意味がありますけれども、ズタズタに切り落とすという意味、あるいは切り開くという意味、それから何とかして突破口を切り開くという意味があります。コンピューター用語あるいはコンピュータ業界で使われる用語としてhackingというのは、難しいプログラミングを上手にこなすという意味で、hackerというのはいわば尊称なんですね。褒め言葉なわけです。素晴らしいプログラムを書く人、素晴らしいコードを書き上げることができる人をhackerというふうに呼ぶわけですが、日本ではそれをcracker、システムに不正侵入するという人の意味であるとして使っている。crackっていう言葉は日本人にとってもなじみやすい言葉なので、crackerが不正侵入する人の意味に使われるということは想像しやすいと思うんです。でも、hackっていう言葉を知らないために、hackerという言葉を知らないまま誤用している。

 残念ながら日本の全国紙の紙面にもhackerという言葉が踊っている。これは情けない言葉に関する混乱でありまして、ぜひとも修正していかなければいけない。そうしないと、外国の人と話してるときに恥ずかしい思いをする。そういうことになりかねないわけですね。外国でも誤解している人は少なくないかもしれませんが、本来の意味でのhackerとcrackerというのは全く違う意味を持っているということを、きちっと知りたい。

 そういうために普段から外国語に関しても、言葉の語源にさかのぼって、それがどういう意味を持っているのかということを、カタカナで置き換えた言葉ではなくて、外国語英語のままで理解する。そういう習慣を身につけると、こういう恥ずかしい間違いはしなくて済むようになるはずなのですが、日本人は非常に不思議な国民で、例えば和製英語、英語にない英語を日本語で作るわけですね。有名な言葉に“クーラー”って言葉がありますが、今では普通の人はエアコンって言うと思いますが、昭和初期から平成期にかけてくらいまでは“クーラー”という言葉がありました。coolっていうのは形容詞ですから、cool、cooler、coolest、そういうふうに比較級、最上級という変化はするかもしれませんが、cooldownという言葉はあるとしても、coolerという言葉は普通は英語にはないと思うんですね。

 同じように、日本語にしかない言葉で“アドバルーン”という有名な言葉、Advertising balloon、広告宣伝のための気球、それを日本では「アドバルーンを上げる」と言っていましたけど、言うまでもなく英語ではそんな表現は存在しないわけです。ちなみに有名な夜の野球ゲームのことを“ナイター”と言いますが、nightは夜という名詞ですね。したがって、ナイターなんていうような言葉は作ることができないに決まってるはずなんですが、日本人が作った言葉でありますね。日本人が作った和製英語っていうのを数限りなくありますけれど、こういうものは言ってみれば、日本人の中でしか通用しない言葉ですから、そう思ってみればいいのかもしれませんけれど、やはり本当の正しい現地の表現では何と言うんだろう、ということを時々は考えるようにした方がいいと思うんですね。いうまでもなくナイターというのは普通はnight gameと言うんだと思いますけど、私もその正しい使い方が何であるかは知りません。それを使う場面に居合わせたことがないからです。

 でも、少なくとも、アメリカ人やイギリス人が使っていないそれを、日本人が英語ふうに言うということ自身が、何か敗戦国民というような、屈辱的な気持ちを抱かずにはおれないような誤用だと思うんですね。こういうことは、私達としてはできるだけ避けていきたいなと私は思います。言葉に対して敏感であるということは、人の言葉を聞くときも、いつも謙虚に正しく理解しようと思って慎重に聞くということを意味していますし、自分が喋るときも自分の言葉に責任を持って正確に語らなければいけない。それは心構えて語ることに繋がる大切な心得だと思います。そういう意味で、言葉の問題に敏感であることは、決して人の揚げ足を取るために大切なのではなくて、自らの襟を正すために大切なことである、という基本原則を確認しておきたいと思います。

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