長岡亮介のよもやま話369「学校数学の詐欺その2」

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 私は老人ということもあって、インターネットの新しいアプリケーション、特にWebを利用したアプリケーションサービスというものを、ほとんど利用しません。自分でローカルなパソコンで仕事をした方がよほど能率が良いと思うからなんですけれども、世の中はWebアプリケーションサービスにあふれていますね。そういう中にあって、事務局の方が、私がやっているよもやま話の中で多くの人が聞いてくださっているものと、あまり聞いてくださらないものとの簡単な統計を取ってくださっているんですが、私がそれで驚いたのは、私が学校教育の現状に対して、ちょっと不平めいたことそれを言うと、ヒット数が上がるんですね。私が学校のいわば悪口を言うと、それに対してヒット数が上がるということは何を意味しているのか。私もちょっと考えたんですが、学校の悪口を言うことがそもそも珍しいのでそれが楽しいということ、あるいは学校が悪口を言ってはならないところなのに、それに対して悪口を言う私の発言がとても変わっているという珍しさに対する興味、そしてもう一つ、学校に対する悪口というものは、皆さんの心の中に溜まっていたんだけれども、これほどはっきりと言ってもらえるとは思わなかったということで、自分の気持ちがスッキリしたという気持ち。いろいろな可能性があると思うんです。この可能性もどれが正しいのか、私は断定する立場にまだありませんので、今日は少し学校の悪口ということについて、初等的な問題を取り上げたいと思います。

 それは、数学的には実に初等的ながら数学が嫌いな人にとってはもう本当に嫌になるほど面倒くさい「2次関数の平方完成」、あるいは「2次式の平方完成」と言われるものですね。もっとわかりやすく言えば、「2次方程式の解法」を手に取ってもいいでしょう。「2次方程式の解法」、これを評価してみると実におかしなことが書いてあるんですね。

2次方程式の解答 (1) $ x^2 = a : a  $ が正の定数

その方程式を解くと、$ x = \pm\sqrt{a}  $

これが基本形として書いてある本は、数学的にはかなり良心的の本で、ほとんどそういうことに触れられてないんではないかと思います。

 次に2次方程式の基本形(2)として、因数分解による方法:与えられた2次方程式を右辺を $0$ という形に整理して、左辺を因数分解する。2次式を上手に1次式どうしの積に因数分解すると、積がゼロならば少なくとも一方がゼロという基本原理に基づいて、結局1次の因数がゼロ、言い換えれば2次方程式という問題を、1次方程式を2組解くという問題に帰着させることができる。そういう解法を勉強するわけですね。

 そして多くの本では、その後に「2次方程式の解の公式」というのを勉強する。2次方程式の解の公式は前に取り上げたことがありますが、高等学校や中学で $ax^2 + bx + c = 0$ と、わざとわかんない形をしているんですね。わざとわかんない形をしているというのは、本来は2次方程式というのは両辺を定数倍しても同値の方程式になりますから、$ax^2 + bx + c = 0$ であれば、$a, b, c$ のうちどれか一つは1としても構わない。そういう一般性を失わない。多くは2次方程式ですから $ax^2$ の $a$ は$0$でないと仮定されているので、$a$ を $0$ でないと仮定すれば、

$x^2 + \frac{b}{a}x + \frac{c}{a} = 0 $  

という2次方程式になりますよね。$\frac{b}{a}$ とか $\frac{c}{a}$ とか分数が出てきたやつを、それぞれ新しい文字 $p, q$ で表せば考えるべき2次方程式一般は $ x^2 + px +q = 0 $  こういう簡単な形になるわけです。この最も簡単な方程式に関して解の公式を書いている教科書は1冊もないのではないでしょうか。実に馬鹿げた話があります。

 中学や高等学校の教科書が $ax^2 + bx + c = 0$ という複雑な形にしているには、裏に隠れた魂胆があるわけですね。これは数学的な虚偽なのですが、一種の教育的な嘘なんです。教育的な嘘というのは、これ前にちょっとお話したことですが、中学生や高校生が扱う2次方程式はせいぜい係数 $a, b, c$ が全部整数である。場合によっては自然数である。こういう場合が多いわけでありますね。だとすれば、最初から自然数あるいは整数である係数を $a, b, c$ と置いておけば、「2次方程式の解の公式」が使いやすいでしょうという、学校の先生なりの配慮が働いているわけですね。その学校の先生の教育的な配慮は数学的な配慮とは全く違う。数学的にはより複雑になりながら、数学の苦手な子どもたちはこの方が覚えやすいよという気持ちから出ている配慮なんですね。私はその配慮が全く間違っているというわけではありませんが、$ax^2 + bx + c = 0$  という2次方程式の解の公式が、

$x = \frac{-b± \sqrt{b^2 – 4ac } }{2a}$

という複雑な形で丸暗記させていることが多い、ということは少し残念に思います。2次方程式の判別式というものの本質から理解が遠ざかっていると思うからです。

 今私が申し上げたいのは、2次方程式の本質という厄介な話ではなく、ごくごく簡単な学校数学の「薄べったい嘘」ということです。2次方程式の解の公式、あるいは2次方程式の解の公式に伴う以前に準備すべき2次方程式の平方完成、これはとても大切なもので、2次方程式の後に2次関数が控えていると、2次関数に関してそのグラフを書くのに平方完成というものが非常に強力な武器になるわけですね。2次方程式を勉強しているときには2次関数は理解していませんから、そんなものは何に役に立つのかと子どもたちがわからないのは当然なのですが、これは教育的配慮というもので、やがて役に立つものであればしっかりと前もって準備しておこう、という先生方の配慮には、私は十分根拠があると思います。しかし、2次方程式を勉強している子どもが2次関数を勉強するときに、そのmotivationが湧かないような、2次方程式特有のうまい平方完成を教えるというような教育的な工夫は、私はあくどいと思います。正々堂々と「2次関数の平方完成」を教えるべきであると思いますけれども、これは2次関数という、より重要なテーマを背景に控えているという教育上の根拠があるわけですね。

 教育上の根拠ということに迫ったときに、「2次関数の平方完成というのは、本当に大切なものであるか」という問題を考えてみましょう。それを考えることなしには、2次関数が大切だとか、2次関数の平方完成が大切だということは意味がないことであるわけですね。さて、2次関数は、中学生や高校生では一般に  $y = ax^2 + bx + c $  と表現されていると思います。その2次関数を 

$y = a(x-p)^2 + q $ :  $p , q$ は定数

を用いて、その $p , q$ はもちろん最初に与えられた $a, b, c$ で表されるわけですけれども、その $a, b, c$ を用いて表される $p , q$ を用いて、2次関数をそのように単純化することができる。これを「平方完成」という。これは何と中世の昔から伝わってきた言葉でありまして、現代日本の教育家の発明ではない。昔は2次方程式を解くということが時代の最先端であったという時代があるわけでありまして、そのときに作られた言葉が未だに生きている。これが不思議なことなんですが、現在の数学教育の立場を考えたときに、2次方程式が一体勉強する上で、いかなる意味を持っているのでしょうか。そういうことを考えている先生はほとんどいらっしゃらないのではないかと思います。

 私から見ると、1次関数に続いて2次関数を勉強する。あるいは1次方程式に繋げて2次方程式を勉強する。これはある意味で非常に自然な発想であり、歴史的な展開としても正しいと思うんですけれども、やはり2次関数あるいは2次方程式、特に2次方程式の持つ本当の教育的な意味は、「方程式の解が一つに決まるとは限らない」ということを経験することではないかと思うんですね。方程式を与えられたらば答えが一つに決まる。今、コンビニエンスストアの真夏の作品を見ていると、その作品のキャッチフレーズに、真夏の方程式というのがあって、やはり「方程式は解が一つに決まる」という印象が、中学生の頃から抜けていない大人がいるんだろうなというふうに、私はクスッと想像しますけれども、方程式は一般に解は無数にあるわけですね。無数にある方程式の中で、2次方程式はたった2個しかない。実数の範囲に限定すれば1個もないということもあるという不思議な世界、その不思議な世界を体験することは、私はとても面白いことであるなと思います。

 では、2次関数を勉強することの威力は一体どこにあるのか。2次関数でなければ勉強できないことというものは本当にあるだろうか、というふうに考えますと、かなりこれは教師の勝手ではないかと思うんです。そしてとりわけ2次関数のグラフを書く上で非常に厄介な平方完成というテクニック、平方完成というテクニックがあるんだから、当然皆さんは立方完成とか、4乗完成とか、5乗完成とか、それがあるに違いないと思いますよね。そして2次関数の平方完成を勉強する前に、1次完成っていうのがあると思いますよね。ところが、それについては勉強してないんじゃないでしょうか。実は1次完成というのはないわけではありません。でも、立方完成とか4乗完成っていうのはないんですね。これは2次関数の場合にだけたまたま使える非常にいい話であって、2次関数がメインテーマであれば、これを教えることには非常に意味があるけれども、2次関数が所詮多くの関数のうちのone of themというものであるとすると、価値がない。ほとんど価値がないものに対して、今の学校では膨大な時間を子どもたちに強いている。これはいかがなものなのでしょうかね。私は中学生になる前も小学生くらいの暇な時期に、こういうクイズみたいなことに夢中になる子どもがいてもいいんだと思いますが、いい大人の中学生とか高校生にもなってこんなことを勉強するようなことなのかなと私は疑問に思います。

 今日は、皆さんの反応が、私が学校数学に対して否定的に発言したときに非常に多くの方が反応するという、事務局の方のアドバイスを受けて、あえて学校の問題について非常にわかりやすい批判的な視点を提供いたしました。しかし、こんなものはほんの氷山の一角です。もうありとあらゆるところに学校教育の嘘はある。そういう嘘にまみれることなく、皆さんには正統的な数学を正統的に勉強していって、数学を楽しんでいただきたい、そういうふうに心から願っています。数学の本はたとえよくできてなくても、よくできてない本を通しても、正しい数学的精神を身につけることができる、という非常に珍しい学問であるということを添えてお話を閉めたいと思います。

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