長岡亮介のよもやま話362「パスカルの三角形と二項定理を別々に教える、あり得ない日本の『数学』『教育』の現実」

*** 音声がTECUMのオフィシャルサイトにあります ***

 今日は久しぶりに数学の話をしましょう。といっても、高校レベルあるいは中学レベル、場合によっては小学生も知っているような話だと思います。二項係数と言われるものがあります。それは、一言で言えば、例えば文字 $a$ と文字 $b$ があって、$a+b$ それの全体を $n$ 乗する。こういうのを $a$ と $b$ の1次同次式の $n$ 乗 っていうふうになりますから、1次同次式の $n$ 乗というのは、いろいろな項が出てきますけれども、その項のことを termって言うんですが、いろんな term が出てくる。$a^n$ であるとか $a^{n-1}b$ であるとか $a^{n-2}b^2$ であるとか $a^{n-3}b ^3$ であるとか、要するに $a$ と $b$ についている累乗の指数が、和がいつも $n$ である。こういうのは $n$ 次式と言いますね。その全部 $n$ 次式であるので $n$ 次同次式、そういうふうに言います。その $a$ , $b$ の $n$ 次同次式の係数が何であるかということについての簡単な規則があるということです。

 $(a+b)^2$ に関しては、$a^2 +2ab+b^2$ という公式があって、中学生くらいでこれの丸暗記を強制している学校が結構あるんではないでしょうか。「これは数学の基礎だ。だから暗記しなさい」と、全員でクラス中で唱和する。$(a+b)^2= a^2 +2ab+b^2$、さてよくできた。そしたら $a+b$ の代わりに $a-b$ とした。$(a+b)^2$ の展開方式がわかっていれば、$(a-b)^2$ の展開公式を覚えること自身に全く意味がないのですが、必ず教科書に重要事項とか言ってゴシック体で書かれていて、もしかしたら今の大衆迎合の進んだ教科書では、そこに花子と太郎の漫画が出てくるかもしれない。花子さんが「さあ太郎くん、今度は $(a-b)^2$ よ」とかっていう漫画でているかもしれません。僕もそういう漫画を描きたいと思っているんですが、どなたか上手なしかも数学も好きな漫画家がいたら私にぜひ連絡をください。たくさんのアイディアがあります。それは学校教育が漫画だらけだからです。今のように花子さんが太郎くんに言ったときに、「$(a+b)^2$ の展開公式がわかっていたら、$(a-b)^2$ の展開公式は覚えるまでもないわね」とか、そういうふうに利口な方に言わせるんですね。それが漫画のストーリー。言ってみれば、かつて一世を風靡した『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』という話。これも、こういう同じ漫画のストーリーですね。

 特別の金銭的利益でない、そういうことで集まった者たちがどうやったら団結することができるのか。いかにも資本主義の末期の社会を彩る話でありますけれども、日本ではNPO法人というのがあります。アメリカは全てがNPO法人と言ってもいいくらいで、お金も儲けることを目的とする株式会社、かつてはそうでしたね。しかし最近は税金を逃れるためにLLC有限会社っていうのが増えておりまして、皆さんがご存知のGoogle社もその一つであります。Google社に言わせれば、株式会社にせずにLLCにしているということは、会社に無駄なお金をかけることを避けるためだと、そういう理由があるでしょう。確かに、株主が一番大きな力を持つ、そういう資本主義の元となった株式会社という制度は、明らかに今おかしいわけです。株主の利益があるいは株主の意見が会社の命運を左右する。こういう社会がいいわけではない。そういう意味で、LLC、これからの企業の形として私は重要だと思いますが、アメリカのように、寄付が非常に普及した、毎食の食事でさえ良いサービスに対して寄付をすることが当たり前のチップ文化が根付いた社会と、日本のように「チップはいくら払うんですか」と、相手に質問して相手を当惑させる馬鹿げた文化。そのためにレストランによっては、一部10%テーブルチャージですと、チップを要求する企業。もうほとんど破廉恥としか言いようがないと私は思うのですが、顧客はそれが便利なんですよ。チップを払う文化がありませんからね。テープがないと困るから。しかし、チップを会社の取り分までしたら、とんでもないことじゃないかと私は思いますけれど、そういうおかしな社会を漫画のような軽いタッチで描く。これは面白いと思うんです。

 資本主義の浸透した社会の中にあって、野球部という部活なんていうのは日本の子どもたちが熱中しておりますが、そんなもののために熱中するほど青春は暇なのか、というふうに私は言ってやりたくなる。しかし、本当に熱中する子どもたちにとっては真剣でありましょう。しかし、真剣だとか真心を込めているというだけでは、なかなか資本主義社会の中にあって、みんなが損得で競い合うという社会の中にあって、Non Profit、利益ではないもののために一致団結するということは、容易でないことなわけですね。ドラッカー氏はその中で、「Non Profit が、Profit を目的とする企業以上に大切なのは、人と人と、それに関わっている人が、自分たち自身の役割に目覚めることである。そのために何をしなければいけないか。」そんなことで1冊書けるということがドラッカーの偉さかなというふうにも思いますけど、私自身は、ドラッカーという有名な社会思想家、と言っていいのでしょうか、日本ではベストセラーを次々と飛ばすような、「決して介護保険で惨めな人生を送らない、今からの過ごし方」とか、いろんなハウツーものにちょっとインテリが手を入れたという程度のもののように思いますが、ずいぶん日本ではベストセラーになりました。ビジネスマンの間でも、たくさん読まれたと思います。「組織というものを運営するときに、何が大切なのか」ということです。

 しかしながら、それは決してハウツーでできることでは本来はない、と私は考えております。少なくとも、会社のトップマネジメントの側に、かつてのように「もう働いて働いて働いて儲けろ。お前たちが儲けた分だけ会社も儲かり、そして君達の生活も潤い、何でも好きなことができるんだぞ。」こういういかがわしい言い回しで社会を引っ張ってきた、あるいは会社を引っ張ってきたその時代が終わったということ。これは、日本を見ていてもそうであるわけです。そのような社会の停滞期に入ったときに、会社自身を停滞させない、組織をマンネリにさせない、そのための方法というのは、誰でもが聞きたがることなのではないかと思います。しかし、私は、企業の経営者として立派な仕事をやってきたはずの人が今さらそんなことも考えてないこと。それが明らかになったかと思うと寂しい気持ちになったものであります。もっともっと、企業は立派な人によって引っ張られている。そういうふうに考えていたわけですね。

 学校の先生にしても同じだと思います。$(a+b)^2$ と、$(a-b)^2$ 両方とも公式を暗記させるってどういうことですかね。$a+b$ という式に、$b$ の代わりに $-b$ としたら、普通の人だったら $a+(-b)$ でしょう。$a+(-b)$ という式は、$a-b$ となるっていうことは、中学校1年生でも知っていますね。ということは $(a+b)^2$ の展開公式がわかれば $(a-b)^2$ の展開公式もわかるに決まっている。そして $(a+b)^2$ の展開公式がわかれば、$(a+b)^3$ 、3乗というのは 2乗にさらに 1乗を掛けたものですから $(a+b)^2$ の展開公式がわかっていれば、$a+b$ をそれにさらにかけてやればいい。そうすると、$a^3+3a^2b+3ab^2+b^3$、つまり $a$ と $b$ についての 3 次式が全て出揃って、そろい踏みをしたところのその係数が、1 3 3 1となるわけですね。さっき $(a+b)^2$ の展開公式の係数が、1 2 1であった。一番最初の出発点となった $a+b$ は係数だけを見れば、1 1だと。そこで、皆さんできたらノートにあるいは広告用紙で構いません。つまらない話ですから。一番上の行に1 1と並べてください。そして、その下の行に、今度は 1 2 1、さっきとちょっとずらして 2 がちょうど中央に来るように書くと、バランスが取れて良いと思います。そして、1 2 1が 1 1 の行の次の行に書かれたら、今度は 3行目、1 3 3 1と書きます。その下の行には何と書いたらいいでしょうか、

 その下の行は $(a+b)^4$ の展開が来るわけです。$(a+b)^4$ は、当然4次同次式ですから $a^4$ が来て、$a$ について降べきの順に申しますと、$a^3b$ が来て、$a^2b^2$ が来て、$ab^3$ が来て、最後に $b^4$ がくる。こんなことは小学生でもその規則性から考えてわかりますね。そのときの係数はどういうふうになるべきでしょうか。それは、$a^4$ の係数は、$a^3$ の係数と同じに決まっている。それは子どもでもわかる。何でかっていうと、$(a+b)^3$ に $a+b$ をかけるわけです。$a^4$ っていうのは、$(a+b)^3$ を展開して出てくる $a^3$ と、もう一つの $a+b$ の $a$ をかけて出てくる $a^4$  1個しかないに決まっていますから、皆さんが書いた1 3 3 1、その次の行に、少しずらして 1 を書いてください。その次は何になるでしょう。その次は $a^3b$ の係数です。$a^3b$ の係数は $(a+b)^3\times (a+b)$ ですから、$(a+b)^3$ の展開から出てくる $a^3$ と、もう一つ $a+b$ の中に含まれている $b$ それをかけて出てくるのが一つ、それからもう一つは $(a+b)^3$ の中から出てくる $3a^2b$ というさっき出てきた式その $3a^2b$ というやつに $a+b$ の $a$ をかけて出てくる $3a^3b$ ですね。したがって合計で $4a^3b$ となるはずです。その 4 という係数はちょうど今ひとつ見た上の段の1 3 3 1と並んだときの1と3の和で出てくる 4 なわけですね。

 その後はどうなるでしょうか。この規則がわかっていれば、あとは誰でもわかる。上の行の1 3 3 1の 3 と 3 を足して出てくる 6 なわけです。だから当然その下は 6 だ。6 の隣は何か一つ上の行の 3 と 1を足して出てくる 4 だと。一番右は 1 だ。すなわち $(a+b)^4$ の展開公式は、もし作るならば、係数が1 4 6 4 1と並ぶ数になる。これは果てしなくやっていくことができる。無限に続く階段のようになるわけですね。

 こういうふうにして作られる三角形状に数を並べたもの、その表を昔から“パスカルの三角形”と言うわけですが、パスカルがこんな三角形を作って喜んでいたとは思わない。パスカルはもっともっと偉大な人なんですね。こんな表を作るくらいでパスカルという名前を名乗られたら、パスカルも嫌な思いをするのではないかと思いますが。パスカルは、二つの項から成る「二項式の $n$ 乗の展開」というのは、$n-1$ 乗までの展開がわかれば、$a+b$ の $n$ 乗の展開もわかると。これを数学的帰納法とか、本当は回帰的な定義 recursive definition そういうふうに言うわけです。下の方がわかれば上の方もわかる。今ので言えば、$n$ 段目がわかれば $n+1$ 段目がわかる。あるいは $n-1$ 段目から $n$ 段目がわかる。こういう回帰的な定義、その基本原理を発見した。やってみれば誰でもわかっている自然数の世界の中に潜んでいる重要な秩序、それをパスカルは発見したということであります。パスカルの三角形それ自身は覚えるに値しない、くだらない三角形です。これを三角形状に並べて書くか、それとも二つの辺を直交するように長方形状に並べて書くか。二つの長方形状に並べるとあまり美しい形にならないかもしれません。それでも十分私は意味を持つと思います。しかしながら、三角形で書くことが好まれているわけですね。長方形状に並ぶものも、私はなかなかそれそれで面白いと思いますけれども、皆さんぜひ挑戦してみてください。

 問題はその次なんです。その定理は、実は何の定理か。パスカルが見いだしたものは何なのか。それは、中学・高等学校の数学で言えば「順列・組み合わせ」とかって言われる章、あるいは最近は「場合の数」という訳のわからない名前の単元がついておりますが、そこに出てくる「組み合わせの数」と日本では呼ばれている ${}_n \mathrm{C}_r$、$n$個の中から $r$ 個を取り出して作る組み合わせの数。まるでお経のような意味の不明な表現でもって表現されているところの、重要な$n$と$r$という二つの自然数についての基本公式。その二つの変数を持つ、整数値しか変数に持たないという意味では、数列というのと似ているんですが、数列は高等学校では一つの変数しか持たない。$a_1,a_2,a_3,a_4$ と1列に並ぶものしか考えてないんですが、2次元的に2次元に並ぶ整数のようなもののことを“格子点”といいますが、格子点上で定義された数列、それに関する基本性質を発見してるわけですね。

 そのことが発見されるならば、二項定理と言われるもの。高等学校ではずいぶん難しく教えられますね。$\displaystyle (a+b)^n =\sum_{k=0}^n{}_n\mathrm{C}_k a^{n-k}b^k$ なんて!記号$\sum$ は summation (つまり和)と大学以上では言いますが、$\displaystyle \sum_{k=0}^n$ は単に「$k=0$から$k=n$までの和を取る」ということですね。ここまでも理解が難しいのに、それに続くのはまず ${}_n \mathrm{C}_k$と来て、さらに続いて $a^{n-k}b^k$。そんな複雑な公式を意味を理解せず一生懸命丸暗記させているんですね。中には、「うちの子どもたちは、抽象的なシグマ記号ができないから、もっと親切に教える」と言って$\sum$ 記号を使わず、もっと複雑な + …を含む長い式で覚えさせる、そういう学校もあるようです。

 こんなのは、${}_n \mathrm{C}_k$ の意味がわかれば、何にも覚える必要ないことなんですが、わざと仰々しく教科書にゴシック体の枠囲み、もうゴテゴテですね。ド派手の化粧をされて、その公式が鎮座ましましてる。この公式の本質的な意味はどこにあったのかというと、さっき言ったように、$(a+b)^n$ は、$(a+b)^{n-1}$ に、もう1回 $a+b$ をかけたものにすぎないよということにすぎない。それをまとめて表したものであるわけです。そして、その公式は、$n$ が1のときは小学生でも、$n$ が2のときは中学生でも、$n$ が3のときは高校生だったら誰でも知っている。そういう公式に過ぎない。だから、高校1年生の終わりか、高校2年生か、もし二項定理を学んだならば、「今まで自分たちが習っていたことは、この公式があれば済むことである。もしそうであるとすれば、詐欺ではないか。最初から公式を教えるべきではないか」という生徒が出てもおかしくないと私は思うのです。

 今の日本の子どもたちは、とても従順で、とても素直で、先生の言う通り、教科書に書いてある通り、あるいは塾の先生が口を酸っぱくして練習させるように、それを受動的に暗記することが勉強だと思っている。そして、その式を暗記して学校の成績が上がったら、これで成績が上がったというふうに親が喜ぶ。こういう構造を日本全体で作っていると思うんです。私に言わせれば、数学的に意味がないこと、受験でも役に立たないこと、どこでも全く役に立つということがないことを、さも大切なことのように教え、その教育のエッセンスにあたるもの、それを教育することを忘れている。これが今の日本の数学教育の現状ですね。

 「意味のないつまらないことを上手に教えることが大切だ。教育は教育のプロとして自覚を持って上手に教えることが大切だ。子どもたちのやる気を引き出して教えることが大切だ」と強調する先生がいるんですね。私はそういうのを先生と呼ばずに、括弧づき「先生」、「なんちゃって先生」と言います。教えるべきことは何なのか、その教えるべきことの本質をそらして、教育のふりをしている。結果だけを覚えさせるということをもって教育だと思っている。それは教育とも縁もゆかりもない「調教」ですね。この教育と調教の違いについては、私は前にお話ししましたので、ここでは繰り返さないことにしたいと思います。

 私は、日本の子どもたちが、子どもらしい目の輝きを取り戻し、本当に青春の喜びの中に生き、できうればその青春の喜ばしい活動の中の一つに、勉強を入れてくれるといいな、と思います。知的な喜びというのは、運動で相手のチームに勝つ喜び、これも小さくないと思いますが、そんなものでない大きな大きな喜びが待っている世界なのですが、その大きな喜びから疎外されて、そういうものを全部遮断されて、勉強を努めて強いるということ。これをやることが良い子の条件であるというのは、何とも不幸なことではないかと思います。

 「勉強は、その核心に迫ることができれば楽しいのだ」という当たり前のこと。おそらくちょっとよくできる数学の先生だったら、「そんなこと言われなくてもわかっている。俺が毎日実践していることだ」というふうに言ってくださること、そういうふうにお叱りをいただくことを、私はとても楽しみにしています。もし、学校の先生たちがみんなそのような先生になったならば、日本は必ず変わる。子どもたちの目は輝く。高校生はきっと礼儀正しくなる。そして、全世界の平和のために、全世界というと大げさになりますから、日本の中での平和のために、でもいいですし、学級内の平和のためにでもいいと思いますが、平和のために影響力を行使する指導者として育っていくに違いない、と私は期待し、祈るような気持ちで待っています。

コメント

  1. Leo.橋本 より:

    長方形上に並べて、それを無限チェス盤として捉えると、Knightはフィボナッチ数列を追跡していて、興味深かったです。

    パスカルの三角形も、見方を変えると楽しめました。

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