長岡亮介のよもやま話350「分からないことを認めることの大切さ、放射能と生命の不思議」

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 今回は、触れ忘れた話題について補いたいと思います。それは、“放射性核種”と言われる、いくつかの原子が崩壊して別の原子に変わっていく現象です。これは自然界でよくある話で、その中でもとりわけ、炭素に関する放射性核種の崩壊、“炭素14年代測定法”というのは、原爆が開発されそれが利用されるような状況が起こる以前の、古い時代の年代を測定するには、大変有効な方法でありました。それはどういうことかっていうと、放射性原子、昔は放射性元素って言いましたね。放射性の性質を持った自然崩壊していく元素が、ある一定の割合で崩壊していくために、その元素が誕生したときから確率論的にどんどん崩壊していく。大雑把に見て、半減期という時間が経つと半分になる。放射性核種の中で半減期はそれぞれの核種ごとに、つまり原子ごとに異なっていて、ヨー素に関する同位体の中で、非常に崩壊が激しいものがあり、しかも人間の体がヨー素を必要としている。ヨードと言ってもいいかもしれませんが、例えば昆布が体にいいよというような話を聞きますよね。そういうものに多く含まれていて、人間の体の中で、私あんまり詳しくありませんが、甲状腺というような非常に重要なホルモンを分泌する器官において、大量にそれが貯められている。貯められているということは、使われているということなんだと思います。
 しかしながら、その同位体が、いわゆる原子力発電所のメルトダウンのような事故が起きますと、その放射線の崩壊過程の中で最もその半減期が短い。半減期が短いっていうのはすぐになくなるから安心だというのではなくて、その短い期間に中に半分になる。どんどんどんどん崩壊するので、最初のうちの放射線を出す量が半端でないわけです。放射性核種は崩壊をするときに必ずある線を出す。ある線を出すって言っても、それはα線とかβ線とかγ線って、大きくそういうふうに分類されるわけであります。ガンマ線の種類はものすごく多岐にわたっていて、私達はそれをほとんど周波数あるいは波長でしか分類することができないでいますけれども、そういう強いエネルギーを持った放射線を放射する。それによって、あまりにも強い放射線によって、私達の生理的な器官が破壊されるという問題があります。とりわけ非常に重要な情報、遺伝子情報っていうのを担っている物が、その放射線は浴びることによって壊れてしまう。情報が壊れてしまうということは、情報の再生産も行えなくなる。言い換えれば、正しい生命活動を維持できなくなる。正しい生命活動って一体何なのか、これが本当は問題でありまして、生命は誕生し、そして死ぬ。そういうことが生命の基本的な宿命というか、倫理であるわけですから、完全にいつも正しく遺伝子が複製される、遺伝子が壊れないっていうことが正しいというふうに言うのは、生きている人の勝手でありまして、長い長い生命の歴史の中で考えてみれば、生命が失われる。その失われる過程で、例えば遺伝子が破壊されるということも、厳粛な生命の倫理であるわけです。従って、遺伝子が破壊されないことそのものが本当の意味で正しい、とそんなふうに言うのはよくない。
 ただ、私は今気楽にコピーが正しく行われなくなる。そういう現象が、放射性物質の出す放射線によって、加速的に起こることがある。長崎などでは、プルトニウム爆弾であったということもあって、永井先生という立派な方が早くも白血病との関係に注目して研究を開始されて、ご自分の命を捧げてその研究をなさった偉大な方であると思いますが、私達はその放射線というのを浴びることによって、私達の目には見えない世界で、私達の肉体の生命を支えている微細な臓器である細胞とその細胞の中に入っている染色体、染色体の中に込められている遺伝子、DNAといわれる二重らせん構造を持つ不思議なタンパク質の繋がり、繋がりの中に実は数学的に言えば4進法って言ったらいいんでしょうか、4種類の情報が並んでいる。その4種類の情報、私達は数学で普通使うコンピュータは1bitっていうのを単位としているわけですね。2進数わけです。0か1で、それに対して、4種類のタンパク質が、私は4進法って言ったんですが、例えば2進数であったとしても、それを8個並べれば、256通りということで、英語圏の人であれば、アルファベット大文字小文字だけじゃない、数字も含め、$という記号、「.(ピリオド)」、「,(カマー)」という句読点の記号、”のような引用符のような記号、!のような記号、そういったものも全て含め、さらにもっと重要な多くの人が意識していない文字、つまりここで改行するとか、ここで通信を終了するとか、そういう情報通信の基本的な情報まで含めて全部2進法の7桁の数で表すことができる。その7桁の数、だから128個で足りるんですが、わざわざ余分に8bitという形にして、最上位の1bitはエラー訂正、情報の伝送のエラーを検出するために使う。
 そういうふうにして作られたものがASCII(アスキー)っていう文字体系であります。それで2進法でさえ、もし8桁にすると情報通信のためには十分なんですね。実は7桁でも十分なんです。工学的な合理性のために8桁、1bitを8個使って8bit、それを1byteというふうに呼んで、それを基本的な情報単位として情報通信を行うという規格が、アメリカで定められた。これはアメリカの基準に過ぎませんから、世界基準ではなかったわけですね。しかしアメリカの基準をもとにして、日本でもコンピュータを使うためにかなり強引な仕方で日本語もコード化いたしました。そのときに各企業の利益を優先して各企業ごとに文字コードを拡張するっていうことをやってしまったために、日本語に関しては本当にしょうもない体系ができたわけです。残念ながら、様々な体系の間に互換性はあるものの、その変換フィルターっていうのをかけなければならないために、普通変換フィルターを持ってない人にとっては、他の文字コードのものは全く意味がなく、読めないわけですね。そういう現象は、昔パソコン通信というアナログ回線を使って情報をやり取りしていた時代には、エラーが発生すると文字が全然でたらめになってしまう「文字化け」っていう現象がありましたが、現在ではそういうアナログの回線を使って情報伝達線わけではないので、文字化けは起こりえないはずなんですが、その文字化けであるかのごとく現象する。つまり、解読できない文字列が送られてきてしまうということがある。「あなたのEメールは文字化けしていますよ」と指摘する人がいるんですが、指摘する人はその文字コードを変換するフィルターというツールを持ってないっていうことだけなんですね。インターネットの世界、全世界グローバルに統一されたように見えても、各社あるいは各企業の開発した例えばEメールソフトで、機能によっては文字変換が正しく行えないっていうことが、残念ながら今にしてすらあるわけです。
 ちょっと情報に関して脱線いたしましたけれども、2進数であったとしても、1と0というだけであっても、それを桁数を大きくすると、いろんな情報が表現できる。例えば1byte、普通は8bitというやつですけど、1byteを使うだけでアルファベットの文字は完全に表現できる。日本語のようなものでも2 byte使うと、それによって日本語の文字が表現できる。しかし、2Byteでは文字数に当然制限がある。日本語のように、ちょっと馬鹿げた話でありますが、これは私は明治維新と非常に関わっていると思うんですが、例えば「斎藤」という字は斉藤の「斉」にしても「藤」にしても、何か噂によるとそれぞれ300種類ぐらいあるっていう話ですね。なんでそんなに種類が増えてしまったか。これはちょっと話すと長い脱線になるので、明治維新に関係しているんだという私のアイディアだけお伝えして、切り上げたいと思います。
 DNAの話に戻りますと、それは4進をベースにしていますが、4進を何桁か固めることによって非常に有用な情報、重要な情報っていうのを表現することができる。その情報単位の事を、曖昧に「遺伝子情報」と言っているわけです。DNAがそのまま遺伝子というわけではない。そのDNAを介して遺伝情報が伝わるということですね。そしてそのDNAの鎖が放射線なんかによって、それをきっかけとして、破壊されうるわけです。私達がいろいろなそういうエネルギーの強い電磁波を浴びることには、大きなリスクが、そしてまた大きなメリットもあるわけですね。
 皆さんがリスクとメリットって言ったときに一番わかりやすいのは、紫外線であると思います。私達は紫外線を浴びることによって、必要なビタミンを体内で合成したりすることができる。最近は、近眼になるのは紫外線が足りないせいであるというのが疫学的な研究で明らかになっていて、よく昔は勉強をよくすると近眼になると言いましたが、私は4人兄弟で勉強したのは私1人ではないかと思っているんですけれど、近眼にならなかったのは私1人だけで残り3人はみんな近眼になっていました。勉強と近眼とは関係ないってことは私の家族では証明されていた。でもたった4例ですから、疫学的な証明には程遠いんですが、現在もっとスケールの大きい調査によって、紫外線の量と、あるいは外出時間の長さと近眼との関係っていうのがかなりはっきりしている。紫外線を浴びることが非常に大切なことであるわけですね。
 日本には「母乳信仰」って言って、母乳は何と言っても赤ちゃんの体にいい。私もそう思っていますし、母乳にだけ含まれる人間の体で消化できない糖、それが何のために必要なのか、それは「赤ちゃんの腸内細菌を増殖させるためであった」なんてことがわかってきたりして、なかなか奥深い世界もあるなと思いますが、お母さん方が、あるいは若い女性が、日光に当たりシミ・そばかすができるということを嫌う。シミ・そばかすができないっていうこと自身はポジティブな感じなんですが、しかし、紫外線を浴びることによって初めて体内で合成されるビタミンもあるわけで、あまり日に当たることのない若い女性の母乳にはその種のビタミンが欠けていて、私はここでお話するのはあまり刺激が強いことですので申しませんが、母乳だけの赤ちゃんに特有の皮膚病があるということは、今や医療の世界では常識になっていると思います。その最先端の知見を最初に私にこそっと教えてくれたのは、私の知人の疫学の専門家でありました。しかしその専門家でさえ、「このことはなかなか言えない。言ったら袋叩きにあうから。」そういうふうに言って私だけに教えてくれたんで、私もあんまり大きな声で具体的には申しませんが、実は紫外線が非常に人間によって有害であると同時に、人間にとってとても有益であるということ。そういう両面があるということをお話しておきたいと思うんですね。
 そして、放射能に関して言うと、目に見えないから怖いっていう人がいるんですが、そんなこと言ったら、目に見えないものはいくらでもあるわけで、そもそも紫外線だって赤外線だって目に見えない。コタツに当たってる人が赤外線を目に見えないって怖いと思わないですよね。赤外線は目に見えませんが、皮膚に温かさとして感ずることができる。でも紫外線になると、私達は紫外線が当たってるって、日焼けしてヒリヒリして皮膚の方は理解してるんですが、私達の目では紫外線は見えない。まして、X線は見えないですね。X線っていうのは、古くから私のもう子供の頃から、病気の診療に使われるようになってきました。放射線というのはもう、今、医学にとってなくてはならない武器になっていますけれども、逆に放射線の映像、要するに体の中を貫通するんですが、骨のような硬いもののところは通りづらい。従って、放射線の映像で言うと、骨のところを通ったはずのところはあまり色がついていない、白っちゃくて見えるということですね。もちろんポジティブ、反転をすれば骨のところが黒くなるということですが、X線レントゲンと言いましたが、その映像を見る上で白黒反転させるということそのものには実際上の意味がありませんから、普通それはやっていません。そういう体の中を投射する強いエネルギーを持った電磁波を利用して、私達の健康に異常がないか、あるいは、例えばもっとプリミティブで骨が折れてないかどうか、そういうことが簡単に観測できるわけです。
 そして今やX線っていうのはどっちかっていうと、数学的に言えば、射影を取る、影を取るっていう、非常に単純な3次元の物に対してそれを2次元化する一番プリミティブな方法なわけですが、コンピュータを使うことによって、コンピュータトモグラフィ(CT)要するに立体映像を作ることができる断層撮影っていう技術ですね。断層撮影っていうと、なんか医学的な感じがするかもしれませんが、まさに数学の積分の考え方でありまして、断面図を考える。断面図をたくさん撮ってそれを立体的に組み立てる。そうすると、生み出されるってことですね。断層撮影っていうのは言ってみれば積分の考え方であります。断層撮影っていうのが今やレントゲンを使うことなく、もっと難しい方法で、眼科においてもう決定的に有利な方法として使われている。というのは私自身が、加齢で視力を衰えたためにかかっている病院で必ずやる検査で、検査をやる技師も検査をなさる先生もその基本的な原理は理解されてないと思いますが、極めて周波数の短いしかしギリギリ目にはちょっと明るく見えるそういう光を使う。おそらくレーザー的に波を揃えている特殊な光線だと思いますが、それによってCTよりももっと遥かに原理的に高級なんですね。CTの場合は実際に輪切りにするということをやってるわけですが、前から写真を撮るだけで、その跳ね返ってきた映像、言ってみれば航空管制レーダーのようなものだと思ってもらえばいいかもしれません。それによって目の断層写真をとることができています。
 ちょっと話が脱線してしまったんですが、そういう放射線と言われるもの中でも、私達にとって非常に有益なものがある。X線というのは、人間の健康のために大事だっていうだけではなく、今や天文学にとって不可欠なものなんですね。天文学で最近テレビなんかでよく出される映像は、大衆でも理解できるように、それを可視光に変換してわかりやすく示してるんですが、物理あるいは天文学の人たちが見ている映像っていうのは、まさに電波で捉えた宇宙の姿でありますからそれ自身に光とか色がついているわけではない。電波なわけです。その電波望遠鏡というのは、今や望遠鏡の王道でありまして、可視光、私達の目に見える美しい星空の世界と私達が言っているところものっていうのは、所詮可視光でしかない。私達の想像しうる宇宙の本当に一部分でしかないわけであります。ハッブル宇宙望遠鏡のようなものによって、見ている遠くの世界、それも可視光で見てるというよりは、電波あるいは放射線によって見ているというべきであるわけです。
 放射能の中にはそのように有益なものがいっぱいあって、最も弱い放射能をである紫外線は私達のを身近な健康にそれを維持する上で不可欠なくらい重要な役割を果たしてるんだって話しましたけど、私は放射線に関して、トリチウムのような言ってみれば本当に十分解明されてない、しかしそれでいて身近な物質、それに関してそれが放射性核種であるということは確実なんですが、それが発する電磁波に関して私達がどういう影響、電磁波といったけどβ線っていうふうに言った方がいいかもしれませんね。エレクトロンの放出だからです。しかしながら、エレクトロンとは何かっていうときに、エレクトロン電子っていうのを機関銃の玉のように考えている人が世の中には多くいますけれども、実はそれほど簡単ではない。それはエネルギーというそのものと言ってもいいような非常に不思議な存在であるわけです。ものすごく小さくて、捉えることができない。捉えることができないというのを物理の人たちは「不確定性原理」というふうに言うわけですが、大雑把には捉えることができる。だけど精密に捉えることはできない。これが理論的に証明されているわけです。非常に深遠な自然科学の謎一つだと思いますが、理論としては簡単な話であるわけですね。
 そういう放射能に関して、私達は大変短い経験しか持っていないので、どういうような生命体への影響があるかっていうことについてはわからない、というふうにしか言いようがないと思うんです。わからないから怖いというふうに言ったんでは話にならない。しかしわからないのだからできるだけわかるまで何もしないでおこうよというのも一つの英知です。わからないことをわからないのだから、勝手に今の知恵でやるようにするのはやめようよ、これ非常に大切なことで、例えば考古学的な発見があったときに、それちょっと傷がついてると言って、その時代のテクノロジーで修復したりする。これはとんでもない話でありまして、有名なセントポール寺院の横にあるラファエロの間システィナ礼拝堂ってありますけども、その絵もごく最近修復され、こんなに美しい色だったのかということがわかっています。その修復の過程で、それ以前になされた修復を取り除くという除去作業、これも十分しっかりと時間をかけて行われる。素晴らしいことであると思います。現代の修復技術というのは、そういう意味で現代最先端の技術を用いてやっていますけど、それがやがて後世の人が何て馬鹿なことをやってくれたんだと言ったときに、その修復が取り外せるように、自分たちの技術でやったものが、それが最後のものでないということを保証するような形で、進行していることは素晴らしいことですね。現代の最高の修復技術がその技術が否定される日がやがて来るということを、ちゃんと覚悟して進行しているということ。そのことに、私達は十分な敬意を表すべきである。私達の知恵は所詮私達の知恵でしかないということです。
 元の話戻りますが、放射線というのは、年がら年中半減期ごとに半分になってるというよりは、年がら年中崩壊してる。年がら年中放射能を出してる。だから怖いとは必ずしも言えないってことですね。極めて強い放射能をずっと出し続ける半減期の短い放射性核種、これは放射能影響が明らかに大きい。でも、ヨウ素の同位体以上に多いというか、非常に深刻な影響をもたらすのではないかと言われる半減期が、私は記憶あんまりはっきりしませんがセシウム30年ぐらいだと思います。放射性核種の崩壊、半減期ってのは一般にもっとそれより長いんですが、30年の半減期のセシウムに関して、私の知人がたまたまロシアのチェルノブイリの調査団のメンバーであったので、その人がチェルノブイリに行きまして、今のウクライナですけど、被爆者の調査に当たりました。医者としてですね、しかし、健康被害をチェルノブイリからの距離に応じて、遺伝子異常っていうのを見出すことはできなかった。統計的には、セシウムの人間への被ばくの影響はないと言わざるを得ないっていう結論、これは国際報告として出ていて、日本では公開されないんですね、こういう情報が。それは非常に残念ですが、そういうことがありました。
 「人体は、人間の生命体は不思議だ」と今頃になって叫んでいる人がいますけれども、生命はもっともっと原始的なレベルでさえ不思議に満ちていて、私達はその一番小さな原子体生命の中で行われていることでさえ、本当は理解できていない。理解できていないのに、それを説明しようとするから、生物学者たちはしばしば、「種の生存戦略である」とそんなことを言うんですが、種として大脳を持たない者が生存戦略なんて立てることができるんでしょうか。日本人の帝国陸軍のように大脳を持っていた人たち、その参謀たちが練りに練った作戦というものが、インパール作戦であったとすれば、こんな馬鹿な話あるはずがないと、普通は思いますよね。そういうわけで、戦術とか戦略ってのは錬るのが本当はすごく大変なんだ。それを生存戦略っていうのを各生物あるいは植物、そういうものが持ってるんだとすれば、誠に不思議ですね。それを生存戦略としてしか、表現することができない。それは私達の現在の生物学とか生命科学の持っている限界なんですね。
 物理学のように、基本的な微分方程式に全部還元するというようなことができていない。物理学においてさえ、皆さんがよくご存知の運動方程式というのがあります。ニュートンが定式化し、その後疑いえないものとして20世紀まで続いてきたものです。そしてアインシュタインによる大きな修正がそこに加わる。こういう時代の中に私達は生きている幸せを味わってるわけですが、そのような基本的な数学的な定式化、それにさえ成功してないわけです。古典物理学の世界においてはニュートンの運動方程式による、アインシュタインの相対論においてリーマン幾何学って言われる非ユークリッド幾何学ですね。各点各点によってその曲がり方、曲率って言いますけど、それが定義される。そういうねじ曲がった一般空間、そういう空間を利用して、非常にすっきりしたアインシュタインの一般相対性理論って言われるもので、よく特殊相対性理論とそれを混同する人がいるのですが、特殊相対性理論というのは割と簡単な話なんですね。一般相対性理論というのが、当時の現代数学、今では近代の本当に輝かしい成果、ベルンハルト・リーマンによる幾何学が大きく使われたわけです。ニュートンが偉大なのは、出来上がった数学を利用して物理学を作ったんではなくて、ニュートンの物理学を作るために必要な数学も同時に作っていったということで、微積分学っていうのはニュートン、ライプニッツによって発見されたって日本の本にはみんな書いてあるんですが、それは歴史に対する甚だしい冒涜で、ニュートンとライプニッツは数学の深さも桁違いに違うんですね。ライプニッツもなかなか偉大な人であると思います。もちろん凡人なわけではない。僕らのような私のようなぼんくらとは全然違います。でも、ニュートンと比較したら、もう本当に大人と赤ちゃんというくらい大きく違う。数学に関するニュートンの偉大さっていうのは、全く形容しがたいというくらい、素晴らしいものでありますね。そのことによって物理学はすごく精密な言語を手に入れた。ニュートン以降も、電磁気学、マクスウェルとかそういう人によってもう素晴らしい世界が開拓され、そしてアインシュタインによって、それまでの物理学の問題っていうのが極めてすっきり整理され、この後アインシュタイン級の人が同時に数百人出てくれば、力学の最終的な難問が解決されるのではないかっていうふうに言う人がいますけれども、どうかわかりません。
 そのくらい物理でさえ壁にぶつかっているのに、生命において、私達が何かわかってるっていうふうに思うのは、おこがましいのではないでしょうか。生命は不思議と神秘、人間から見れば偶然、それに満ち満ちている。放射性核種に関して私は確率論的に、毎瞬毎瞬崩壊してるんだと、そういうふうにお話しましたけど、なぜそんなにおびただしい核種の中で、たまたまその一つが選ばれて崩壊していくのか、私達はそれについて述べる物理学、あるいはそれを充実する数学を持っていないわけです。物理学としては統計力学という手法が開発され、それをマクロ的に見て描写するということに成功しています。熱力学っていうのはそういう世界でありますけど、本当ならば、まさにアインシュタインが言ったように、「神はサイコロを振らない」のであるとすれば、どの放射性核種が崩壊し、どの核種が崩壊しないのか。それもわかってもいいはずなんですね。でも、私達はそういうミクロ単位のものについて、私達の日常生活で使われるような、ニュートン力学のような精密な言葉で語ることは、到底できないわけですね。なぜならばミクロの世界は桁違いに小さいわけですが、その桁違いに小さい分だけ桁違いに数が多い。私達はそれぞれの原子を見つめるだけの解像度の高い目を持っていないわけです。一つ一つの原子、一つ一つの電子、あるいは一つの原子核の中の振る舞い、これを私達が全体にわたって詳細に記述するだけの力を持ってない。
 物理ですらそうなのですから、生命に関して私達がほとんど知らないっていうことを、まず認めるべきだと私は思うんです。私はコロナウイルス感染症、国際的には、SARSコロナウイルス2って言われたものですね。COVID-19という言い方もありました。感染症2019年型ということですね。それが流行ったときに、朝から晩までテレビではよくわかった人からよくわかってない人もいろいろな人がいろんなコメントをしていました。やはりその中で私が非常に心を惹かれたのは、ウイルスの研究者たちが「これが武漢で中国で製造されたウイルスであるとというような意見に対してどう思いますか」っていうアナウンサーの質問に対し、「それはあり得ない。人間の持っているウイルスに関する製造技術、それではとてもではないけどこんな立派なウイルスを作るなんてことは今の研究レベルでは絶対できない。ウイルスは不思議に満ちている。自分たちにはわからない」っていうこと何回もおっしゃってたのが、私は心に残っています。「つまり医学の世界が、このように「自分たちにはわからない」っていうことが明確に言えるようになったということが、素晴らしいことだなと思います。
 最後に技術の話に戻りますが、結局科学の世界は「最終的にわからないここまでわかった。しかしその先はわからない。」それで済ませていいわけです。しかし、技術ってのは人間に役に立つっていうことを考えますから、その役立つっていうことに関して「私はわからない」って言ったんでは、ユーザーとしては困るわけですね。とりあえず雨露をしのぐための家が欲しい、快適に暮らすための電気が報ほしい。そういう一般国民の心からの願いに少しでも応えてあげたい。そういう有用なものを作るというようなこと。人々にためになるものを作る。これがエンジニアリングとかの世界、テクノロジーと世界の基本な倫理だと思います。役立つことが大切だと。みんなに使ってもらうことが大切だと。
 科学は言ってみれば、知的好奇心で極めたい。本当の真理を極めたい。その知的好奇心だけで進む。それが科学の特徴であります。しかし科学は一方で、その知りたい知りたいといって知ったからといって、表面的な謎は解けても、その謎のまた下にある謎が新たに発見されるので、科学に終わりはない。よく医療はここまで進歩したってよく言います。確かに医療技術は進歩した。今までできないことは進歩した。だからと言って、人間の生命の不思議、死の不思議、誕生の荘厳さ、死の荘厳さ、そういうものにたどり着いたわけでは全くないんだと私は思っている。技術を語るときには私達は最終的に有用性というもの、それがどうしても最終ゴールになっており、それは科学において真理を極めるということは異なるんだっていうこと。そして、科学には絶対的な限界があるということを申しましたが、技術にはそのように科学よりも遥かに手前のところで妥協しているという限界があるのだから、その限界を心得た上で、「技術をよりよく利用しましょうっていう改良が、不断に求められている」ということ。そのことを国民が全員常識として持つという、民度の高い国民になってほしいなと私は願っています。

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