長岡亮介のよもやま話342「シグマ記号の意味という答えにくいご質問に敢えてお答えします」

*** コメント入力欄が文章の最後にあります。ぜひご感想を! ***

 視聴者の皆様それぞれのご質問にきちっと答えることは、私の手には負えませんので、それは遠慮させていただいておりますが、熱心な愛読者というより視聴者の1人である橋本くんからの質問は、皆さんにも共通の関心があることだと思いますので、あえてお返事してみようと思います。質問のご趣旨はそのまま引用すれば、「検定教科書に書かれているような括弧付き「和の公式」を取り扱う際に、わざわざ$\Sigma$記号を用いることに本当に意味があるでしょうか」という質問です。検定教科書と限定がついているので、私も検定教科書に限定してお返事したいと思います。

 検定教科書では文部科学省の定める学習指導要領において、「$\Sigma$記号を数列和に関する記号として扱うこと」というのは、一種の法律のような法的拘束力を持つものとして定められておりますので、検定教科書の著者がどれほど深い学識を持ち、どれほど深い教育的配慮を持っていようとも、現場のニーズに合わせて$\Sigma$記号を、軽薄な限りではあったとしても、それを説明しなければならないという絶対的な義務を負っている。そのために、その表現がたとえ教育的に見て許される範囲であるとしても、数学的な立場から考えてみて、論理的にナンセンスであるということは大いにありうることで、そのことも承知の上で、あえて書いている教科書会社もあるに違いないと私は期待しているのですが、残念ながら最近の検定教科書は現場のニーズに合わせれば良いという市場主義に極端に流れていて、$\Sigma$記号の説明は、おそらくは$a_1$, $a_2$, $a_3$, $a_4$,これを例えば$a_5$まで足す。こういうものを$\sum_{k=1}^5 k$というふうに表す。のように表す。「のように表す」と、この表現が教科書的な表現でありますが、「のように」というので一体何が意味されているのか、論理的に全くはっきりしない。これが検定教科書の多くのあるいはほとんど全ての検定教科書の共通の欠点であると思います。

 $\Sigma$記号というのは、本来はきちっとその表現することのできない、例えば$a_1+a_2+a_3+\cdots$。 $\cdots$という部分は$a_4$, $a_5$, $a_6$,$a_7$,というふうに添え字を1つずつ増やしていって、最後に$a_n$まで加える。それを表現するための非常に的確な表現でありますが、その表現を、$a_1+a_2+a_3+\cdots +a_n$と表したんでは、$\Sigma$記号を使う意味が全くないわけですから、それは検定教科書として全く無駄なこと、無意味なことを教えているに過ぎない。

 そうではなくて$a_1+a_2+a_3 $、これを有限個であれば具体的な数である限り、$a_{10}$であろうと$a_{100}$であろうと$a_{1000}$であろうと書くことができるわけですけれど、面倒くさいですが、しかし、それを一般的に第$n$項までの和として表現するという抽象的な取り扱い、これが数学では必須不可欠でありまして、それは$a_1+a_2+a_3+ \cdots+ a_n $という表現では表現しきれないわけです。なぜならば、$a_3$の後の$+\cdots$ときて、最後の$+a_n$。直前までの$\cdots$が何を意味しているのか、これが全く定義されていないからです。こういうことが定義されていないということにさえ気がつかない程度の学生さんであれば、それでもってごまかしてもいいじゃないかということが教科書の著者たちの中にあるのだと思いますけれども。

 本来は、$\Sigma$記号はいわゆる数学的帰納法で定義される。すなわち、$\sum_{k=1}^1 a_k$ この和は$a_1$である。一方、$\sum_{k=1}^{n-1} a_k$ それが定義できてたとすると、その定義されてた$\sum_{k=1}^{n-1} a_k$ の和に $a_n$を加えたもの。これが$\sum_{k=1}^n a_k$である、とこういうふうに定義される。こういうふうに漸化式を使って定義される、あるいは数学的帰納法を使って定義されるのが$\Sigma$記号であり、$\Sigma$記号という、言ってみればそのような「概念的な和」を一つの記号で表現したことにすることによって、私達の世界は大いに開けるわけです。$\Sigma$記号を使うことによって計算ができると教える先生がいますが、それははっきり言えば数学に関する無知を表しているわけであって、$\Sigma$記号というのは計算ができる、あるいは計算をしやすいために作られているのではなくて、計算できないような場合についても、和を求めることができる。その和を計算に先立って、和を定義することができるというところに意味があるわけです。

 このことについては私は簡単に触れたはずですが、これほど露骨な言い方はしなかったので、あえて橋本くんの質問に答える形で、露骨に答えることにいたしました。しかし、私が露骨な答え方が全ての先生方に共通して当てはまるというわけでは決してありません。先生方の中には、本当は正しく教えたいんだけれども教科書にこういうふうに書いてあるから仕方があるまい、というふうに妥協している方も多いでしょうし、中には検定教科書の書き方こそが正しいんだと、そういうふうに信じてそれに準拠して教えている純朴な先生もいらっしゃることでしょう。先生方の中にはいろんな多様性があるわけです。私がいわば否定的に語ったように、全ての先生がそのような否定的な限界の中にあるというわけでは決してない、ということを再度強調して私からの簡単なお返事とさせていただきたいと思います。しかし、この種の質問は、質問されると私が困るということをぜひご承知おきいただきたいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました