長岡亮介のよもやま話331「海外のTV番組と日本のものを比較して情けないと思わざるを得ないこと」(病室から)

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 今回は、「子供に接する大人たちの態度」という問題について考えてみたいと思います。というのは、入院生活をしていると退屈なので、インターネット配信のドラマとかドキュメンタリーとか、それを見ることが少なくないのですけれど、海外のものと比べると、日本のものというのはえらく幼稚でストーリーも単純で、よく言えばわかりやすくできている。しかし実態としては、あまりにも単純化し、そのために歪曲してしまっている。実社会を舞台としながら、実社会が全然実の社会ではなくて、いかにも実社会っぽい偽物なんですね。その中で生きている人間の内面性とか、そういうのを描くということは全くない。非常に単純化した漫画のようなドラマ。あるいはドキュメンタリーについても掘り下げ方が全然足りなくて、表面をなぞっているだけ。物語のように構成されているけど、その物語に深みがない。

 具体的な名前を出すのは差し控えますが、これが膨大なお金をかけて作ったドキュメンタリーなのかと思うと、残念に思います。日本のドキュメンタリーで、比較的できのいいのは、自然物。例えば、山とか海とか、あるいは草原とか、密林であるとか、そういうところに生きる生物についてのドキュメンタリー。莫大な経費がかかっていると思いますが、見ていてそれなりに見応えがあります。一方、例えば山登りのドキュメンタリーを見ると、非常に厳しい山に挑戦する男たちのドラマであることが多いのですけれども、本当はもっと大変なのは、それを撮影するクルーではないかと私は思うんですね。必死に上っているクライマーを追いかけるカメラマンたちの苦労、それは想像を絶するものではないかと思うんですが、そのカメラマンたちの鼓動がかき消されている。英雄的なクライマーの方にフォーカスが当たっているわけで、それを支えている人々の姿が見えてこない。そういう要求を除けば、広い意味での自然物の中にそういう厳しい高い山への登山なんかも入るかもしれません。

 でも、本当に大切なドキュメンタリーは、現代社会を映しとるドキュメンタリーだと思うんですね。インターネットの世界で、公然と人の悪口を、自分の利益のために人の悪口を言う人々がうごめいている。そういう実態をあからさまにする。これは庶民を教育するためにも非常に大事なことだと思うんですが、そういう掘り下げ方はない。他方、政治家のスキャンダルに関しては、くだらないどうでもいいようなことを、また矮小な政治家がいるからそれを面白がって追求するのかもしれませんが、本当はそういう矮小な政治家を選んだ選挙区の選挙権を持って行使した人々を、ドキュメントとして報道する必要があるんですね。そんな政治家しか選べない、そういう国民は一体どの程度の民度なのかと。そういうことを問わなければいけないと思うんですが、そういうことは関係なく、全く矮小な馬鹿げた政治家のスキャンダルを追って喜んでいる。もっともっと国の根本問題に迫るドキュメンタリーが必要なのに、そういうものは我が国ではすごく少ないですね。

 我が国でかろうじて多いのは、戦前の日本に関するドキュメンタリーですね。それは、太平洋戦争にこっぴどく負けたので、したがって太平洋戦争を指導した側の責任というのを追求するのが簡単になっている。ですから、人々は喜んで第二次世界大戦のときの戦犯級の日本帝国陸海軍の軍人に関するドキュメンタリーをする。でも、実際はそういうのをリードした指導者たちだけの責任ではなく、その指導者たちを支えた国民の責任も、同時に問わられなければいけないはずですよね。そういうところで日本ドキュメンタリーはものすごく甘い。その指導者に対する追及も甘ければ、そういう指導者に従った国民の責任を追及する面も生ぬるい。そう感じます。私達は日々現代社会の中で暮らしていて、多くの問題にぶち当たっています。そのぶち当たっている問題を掘り下げるものでなければいけないのに、表面だけさらっとなぞって、ただ騒ぎ立てている。それは“五月蝿”というやつですね。“うるさい”っていうやつです。騒ぎ立てることによって商売をしている人たちがいる。恥知らずの人たちだと思いますが、こんなことを言うとインターネットではこっぴどく叩かれることになるかもしれませんけれど、インターネットっていうのはそういう社会ですから、そういう人たちに叩かれても仕方がないのかもしれません。それはあえて甘んじて甘受するっていうことにせざるを得ないと、私なんかは諦め気味に思っています。

 しかしいずれにしても、日本のテレビのドラマにしてもドキュメンタリーにしても、掘り下げ方がすごく浅い。これは、製作者のレベルが低いというんではなくて、制作者が、その視聴者をなめきっているってことだと思うんですね。視聴者はこういうのが好きなんだと思っている。視聴者がそういうものを見ない。そんなものにはお金を払わない。そういうふうになれば、製作者も緊張感を持って仕事に取り組むことになると私は思うんです。実際、私がくだらないくだらないと言っている日本のテレビですが、私が子供の頃のテレビは子供向けの番組でさえ、「ひょっこりひょうたん島」とか、「チロリン村とくるみの木」とか、なかなか立派な作品で面白かったですね。人形劇に関してもとても面白かった。今それに匹敵するようなものがない。子供番組は馬鹿みたいに、子供に阿っているだけだし、大人番組も子供番組のレベルであるということです。そもそも子供番組というのは、大人が見ても楽しいようなものなければ意味がないのですが、今子供番組も大人番組も、要するに物事を考えない人たちに合わせて作られている。物事を考えない人たちが物事を考えない人たちに向けて作っている。だからつまらないに決まっているわけですね。

 テレビドラマで言うと、刑事ものとか、医療ものとか、法律ものっていうのは、これはどこの国でも当たるフィールドなんですね。BBCでも、アメリカの映画でも、そして日本でも、そういう3分野の映画はものすごく多いです。テレビドラマって言った方がいいかもしれません。すごくたくさんあります。でも、考えさせる番組に出会うということは、日本では例外的に少数ですね。中には存在するというのが私にとって救いですが、ほとんどが救われないくらいアホくさい。これはとても残念なことです。要するに、国民全体を、そういう番組の制作者たちが子供扱いしている。自分と同じようにレベルが低い人間だと思っている。そういう傲慢な制作者が、愚かな国民に合わせて作られている。本当は、マスメディアというのは、大衆を啓発し啓蒙する責任を持って、使命感を持って仕事をしてほしいと願っているのですが、我が国ではそうなっていない。全てが子供扱いであるということですね。あるいは馬鹿扱いって言った方がいいかもしれません。

 最近は、日本の子供扱いは子供に関してはもうおしなべて全国的に普及しているようで、大人が赤ちゃんに話しかけるように、小学校3年生とか4年生とかになった少年少女に対してまで、まるで本当に赤ちゃんに喋るように話しかけている。あまりにも情けないと思うんですね。私は海外に行って、一番最初にびっくりしたのは、海外の家庭では赤ちゃんが親とは違う部屋で寝ているということでした。本当にびっくりしました。日本で言えば、赤ちゃんが寝るのはお父さんとお母さんの間で、川の字を真ん中の位置。それが日本では全国どこでも定番なんではないでしょうか。しかしそういう環境からは、海外のように、子供であっても一人前扱いするっていう文化は生まれずらいのかなと、そのとき思いました。私達が、家庭の家族のUIを大切にしているということ自身は、素晴らしいことだと思いますが、そこに甘やかしとか甘えとかが入ってきては話にならない、と思うんですね。そして、大人たちが大人と大人が付き合うときでさえ、そういう甘え・甘やかしが入ってきているということに対して、私は深い危機感を感じざるを得ないということであります。

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