長岡亮介のよもやま話329「『ただより高いものはない』という古人の教えを継承したいと思います」(病室から)

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 「ただより高いものはない」とは、私が子供の頃から、よく親に言われたものです。類似の表現に、「安物買いの銭失い」というのもありました。こういうことを子供の頃から繰り返し繰り返し言われて私は育ってきました。ところが最近では、若い人はそういう当たり前の教えに接する機会を奪われているのではないかと少し気にかかります。というのは、私のところにさえいろいろな形で広告情報、とりわけ今買うとお得とか、中には絶対お得とか、この機会を逃すと損とか、そういういささか脅迫めいた広告文句まで出てきました。これがテレビのようなメディアであれば禁止されているはずの表現であると思いますが、インターネットであるということで、大目に見られているのでしょう。それは広告を読む人が自発的にその情報取っているのだから、それはその人の勝手であるということ。その人の責任であるということなんですが、このような風潮があまりにも蔓延しているのは、私はとても危険なことではないかと思います。そもそも、資本主義の市場において、物がただで提供されるはずがない。ただには必ず裏に何か隠したことがある。こういう古人の教えは、現在の先端的な市場資本主義という時代を知らなかった人たちでさえ、当たり前のこととして子供たちにそれを教えていたわけです。

 今はソフトウェアを始めとして、無料で利用できるというものが増えていますが、無料で利用できるということは、そのソフトウェアを利用することによって、何か重要な情報が集められている。そして、その集められた情報に基づいて、商品のセールスのプロモーションが行われているということではないかと思うんですが、セールスのプロモーション程度であれば、どうってことないといえばどうってことないわけでありますけれど、それでも目に余るものがありますね。本当に訳がわからないくらい、お得情報に世の中があふれかえっています。こういう情報にさらされていると、人生は損得で生きなければいけない。得して生きなければいけないと思う人も出てくるのではないかと思うんです。そういう広告をインターネット動画なんかで流している人々は、まさにそのように考え、それを自分の人生の基本原理として行動してるんだと思いますが、ちょっと情けないですね。

 昔は貧しいがゆえに身を売る少女の話というのは、切ない物語の主題でありました。今は、自ら心を売るというようなことを切なく無く進んでやっている。こういう有様で、そういうふうに売れることを持って、人生の勝ち組になると思っている人がいるんですね。とんでもない話だと思いますが、詐欺師になるための準備過程に過ぎないのではないかとさえ思います。特にいろいろと人々が訳のわからない、例えばインターネットサービスプロバイダーと言われているものの中でも、乱立している携帯電話のキャリアの二重売り、三重売り、四重売り、そういう小売店に関して、どこのサービスが絶対お得かという類いの宣伝を自ら買って出て、それをやっている人々がいます。商品名なので固有名詞は秘しますが、全部同じサービスであるに決まっているのに何がお得か、それは各業者によってちょっとした売り方の違いがあるというだけで、各業者はそれで競争で競っているわけですから、トータルに考えれば何がお得というのは、一概に決められないに決まっているわけです。その中で一人一人が自分のお得なものがあるかどうかを探して、それを自分で採用する。それは各自の勝手だと思いますが、そのときに自分に合った一番良いものがあるに違いないと、みんな思うんですね。それはしばしば間違っていて、いろいろなケースによってそれぞれに良さあり、それぞれに欠点がある。そのときに皆さんにあった一番良いものという決定版があるはずがない。もしあったならば、その決定的に良いものを出した業者が一人勝ちになるはずであるし、他社に遅れているものをセールスしているところ真っ先に潰れてしまう。そうならないのは、それぞれに良さがあり、それぞれに欠点があるからです。

 そういうときに、「こうすれば絶対お得である。」そして中にはひどいのは、他者を貶める広告をする。そのことによって、自分の懐に本当に端金だと思いますが、それがチャリンと入ることを喜びとしている。そういう情けない人々が増えていること。そしてそういう生き方に動かされる大衆がいるということに、まさに20世紀の初頭から言われてきた“大衆消費社会”という言葉を、私は改めて思い起こさざるを得ない気がするんです。やはり、人々が情報に振り回されて混乱する。そのときに、コマーシャルベースで、宣伝広告でもってマーケットのシェアを増やすことができる。そういう幻想がありますね。それは幻想ではなくて、現実で実際に広告を打つことによって、市場が動くわけです。そしてその市場が動くことによって、大きな利益が転がり込んだり、あるいは利益が失われたりするということだと思うんです。

 でも、本当に大切なのは、それぞれのサービスを人々が自分に使いやすいように使うということであって、その情報に流されてしまうということではないはずだと思うんですね。そもそも、「ただより高いものはない」あるいは「安物買いの銭失い」という古人の進言の意味を、今の若い人々はもっと考えるべきだと思うんです。私は、“reasonable(リーズナブル)”という言葉は非常にいい言葉だと思うんですね。それはreasonableというのは、元々reason、合理性があるということですね。合理的に推論して演繹することができるという言葉から、reasonableという形容詞が来るわけで、これは安っぽいcheapという意味ではないわけです。reasonableな値段で物を買うということが消費者にとって大切なことであって、ただより高いものはない。ポイント還元とか言って、「今買えば何かお得」というのに乗らされて、ついついいらないものを買ってしまうというのは典型的に愚かな消費者であると思うんです。

 今、若者たちがそういう愚かな消費者に転落させられそうになっているということに、私はちょっと危機感を感じているんですね。reasonableな買い物をするということはとても大切なことで、高級品で身を飾るのが馬鹿馬鹿しいのと同じように、「ただより高いものはない」という格言を忘れずに買い物をするということ、これがとても大切ではないかと思っております。今回は少し説教がましくなりました。

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