長岡亮介のよもやま話328「何事も経験してみなくてはという素朴経験論についての私の想い」(病室から)

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 今日は、「何事も経験してみないとわからないものである」というよく言われる常識について考えてみたいと思います。もしもその言葉の通りであるならば、私達が経験することは、実際は現実世界で多くの人が経験することのほんの一部でしかないのだから、私達はこの世の中のことについてほんの一部しかわからないんだと主張していることになる、と私は思うんですね。実際に経験しないことについてもわかる。このいわば、可能的な認識、つまり現実的に認識するのではなく、頭の中で想像世界において理解するということがあるからこそ、私達は世界を認識するという大胆な発想を持つことができるのだと思います。ということは、「何事も経験してみなければわからない」というのは一見正しそうで、実はその言葉の素朴な意味のままでは正しくないということを示唆しているように思います。逆に言うと、経験しなくてもわかることもあれば、経験してもわからないこともあるということです。

 私は何事も経験してみないといけないという意見に対し、それを“素朴経験主義”とここでは呼びたいと思いますが、このような素朴経験主義がこの世の中で一世を風靡しているのは困ったことだと思います。とはいえ、私達人間の想像能力は極めて限定的であり、その想像力を鍛え上げる努力をすることなしには、私達は自分たちの経験を超えて理解するということもできないと思いますので、その素朴経験主義をあざ笑ってはいけないと思うんです。実際にその立場に立たされて初めてわかるということも決して少なくないわけです。

 私自身は、今まで脳梗塞・脳血栓などを患ったことがないおかげで、手足の動きには不自由していなかったんですけれども、だいぶ年を取って、COVID-19が流行った2020年の3月、日本ではまさに豪華客船のを横浜入港ともにそれが大きな話題となっていたんですが、まさにその話題が出つつあったときに圧迫骨折を起こし、圧迫骨折というのは脊椎の椎体という骨が砕けてしまうという、運動不足等とカルシウムの不足、医療者であればそういうふうに説明するでしょう。要するにじじいの病気ということであります。それを起こして以来、体を動かすのが不自由になる。そして自由自在にパパッと思い通りに動くことができないっていうことを知ってから、本当に脳溢血などを起こした人はあとは大変なんだなというふうに思います。最も大変なのは本当に脳溢血で、脳溢血を起こすとそこで亡くなってしまいますから、軽い脳梗塞で手足に麻痺が残った場合っていうことですね。そういう友人をたくさん見てきたんですけど、自分が同じように手足が自由に動かなくなるという経験を通じて、本当に日常の動作ですら大変なんだということ。それは自分の実感として理解できるということが、できるようになりました。

 そのような実感として理解することが大事だから、みんな肢体不自由になってみましょうという練習がありますけど、それは私は、例えばお医者さんであれば、入院生活を必修授業として課してみるとか、あるいは弁護士とか司法に携わる人であれば、監獄生活を1ヶ月試してみるとか、それは大いに意味があることではないかと思っているのですけれど、そういういわば、全く想像絶する世界、健康な人が病院の人の立場になってみる。これは、想像するのは簡単そうに見えて実は本当に想像力たくましく想像すること、あるいは生き生きとその姿を自分自身の問題として描くこと。これはかなり難しいことなんですね。

 頭の中でわかったつもりであるということと、本当にわかるということの間には大きな差がある。その大きな差があるということを理解することができれば、私はとてもいいと思うんですが、残念ながら自分の想像力の貧困さ、それを問題とする人が少ないのはとても残念なことです。そういう意味で素朴経験主義者の人たちが言う言葉は、そういう想像力が乏しい人に対しては一定の意味を持っている。しかしながら、経験してみたら本当にわかるかっていうと、それは一時的な経験であり、わかったつもりになるということくらいわかるという問題に関して深刻な病気はないと思うんです。

 私は病気と言いましたが、人々はすぐわかりたいと思う。わかったつもりになりたい。これは私は一種の病気、人間の業(ごう)と言ってもいい。業(ごう)病であり、それに打ち勝つのは容易でないわけです。私達はその人間の持っている業(ごう)病から逃れるためには、知的にならなければいけない。知的なるためには勉強しなければならない。わからないという経験を多く積み重ねることを通じて、わかるという世界の明るさを経験する。これが大切だと私は思うんですね。私が素朴経験主義と一線を画すのはこの点でありまして、普通の意味で経験するのではない。経験してわかることの範囲が極めて狭いということを理解すること。これがとても大切だと。というふうに、考えるのですが、いかがでしょうか?

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