長岡亮介のよもやま話324「排泄など普段は意識しない行動についての不思議または生かされていることの神秘」(病院から)

*** 音声がTECUMのオフィシャルサイトにあります ***

 皆さんは赤ちゃんがオムツという特別の下着を着けていることを、よくご存知だと思います。人間は赤ちゃんとして生まれたばかりのときに、排泄のコントロールができないですね。そういう排泄のコントロールさえできない未熟な赤ちゃんを、私達はかわいいと思うわけですが、だんだん大人になってきても排泄のコントロールが効かないと、この子は発育が正常でないんじゃないかと親たちは心配したりします。私もオムツ離れが遅い方の人間で、恥ずかしい話ですが最後におねしょをしたのは中学校1年生ぐらいだったのではないかと思います。夢を見ているとわからなくなってしまうというくらい、本当に物体のように眠っていたんではないかと思うんです。

 それはともかくとして、「排泄のコントロールと自我の形成というのは、密接に結びついている」というのは、いろんな分野の人が、いろんなお立場からお話になっていることですが、私は私自身の最近の体験に基づいてお話ししたいと思います。皆さんは排泄をコントロールするということは、難しいことじゃない。トイレに行きたくなったら行き、排泄したくなったらそこで排泄する。何でもないことだと思っていますね。しかし、日本では昔から「出物腫れ物所構わず」というような言葉がありますが、実は人間は排泄のコントロールさえ本当はできないんだという厳然たる事実があるということを、普通の人は忘れているだけだと、このことについてまず触れたいと思います。

 私は老人男性ですので前立腺肥大という病気があって、そのためにだいぶ前のことになりますが、ある薬を打ったときに、そこから尿閉という症状を起こし、おしっこが出なくなってしまった。おしっこが溜まっていて膀胱がパンパンで痛いのに、そのくらいなのにおしっこが出せない。そこでちょっと勉強してみたら、排尿するっていうのは非常に難しいことなんですね。つまり、膀胱の出口の筋肉はギュッと締まっている。そうしないと漏れてしまいますから、そこんとこを目一杯圧迫している。膀胱を囲む筋肉は、言ってみれば膀胱壁、それはもう目一杯緩まなければいけませんから、一番パンパンに張り詰めた状態であったとしても、筋肉としては収縮しないようになっている。いわゆる排尿期にはそれは逆になるんだそうで、つまり尿道を締めている筋肉を緩めると同時に、膀胱の筋肉を今度は活性化させ、尿を排出するということをやる。それぞれが交感神経、副交感神経という逆のフィードバックをする神経によって支配されているという話なんですが、人間は脳で考えて、その交感神経、副交感神経をコントロールできていると思い込んでいるんですが、それは人間の進化の中で、あるいは動物の進化の中で獲得した本当に類まれな調和の世界でありまして、私達は普段全く意識してないにも関わらず、ものすごく複雑なことが行われている。その複雑なことが行われるようになるっていうことが、人間が誕生してから一人前の大人として成長していく過程の中で、各個人の中で起こるということ。ものすごい素晴らしいことですね。

 今、普通に生活している人々は、そのような全く奇跡的というような能力を、赤ちゃん時代から少年少女時代に行く途中で獲得している。しかし、一旦その機能の調和が失われると、私達は排泄さえ自由自在にできない。そういう情けない存在であるっていう現実に直面させられます。皆さんは、こんな悩みを言っても意味はないというぐらい、健康な毎日を送っていらっしゃるんだと思いますが、たまにはそういうことも考えてみるといいと思うんですね。「自分は自分で生きている。自分の自我が自分をして自分たらしめている。」そんなふうに偉そうに考えることがあると思いますが、その生きている自分というものを支えている人間の代謝という機能、あるいは循環という機能は、心臓から血液が末端まで送られていて、心臓にまた戻ってくる。そういう機能でさえ、私達は自分で自覚的にコントロールしてできるわけではない。私達はしていただいているということ。この生命の不思議な神秘、それに私達はたまには思いをはせ、私達が自分で生きているのではなくて、生かされているという厳然たる事実に、目を向けることもたまには良いのではないかと思い、こんなお話をいたしました。

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