長岡亮介のよもやま話312「濃度の難しさの数学的根拠」(3/31以前)

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 濃度の話題に触れたについでに、数学の立場から見た濃度問題ついて、ちょっと考察してみたいと思います。小学校の数学 (算数と呼ぶ人もいると思いますが) では、そこで濃度とか、速さのような比の概念にまつわるというか、それを基にした数量的な概念、その応用問題というのを学ぶわけですが、しばしばこのような比を介した問題は小学生には難しいところがあるようです。なぜ難しいかというと、濃度の問題、典型的でありますが、例えば 2 %の溶液と 3 %の溶液を混ぜると、何%になるかというがあるわけですけど、2 + 3で 5 %になるはずはないわけですね。2 %濃度の溶液と 3 %濃度の溶液を混ぜると、2 と 3の間になる。2 と 3 の間のどの値になるかというのは、実は 2 つの溶液の量に関係するわけで、ちょうど等しい量を混ぜると、2.5 %になるわけです。しかしながら、3 %の溶液が多かったり、逆に 2 %の溶液が多かったりすると、そうはならず、2 と 3 の間にくる。その間に入るのが、2 と 3 の比例配分のような感じで考えれば良いわけであります。

 しかし、そのような計算をするというのを、公式で理解しようとすると、高等学校の数学になりますと、そういうのを公式化して、内分点の公式とか外分点の公式とかいって丸暗記させようとする先生もいるようですが、実はそんなのはきちんと考えれば分かることで、公式化する意味はない。小学生ですら公式化しかしてないわけですから、いわんや、高校生においておやと思うんです。しかし、濃度が難しいのは、加法性がないっていうことですね。つまり、 2 %と 3 %の溶液を加えると、5 %というわけにはいかないということです。

 同じことは、速さに関しても言えて、ある道のりを、行きは毎時 4km でいきました。帰りは頑張って毎時 5km で帰りました。さて往復の運動において、平均の速度は何でしょう、というような問題を考えるときに、一番素朴な人は、行きが4km毎時、帰りが 5km 毎時で 4 km 毎時 と 5 km 毎時を足し算して 9km 毎時。そんなふうになるはずがないですよね。4km 毎時と 5km 毎時の間に入る。そして、ちょうど同じ道のりを往復した、そういうふうに考えれば、ちょうど二つの速さの平均になるわけですが、帰るときに少し寄り道をしたということになると、つまり違う道のりを通って、違う道筋を通って帰ったとすると、話はややこしくなるわけです。

 濃度にしろ、速さにしろ、そのような単純な加法性が成立しない。加法性は、additivity ですね。加えるということに伴う性質。それが単純に成立しないという理由は、2 つの量が両方とも比の概念で定義されているということに基づきます。濃度というのは一般に、溶媒中に、例えば水に溶けている食塩の量。両方とも質量で表して、水 100g に対して、食塩が 5g 溶けているとすると、食塩水は 105g になる。質量に関しては加法性が成り立つわけですね。100g の水と 5g の食塩水で 105g、食塩水ができる。その食塩水の 105g の中に 5g の塩が溶けているということで、食塩水の濃度は 105 分の 5 というふうになるわけです。

 %は百分率で表すと、100 につきっていうことになりますから 105 分の 5 という分数に 100 を掛けた値で表される。百分率というのは 100 につきっていうことで%っていうのは、ラテン語を知っている人だったら誰でも分かることですがペールケントという言葉で、ケントっていうのは 100 って意味ですね。英語にすればセントです。英語のセントが 100 っていう意味を持っているということは、例えば 1 ドルの 100 分の 1 を1 セントというとか、100年のことをセンチュリー、世紀っていう言葉ですね。そういうふうに言うことからしても、セントっていう言葉、元々ラテン語のケントという言葉ですが、その 100 という意味を持った言葉に注目すれば、ペールケントっていうのは 「100につき」っていうことですね。%も 100 につきってことです。日本語では百分率っていうふうに言いますけど、%っていうのがこれほど普及したのはどういう理由なんでしょうね。別に 10 につきとか、50 につきとか 200 につきとか 1000 につきとかいろんなものが考えられると思うんです。

 12進法であれば、 12 につきというのがあってもいいと思うんですね。12進法というのは例えばダースっていう考え方、英国やアメリカでしばしば使われている数量の単位。これは英語の文化が12進を基本としていたということに由来しているわけです。ですからイギリス人やアメリカ人だったら、12進ベースにして、ダースにつき、“ per dozen ” こういうような考え方をしてもいいわけです。たまたま私達は、フランスふうの、100 を基準にするというのを愛用しているんですが 、% っていうのが唯一の表し方ではない。とにかく分数という概念、割合という概念であるというところが大事なわけです。

 同様に速さに関しても、速さの場合は、さらに面倒くさくて、道のりをかかった時間で割ると、そのかかった時間というのは例えば時間、 1 時間 2 時間 3 時間とそういう単位だとすれば、1 時間あたりに進んだ距離というような感じで、距離を時間で終わっている。そういう割合なんですね。速さの場合は、濃度の問題と違ってややこしいのは、濃度のときには、g/g 、あるいは kg /kg、同じ質量の単位で割っているわけですから、割合であるということが誰でも明らかです。ところが速さというのは、距離を、つまり長さの次元を時間の次元で割っている。こういうふうに異なる次元の割り算で定義されている量であるという点が、難しいところでありまして、このような概念が自然科学において極めて重要ということを理解したのは近代に入ってからでありましたから、速さの概念を自由自在に使えるようになってから私達は 400 年くらいしかまだ経っていないと言うべきかもしれません。そのくらい速さの概念というのは、濃度の概念よりもさらに難しい概念であるということです。

 そういうこともあってでしょうか、濃度に関して言えば、ちょっとでも入っていれば、ゼロではないですよね。そういう言い方をする人がいます。例えば 1t の水の中に、1g の塩が入っている。 1t というのは 1,000 kg でありますから、1,000kg っていうのは、1,000,000 g です。1,000,000 g のうちに 1g の食塩というのは 1,000,000分の 1 ということですね。1,000,000分の 1 というのは $10^{6}$分の 1 ということですから、実は数学的に表現すると結構大きな数です。でも、皆さん考えてみてください。 1,000,000の 1 ってどのくらいの量か。それは、100 万円持っている人が 1 円もらって嬉しいか嬉しくないかということを考えてみればわかるんですね。100 万円も 1 円の積み重ねだというふうに強調する人がいるかもしれませんが、それはおっしゃる通りというふうに言わなければなりませんけれども、私がもし 100 万円持っていたら、1 円落としても 1円拾っても、大して嬉しくないというのが正直なとこであります。$10^{6}$ 分の 1 でさえそんなものでありますから、もっと小さな量、例えば $10^{9}$ 分の 1、$10^{12}$ 分の 1、$10^{24}$ 分の 1、こういうふうになってくるにつれて、気が遠くなるくらい濃度が小さくなってくるということがおわかりでしょうか。

 濃度の概念を正確に理解するためには、算数または数学で勉強するこの塁乗の考え方、数学ではよく指数、塁乗の指数といいますね。数字の右肩に、3 とか 4 とか 6 とかそういう数をつけてその左下にある数を何回かけたかというのを表す指数というものです。何回かけたかっていうのは、素朴な指数の概念が出発点でありまして、そこから始まって、高等学校では、指数関数というところまでやるわけですね。例えば $2^{x}$ 、$2^{x}$ の x というのは、必ずしも正の整数でなくてもいいというところまで、高等学校で一応やるわけです。一応高等学校の教科書にはそのxが実数なるまで拡張することができるんだと書いてありますが、実数xについて$2^{x}$を定義するのは、実は非常に難しいことで、高等学校の教科書は、検定教科書は全ていい加減に嘘を書いています。これは、私が責任者だとしても、嘘を書かざるを得ないというくらい難しいことなんですね。

 指数の考え方の難しさは、ある意味で濃度を考えるときに指数を使うときの理解がなされていない、初等的な数学を勉強してない人にとっては絶望的に難しいことなんだと思いますが、実はこの指数というのが、数学において極めて重要な役割をということが、大学以上になると勉強するわけです。高等学校では、 $2^{x}$の x は実数までですけれども、大学ではその x が、虚数を含むいわゆる複素数にまで広げられます。複素数に広げたときに、指数の本当の意味が見えてくるというくらい、実は指数が重要です。指数関数ってのは大事なものなんですが、大学で学ぶ線形代数という学問では、この xのところに行列、正方行列と言われるもの、数を正方形状に並べたもの、それが右肩に乗っかる。もうそうなってくると、 2 をその行列回かけたものというような素朴なイメージは全く通用しなくなります。

 指数という考え方の数学的な醍醐味、それを理解しないと駄目なんですが、その高尚な現代数学的な指数関数の理解に向けての最初の出発点は、既に小学校のときにやっている、濃度の問題の%っていうところに表れている。100 につきという言葉、百分率、 100 につきっていうのは、100 というのは 100 と書きますね。それは $10^{2}$というふうに書かれるわけです。その $10^{2}$につきというのを、 $10^{3}$につき、 $10^{4}$につき、 $10^{5}$につき、いくらでも変えることができるはずということが、数学をちょっとでも知っている人だったらわかるはずです。そして、実際自然科学において使われているミリとかナノとかピコとか、そういう小さな単位というのは、ごく微量に混じっているものの濃度、それを、わかりやすく表現するための道具なんですね。

 しかし、一般の人が知っているピコのレベルというのは、まだまだ結構濃度としては薄いとは必ずしも言えない。つまり人間にとって意味のある濃度、生体にとって、影響のある濃度であることが多いわけです。もちろん食塩水ではそのしょっぱさを感じなくなっているでしょうけれど。ものによっては、そのピコのレベルであってもですね、人間の生命の維持に大いに関係してくるということです。しかし、それのさらに 100 万分の 1 とか、1 兆分の 1 とか、そういうふうになってくると、もはやその濃度があまり影響するとは考える必要がなくなるという話を前にお話したのでした。今回のお話では、実は濃度という問題を巡って、数学的にも面白い話があるんだということを、確認したいと思いました。

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