長岡亮介のよもやま話298「大人らしく生きる楽しみは無くなったのか?」

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 私は、その時々の最新のニュースを追いかけるというジャーナリスティックな趣味はないのですが、今日たまたま公共放送の海外の放送、具体的にはフランスF2の放送を聞いて、ちょっと思ったことについてお話したいと思います。

 それは、「携帯電話依存症」というのがフランスでも話題になっているということですが、フランスの携帯電話依存症というのは、70%も自分の時間を使っているというのが、言ってみれば甚だしい人の例として引かれていたのはやはり印象的で、日本ではおそらく依存症の人は90%以上の時間を携帯電話に費やしている。下手すると子供になると、夜中じゅう携帯電話をやっていて学校に行く時間は眠くて仕方がない。そういうような人も少なくないではないかと思います。私は携帯電話というのが、いわゆるそのSNSのような非常に簡単なメッセージサービスで、自分が話題の中心にいるという安心感を感じているというのは、中年のおっさんたちで、あるいはおばさん達で、おそらく若者たちは、そういうSNSというよりはもっとアングラなもの、例えば、ゲームであるとか、あるいはあまり普通の人が近づくとのできない闇サイトであるとか、そういうところに浸って、自分たちのそこに安住する世界を見いだしているのではないかと思うんです。

 最近驚いたのは、子供たちのための番組というのが、昔も子供たちをあやすためにテレビを使うというのは親の常套手段でありましたけれども、もうそういうのは本当にビジネスモデルとして成立し、赤ちゃんの頃から見せていて、それでファンとして定着させると、それが青年になってもいい年になっても、その子供の頃の思い出そして子供の頃の思い出を自分の子供たちとまた一緒に楽しむ大人たちという形で、生涯を通じて「赤ちゃん文化」というのが支配している。赤ちゃん文化といって悪ければ「幼児文化」というのでしょうか。大人たちの世界の文化が全て幼児化しているということ。これは、私は非常に危機的な状況ではないかと思うんです。大人の文化の幼児化の一つの典型例としてふさわしいかどうかわかりませんが、私の尊敬する立派な先生の中に、鉄道オタクという人たちがいて、鉄ちゃんとか鉄子って言われる人々なんですが、本当に専門的な知識を持っていらっしゃる。それが何だというような感じを僕はつい持ってしまうんですけれども、やはりその専門筋の人たちだけが共有すべき情報に詳しいということでもって、あるいはそういう情報を発掘したっていうことによって、その人たちの一種のRaison d’être(レゾンデートル)存在理由が見出されるっていうことはありうることなのかなというふうには思います。でも、いい大人になってもその趣味かという根本問題は残っているんだと思うんです。

 要するに、子供の頃からずっと好きだというもの、よく言えば一貫しているというんですが、普通大人になれば大人になったなりの関心でもって、その対象を見始める。多分ファーブルという人は子供の頃から昆虫が大好きだったんだと思いますけど、単に昆虫を集めて楽しんでいる、あるいは眺めて楽しんでいるというのではなくて、その昆虫の世界に入り込んで、昆虫の世界を支配している普通の人には見えない秩序を発見するということの中に、大きな喜びを見出していたんだと思いますね。鉄道オタクもきっとそうなんだって言われればそうなのかもしれないと思うんですけれども、例えば何とかモンスターとかっていうのについていい大人が夢中になっているっていうのを見ると、私としては本当にこれでいいのかなっていうふうに思ったりもします。幼児文化に対してそれを卒業することなく、それを卒業した後もずっとその文化の中に生きている。いつまでたっても、大人の文化に接することがない。

 大人の文化の代表は芸術とか文学とかと言われる分野だと思いますけど、そういう分野に関心が向かないというのは、やはりちょっと寂しいですよね。自分たちの専門領域とする例えば学問あるいは職業において自分がプロフェッショナルであるっていうことが生き甲斐になっているということであれば、それもそれで結構だと思いますが、そのような職業とは無関係に、自分自身の生き方を常に豊かにするということに大人としての生き甲斐を見出す。そういう人々であってほしい。それが単なる趣味というんではなくて、自分の生きる喜びというふうになっていてほしいと私は願っているのですが、どうも今世界中でヨーロッパ先進国も含めて、携帯電話のようなもので、その中に出てきた登場人物が自分の誕生日か何かのときにみんなからお祝いメッセージが来ると、それで「無視されてないっていうことがわかって嬉しい」というような発言をしているのを聞くと、「いい年こいてそうなのかよ」っていうふうに言ってやりたくなってしまいます。お誕生日というのは子供の頃は貴重なもんですし、年取ったらまたそれはそれで貴重なもんだと思いますが、働き盛りの人にとって、お誕生日がそれほど大切なものなのかどうか、私はそれを疑問に感じざるを得ないんですね。「大人は大人らしく生きようよ」と、今日は皆さんに、それをメッセージとして送りたいと思います。

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