長岡亮介のよもやま話290「不遜な啓蒙主義に見出される面白さと意義」

*** 音声がTECUMのオフィシャルサイトにあります ***

 今回はこれまでも少し触れたことのある、しかし本格的には触れてこなかった話題として、「啓蒙主義」Enlightenmentと英語では言いますが、「蒙を啓く。暗いところにいる人の知の光を当てて暗さを啓く」ということですね。それを日本ではそういう意味で拳啓蒙主義、英語ではEnlightenmentは明るくするということですから、かなり良い訳だと思いますが、これがフランス革命を導いた合理主義の思想であり、民主主義の基本理念のもとになったものであるということは、世界の歴史の中で、フランス革命を習ったときに、皆さんも習っていると思います。ディドロという人が中心的な人で、百科全書、要するに百科事典を編集して、ダランベールという名前ももしかすると皆さんご存知かもしれません。ディドロと並んで称される人です。私はフランスのパリのパンテオンというお墓、お墓というか寺院というか、偉大な人のお墓のあるところがあるんですけれども、そこにディドロのお墓を発見したときにはちょっと驚きました。でもダランベールのお墓はなかったんですね、私が見た限りでは。それは残念でした。というのは、ディドロっていうのは政治思想家として有名で、ダランベールもディドロの考え方に共鳴して、百科全書、フランス語でEncyclopédieと言いますね。英語だったらEncyclopediaです。それを特にその自然科学関係をダランベールが責任を持って編集したという話ですが、ダランベールは数学者としても大変に偉大な人で、今でも彼の名前の付くいろいろな定義や公式があるくらいなんです。

 啓蒙主義というのが非常に明るく輝いているかというと、私はそれだけではちょっと足りない面がある。啓蒙主義の弱点というのをきちっと見極めないといけない。と思うことが、まさにディドロとかダランベールを通じて思うんですね。ダランベールというのは、こんにちでいえば波動方程式と言われる非常に重要な偏微分方程式の先駆的な研究で、言ってみればその波動方程式という微分方程式の一般解を導く偏微分方程式なんで、普通の常微分方程式と違って、任意定数の代わりに任意関数というのが入ってくるというところが非常に重要なところなんですが、ダランベールが活躍した時代には関数といっても大した関数は知られていなかった。大げさに言えば、高等学校レベルですね、日本では。高等学校レベルの関数しか当時知られていなかった。ですから、彼は、その任意関数を含む形で一般解を得ることができたんですけれども、その任意関数というのは具体的にどのように表されるか、それを決定しようとしたりした。いかにも啓蒙主義者らしいダランベールの間違いだったと思うんです。つまり、自分はある事柄がしっかりわかっていて、そしてそれで大きなことを発見して、その大いなる喜びの中で人々にそれを伝えるときに、それを人々もよく理解できるような、より的確な形、任意関数というとあまりにも漠然としているので、的確な形、例えば三角関数のような形で表現しなければ、そういうふうに思ってしまったということなんですね。ちょっと技術的な話で恐縮です。啓蒙主義者の弱点というのは、自分がわかっているという立場にいて、他のわかってない人々に対してその暗さを解いてあげる。暗さを開いてあげる。日本的に悪く言えば恩着せがましいというか、自分に対してあくまでも謙虚でなければならないという姿勢を見失っている。いや見失いかねないって言った方がいいでしょうかね。そういう弱点が啓蒙主義者あるいは啓蒙主義というものに全般にあるんだと思います。私は、昔はまさに私自身も啓蒙主義者であったと思いますけれども、だんだんいろんなことがわかってきて、啓蒙主義にそういう弱点があるんだということに気づいて以来、啓蒙主義に対してちょっと警戒心を抱くようになりました。

 そういう啓蒙主義に対する警戒心を持った立場から、とても啓蒙的な番組を見たので、それについてお話したいと思います。例によって、Prime Videoで無料で見ることができた、NHKが製作した「正直不動産屋」というシリーズ1というものを私は全編見たんですが、もうじきシリーズ2が始まるそうです。番組というのは、町の不動産屋さん、大きな建築会社ではない仲介手数料で稼いでいる町の不動産屋さんについての話なんですが、不動産屋さんっていうのは、言ってみれば最古の情報産業と言ってもいいかと思うんですね。今は情報ビジネスということで情報そのものが価値を持つという変な時代でありまして、良い情報を発信する人がいれば、それを面白いと思う人がいれば、“いいね”がたくさんついて、広告料収入が入る。それでご飯を食べるっていうことを目指す人もいるんだそうで、馬鹿げた話だと思いますが、広告業というのも現代の情報産業ですね。情報産業っていうふうに言われているものは、昔はなかったと思うんです、ほとんど。でも、昔からある情報産業の典型が不動産屋さんだと思うんですね。特に明治期以降都市化が進みますと、地方から出てきて都会で家を借りる、あるいは家を買う人がたくさん出てきている。そういうところで、買いたい人と売りたい人の間に、橋をかける。そういう情報のやり取りをすることによって、買う人あるいは借りる人と、売る人あるいは貸す人との間を仲介する。その仲介することによって、お互いの方から礼金とか何かっていう形で手数料をいただく、という仲介ビジネスです。最近ではもう仲介ビジネスもありとあらゆるところにそういうのができているようで、なんだか嫌な世の中になったなっていうふうに思います。

 本当に馬鹿馬鹿しい話ですが、就職に関してもそうでありまして、大学を卒業すると一般社会人として就職するという日本では一般的ですね。ところが今は、企業は履歴書を応募者に求めても、その履歴書の中に学歴欄っていうのはないんですね。昔は学歴欄は必ずありました。今は学歴を問うてはいけないというルールになっておりまして、したがって皆さんが有名な一流難関大学を目指す。それが将来のためであるというふうに思っている人がいるかもしれませんけれども、それは全く時代遅れでありまして、一流難関大学を出たということが就職に有利に働くことは実はないわけです。ですから、正規の大手企業、有名な大手企業が、人事部の方が、これは企業の命運を決めることですから、人事というのは当然その立派な人事課の責任者が面接すべきなんですが、その面接のときに卒業する大学はとか聞けないわけです。ですから、今やそういう企業と学生との間に、また仲介ビジネスみたいなものができていて、企業に対して「お宅に応募しようとしているこの人は、大学時代はどういう人でしたよ」というようなことを、情報として売るわけですね。これは新卒だけではありません。中途採用なんかについても、外国では多いんですがヘッドハンティング会社とかが人を仲介する。給料の高いお医者さんみたいな人だと、1人紹介するだけで双方からお金を取ることができる。お医者さんのように売り手市場の場合には、お医者さんからは取らず、病院側からだけから取るというのが一般的かもしれませんが、そういう場合本当にとんでもない金額が動くわけです。こういうことも皆さんはあまりご存知ないと思いますが、現代はそういう仲介ビジネスっていうのが大手を振って歩いているわけです。

 ところで、そもそも仲介業がなぜ成り立つかといえば先ほども言ったように、例えば土地とか家の場合だと、それを借りたい人と貸したい人、あるいは買いたい人と売りたい人、それがいて、その双方が互いにコミュニケーションが普通はとれていない。そこでその間の仲介をするということであるわけですが、当然買いたい人をあるいは借りたい人は、安ければ安いほどいい。そして、その物件が素晴らしいものであれば素晴らしいほどよい。「駅から近く眺めが良く、周囲が静かで近くに公園や緑もあって、そしてさらに今の若い人であれば、買い物も便利である」、というようなことを挙げる人はいるでしょうね。当然そういう良い物件であれば貸したい人が少しでも高く貸したい、あるいは売りたい、そういうふうに思っているわけです。両者にそういう損得の計算がありますから、その損得の計算をいい塩梅のところで、折り合いをつけるっていうのは結構難しい話なんですね。仲介っていうのはそういう難しさとうまみがあるわけです。つまり両方に弱点がありますから、その弱点につけ込んで不動産屋さんというのは利益を上げるわけです。不動産屋さんに限りません。仲介業というのはみんなそういうもんです。今や、弁護士のような人でも、法に基づいて戦うという正義の弁護士なんていう人はもう本当にわずかでありまして、わずかに存在することが私達の誇りであり、救いでありますが、ほとんどの人が仲介業をやっているわけですね。そういうわけで、そういう世界では、良い話というのは、「良い物件がありますよ」とか、「良い買い手がありますよ。もっと高く貸せますよ。」と、こういうような話っていうのは、どちら側から聞いても嬉しい話なわけです。そういう美味しい話を上手に使って仲介を成功させる。これが不動産屋さんのビジネスモデルであると思うんですね。ですから、不動産屋さんがもし借り手ファーストとか貸主ファーストというようなことを言い出したら、絶対商売が成立しないわけですね。絶対に成立しないというのは言い過ぎかもしれません。極めてその商売として成立させることが難しくなる。ですから、いい塩梅のところで妥協を引き出すのが大切であるわけです。

 私の見たNHK制作の啓蒙番組だと思いますが、NHKは最近何かやたらおせっかいに啓蒙的ですよね。啓蒙的というより啓蒙主義的っていうんでしょうか。「地震が来たら津波が来るかもしれませんから、海岸からすぐ遠のいてください。できるだけ高いところに登ってください」。あるいは天気が悪くなりそうだと「雪崩とか地崩れとか、そういう自然災害が発生する可能性がありますから、気をつけて避難してください。」繰り返し言います。なんでそんなに、そんなことはみんなわかっていることなのに、なんでそんなにおせっかいに言うのかなと思うんですが、その中に「私は騙されない」というシリーズを啓蒙番組、番組というものでもないんですが、こういうオレオレ詐欺って昔は言いましたけど、今は特殊詐欺というんでしょうか、そういうのに騙されないために、何に気をつけなければいけないかということをご丁寧に教えてくれるわけです。しかし、詐欺が詐欺として成立するのは、騙される人にいわば騙されたがっている情報を詐欺師が巧みに流すからであって、騙される側にも全く責任ないとは言えないわけですね。騙す側はもちろん悪い。こんなのは本当に悪いと思います。騙される人というのは人の良い人というか、疑うことを知らない人というか、そういううまい話に乗りやすい。そういう社会的な弱者であることが多いわけですから、そういう人の弱みにつけこむっていうのは、破廉恥極まりない。それは私もそう思います。しかし、もし十分賢明であれば騙されるはずがない。そんな話が本当であるはずがない。そう思いますよね。「あなたがもしこうこうこうであれば、還付金が戻ります。還付金が戻るためにまずお金を振り込んでください」というようなこと、ありうるはずがない。それに近い一応括弧付きですが「合法ビジネス」もありますね。「肝炎になった人、この人には還付金が戻る可能性があります。ぜひ、還付金を取りましょう。」還付金が例えば50万出たところで、そのうち半分は少なくともそういう仲介をした人に行ってしまうんだと思いますけれども、もしかしたらもっとかもしれません。

 そういうわけで、いろんなそういううまい話っていうのには、裏がある。これは、私が子供の頃から大人たちに繰り返し言われてきたことです。「必ずうまい話には裏がある」ということです。額に汗して働かなければいけない。これがずっと言われてきたことなんですが、最近の若い人は、まさにみんなに受ける動画を作る、それだけで大金持ちになれるっていうことを夢見ている。楽して儲かる方法があると信じているんですね。それがそうはならないというのを、不動産屋という、言ってみれば、日本のいろいろな業界の中で団体的に一番弱いところだと思いますね。政治的にも不動産屋組合とかっていうので、政治家に対して大きな賄賂を贈ったりしていれば、政治家がNHKの番組に対して必ず文句を言って、「こんな番組を作ったら不動産屋に対して失礼である。不動産屋の利益を無視している」と、そういうふうに怒鳴り込むところでありましょうが、その『正直不動産屋』というのはある話の流れから、種を明かしませんが、完全に正直になってしまった不動産屋がいて、虫の良いことを言う借り手に対しては、従来はおだてておだてて成約に持ち込むとしていたところが、本当のことを言ってしまい、借り手の人が、「冗談じゃない。こんなものを借りてたまるか」と言わせるとか、あるいは貸し手あるいは売り手に対して、今これをこういう形で処分すれば、例えば「このまま売ったらつまりません。アパートを建てて、固定収入をええたらいいでしょう」と。「アパートを建てるお金はどうしたらいいか。」「それは銀行から融資を受ければ、ローンを組めば毎月の支払いはこの程度ですよ。ですから毎月一定額必ず残りますからお得です。」こんなふうな言い方をするわけですが、そのセリフの裏に隠された裏の可能性、つまりそういう言葉通りにはならない可能性、それを正直に不動産屋さんが言ってしまうという話なんですね。具体的な話は番組を見て、楽しんでください。

 私が申し上げたいのは、不動産屋さんだけが悪いことになっていますけども、この世の中、資本主義社会では、全ての人が損得で動いているわけですね。損得のロジック。みんなが得したいと思っているわけです。学校に行けば、学校で楽をして良い成績を取りたいという生徒。あるいは、うちの子供に特別な授業をして、良い学校に入れてほしいと思う保護者がいるわけですね。学校から見れば、できるだけ何もしなくてもいい大学に行ってくれるような、そういう最近は“地頭”という言い方をするんだということを最近知りましたが、そういう可能性を秘めた子供たちを入学試験で取る。「最初からよくできる子集めれば、結果としてよくできる卒業生になる」というのは確率論的には極めて高い非常に簡単なビジネスモデルですよね。でも全ての学校がそのように入試をやって良い生徒を集め、そして良い卒業生を送り出す。それによって良い学校だっていうことにしているわけです。こんなの嘘っぱちですよね。よくできない学生を集めて、にもかかわらず、よくできる卒業生を作ったならば、それは立派な学校だ。大変な教育ビジネスだというふうに言えると思うんです。それだったら少々高い授業料を払っても、保護者も納得するでしょう。しかし、最初から良い学生を集めて、それが良い卒業生になったからといって、別に大したことないですね。ここで「良い」と言っているのは、いわゆる成績においてっていうことですから、人間的に良いとか人間的に素晴らしいという意味では全くありません。本当はそういうものもきちっと見る学校であってほしいっていうふうに思いますね。欧米なんかでは入学試験があったとしてもそれはいわゆる学力テストというよりは、社会人としての基礎能力をよく見るということで、学力は最低基準に合っていれば良い。学力に関しては、日本で言えば大学入試センターテストのようなもので構わないということなんです。それで全ての成績で入学を決めてしまう日本のような大学と、それはただのいわば1次選考であって本当の選考は面接であるというのが欧米の一流大学のスタイルです。

 ところで話が変わってしまいましたが、教育だってそうだって言いましたね。さっき弁護士というのもそうだと言いました。政治家だってそうですよね。投票者に向かってはいいことばっかり言いますね。この財政悪化の中で経済がたとえ成長が鈍化する可能性があるとしても、財政を絞らなければいけないなんていうふうに訴える候補者は1人もいないんじゃないでしょうか。「経済活性化、減税推進」、どうやってこれだけ貯まった国債を誰が返すのか、それについて誰も言いませんね。病院もそうです。病院に来るのはみんな弱々しい病気を抱えた人、あるいは自分が病気かもしれないと疑いを持っている人ですね。「健康診断」というのは一番悪徳ビジネスではないでしょうか。もちろん、健康診断によって病気が見つかり、早期発見によって病気の治癒ができるという場合もあることはあるのですから、完全に嘘っていうふうに言えるわけじゃありませんが、私の知人で健康診断を受けた人は異口同音に「健康診断を受けても何も言われなかった。全部合格だった。ただちょっと肥満だと言われた」という程度なんですね。それで喜んでいる。それは私に言わせれば高い健康診断を受けて、あるいは人間ドックのような高いものを受けて、本当に高いんですよね。ありとあらゆる検査、高級な検査、PETとかそんなものまで受けて、何も見つからなかったからよかったって言ってるのですが、それは完全に患者のエゴイズムですね。検査して見つからなかったからよかったって、検査して見つかったらよくなかったのかと。そんなことありませんね。本当は検査したら見つかった方がいいんですね。「それだけの名医に診てもらった。自分の病気を発見しづらいものを発見してくださった」ということで感謝しなければいけない。

 しかし、実に多くの大衆は何もないと言われてよかったと。それで10万円以上も払って喜んでいるわけです。病院にしてみれば、何のリスクもないと言いたいところですよね。つまり、健康な人の健康診断を見て、その検査データ、血液データとか尿検査データとか脈拍とか脳波とか心電図とか、そんなもの今や本当は全部コンピュータで診断がつくんですけれども、人間ではまだまだ日本では実現してないのは放射線読影の世界でしょう。しかし放射線読影だって本当に読影できる先生ってのは実は数少ないわけでありまして、大きな病院といっても、もう田舎にも都会にもインチキ病院がいっぱいあって、専門医という資格を持っている人が何人かいると、それによって加算されるんですね、病院に対して。健康保険の特別加算、その特別加算というのがものすごく大きいので、病院としては健康保険も含めて放射線の実績を大きく伸ばしたい、そういうふうに多くの病院が思っている。「そんなふうに病院が思っている」と思っている患者は少ないんじゃないでしょうか。要するに、病院が考えている利害と患者さん考えている利害が違っているんですが、その間にお互いに嘘があり、そのお互いの嘘が見破られない状態で続いているので、商売として成立しているということです。

 私は最初不動産屋さんの話から、学校の話、そして弁護士の話、病院の話、政治家、政治家の話をする途中でした。私は昔から「先生と名前がつく人あるいは先生という名で呼ばれる職業の人ことは、全部眉唾で考えなければいけない」と若い人に教えてきました。今言ったのはみんなそういう職業ですね。ですから、資本主義社会でありますから、例えば町の電気屋さんあるいは町の八百屋さん、そういう人たちも同じように利害で動いているとしても、その人たちの嘘っていうのは大したことないんですね。しかし先生と名のつく人たちの嘘というのは、これは底知れないものがあるということ。不動産屋さんは先生とは呼ばれていないですけど、それがNHKのドラマの舞台になったのは、不動産屋業界が政治的な影響力がなく、NHKのその番組を潰すことができない。そういう事情があるからに違いありません。私がかつて高く評価していた、元々NHKのBSキャスターとして出ていて、やがてNHKの地上波の方にも出るようになった非常に聡明な女性キャスターが、政治家に対する手厳しい発言でNHKから追い出されてしまって、今お見受けすることができなくなりました。そのことを残念に思っている人はたくさんいると思いますが、公共放送といえどもそんな状況なわけですね。そんな中で、『正直不動産屋』というのは、NHKとしてはずいぶん立派な番組を作ったと思います。これはドラマとして優れていると私は全く思いませんが、啓蒙主義の番組としては、変な『私は駄目されないシリーズ』よりはよっぽどまともだ、というふうに思いましたので、このお話をいたしました。

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