長岡亮介のよもやま話287「褒められて伸びるのは子ども」

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 たまたま、電車の中で耳にしたフレーズなんですが、最近の風潮を象徴しているなと思うので、皆さんにここで紹介したいと思います。それは比較的若い女の子たちの大声の会話であったので私の耳にも入ったのですが、数人の女の子たちが話している。「私ってね、褒められて伸びるタイプなの。」そういうふうに1人の人が言うと、「そうそう、そうそう」と、みんなそれに同意しているという風景なんです。褒められて伸びるということは、とても人間的なことでかわいらしいなと思うんですね。おだてる、ほめる、褒めそやす。子供に対する教育において一番重要な要素だと思うんです。一生懸命良いところを見つけて、その良いところを褒めてあげる。そのことによって、その方面の能力が一層磨きがかかる。これはよくあることですね。「何やっても駄目だ。何やっても駄目だ」と、それもいけない、これもいけない、ああだからいけない、こうだからいけない、そういうふうに欠点を指摘する。そのことによって自分の欠点を修正することができるようになる。これは大人の世界であって、子供のときというのは何もできないのですから、やはり褒められるっていうことを通じて、「あっ、もしかしたらこういうふうにすれば良いことなのか」と、子供は学習する。自然なことですね。だから、教育の極意は、私の師匠から言われた言葉ですが、「1に褒め、2に褒め、3に褒め、4、5がなくて、6に褒め。」そのくらい褒めることが大切だ。要するに、何かしら良い点がある。その良い点を発見して、それを少しは誇張しても構わないから褒めてやれということですね。幼児教育、あるいは幼い子の教育、場合によっては、中学校高等学校くらいまでもそうであるかもしれません。

 人間が長生きするようになって、成長がゆっくりになっているという説があります。昔は50歳で人生を終えた。そういう覚悟で生きている人にとっては、20歳というのは十分な年齢でありますが、80歳まで生きるということが必ずしも珍しくない時代になってくると、40なっても50になってもまだ十分成熟してない。そういうことはあるのかもしれないと思います。しかし、そのことはちょっと置いておいて、やはり、ある成人に達したくらいの年齢の人が、「私って褒められて伸びるタイプなんです」というような言い方を、自分と自分の周囲の人に対してするというのは、どうなんでしょうか。私は、こんなに甘やかされて育ってきたのか、とつい思ってしまいました。最近のはなしと関係するのですが、我が国では、子供たちが赤ちゃんの頃から始まって、それが成人になってもまだ赤ちゃんのように教育される。それが続いてしまっている。だから大人になるというための、言ってみれば大きな成長の跳躍ジャンプ、それがない。赤ちゃんのまま大人になっているということなんですが、赤ちゃんのようにかわいらしく愛される存在であるならばそれもいいかもしれませんが、いい成長した大人がまだ赤ちゃんのような知性であるというのは、ちょっと情けないですよね。やはり、成長したら「成長したにふさわしい自分自身の成長の仕方」というのを発見していきたい。人に批判されたり、あるいは批判的な意見を聞かされたりしたときに、それでもって奮起する。自分の欠点を欠点として受け止めて、それで持って新しい自分自身を実現する方向に向けて努力する。このことは動物でも当然でしょうし、人間だったならばまして当たり前の話だと思うんです。

 残念ながら最近は若い人に対する教育というのが、学校がへべれけになっているということは、非常に深刻な事態でありますけれども、中学校や高等学校、あるいは大学生になっても、学生を一人前の人間として成長させるということに成功しているところが多いとは思えない。まるで親切な先生は、中学生や小学生を教えるように大学生に対して指導している。それが親切な教育、現代の教育だと言わんばかりに、それを自慢している人にあったことがあります。実に馬鹿げたことではないか。大学生が小学生のような幼稚なままである。それで社会に送り出すということに対して、大学教師は非常に重大な責任を負っているはずなんですが、そういう責任感がない。そういうふうに子供を子供扱いしているということ。そこから脱却する。子供にとってもつらい瞬間かもしれませんし、教師にとってもつらい瞬間かもしれない。親にとっては最も大変な切り替えであるかもしれません。もちろん突然の切り替えである必要はないわけで、いろいろな意味でじわじわとした切り替えでいいんだと思いますけども、何らかの意味で、「成長させる。大人にする」、そのための教育が一番大切ではないかと思うんです。

 褒めて伸びるタイプ。それは小学校前は当然そうだと思いますけど、大学を出てもうずいぶん歳をとって社会人になっている人間が、「私って褒めて伸びるタイプなの。」よく言うわと私は陰で、こそっとこう言わざるを得ない光景でありました。どうか日本の若者が、「叱られてもくじけない、人の批判を真っ向から覆すような新しい自分の姿を見せてやるぞ」という気構えを持って、生きる。そういう時代になることはないでしょうか。困難な時代であるだけに、1人1人の若者が立派な成人として成長していく。そういう世の中の教育体制を取らなければいけない、と私は思います。何かというと、「そういうことを言うとパワハラですよ。そういうことを言うとアカハラですよ。」こういうような「ハラスメント」、アメリカでさえ使わなくなったようなそういう無責任な人の揚げ足取り、これが世の中で大手を振ってまかり通るようではいけない。本当に大切なことを本当に大切な人のために、努力して積み重ねていかなければいけない。私はそう思います。きっと皆さんも、この範囲では賛成していただけるのではないか、と期待しております。

コメント

  1. Leo.橋本 より:

    おはようございます。

    私は、今回の話を違った視点で捉えてみました。

    長岡先生の師匠は、「褒め方」が一流なのだと思います。
    その褒め方が巧みであるから、弟子も立派に成長するのだと思います。

    しかし、多くの大人は「褒め方」が三流だと感じます。
    弟子に媚を売るような態度で接する、これは三流未満の詐欺師の常套手段だと思います。

    私は、褒められたら、まずは相手を疑います。
    正直、褒められると ”つまらない” と感じます。

    先週、黒板消しで頭を叩かれたのですが、その時に “純然たる怒り” と ”健全なやる気” が生じました。

    下手に褒めるよりも、徹底的に厳しく接する方が幾万倍も良いと個人的には思います。

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