長岡亮介のよもやま話278「力という曖昧な力」

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 最近のわが国では、しきりと「力」という言葉が使われるような気がしています。力という言葉は、本来は物理的な力、あるいは軍事的な力、人を支配する力、権力、そういうようなニュアンスで使われてきた言葉だと思うんです。Powerという英語がまさにそうだと思いますが、力という概念は、元々はいろいろな意味がありました。大きく言えば二つの意味ですね。つまり、「現在持っている力」という意味と、「可能性として持っている力」、そのギリシャ語から現在の「力」という言葉が生まれてきたと言っていいんだと思います。

 物理では力という言葉を頻繁に使いますね。質量と質量との間に働く力、これを万有引力と言います。電気を帯びたプラスの電荷とマイナスの電荷の間に引っ張り合う力、あるいは同じ電荷プラスとプラスの間に反発するように働く力「電気力」、そして磁石が引き合う力あるいは反発し合う力「磁力」ですね。このような力の概念でもって、不思議な現象を統一的に説明することができるようになった物理学の、いわば人類史的な革命と言っていいと思いますが、そのような大発見以来私達は「力」という言葉を、本来その「力」という言葉が使われるべきでない、ふさわしくない場面にも気楽に使うようになっていると思うんです。よく言えば、可能性としての力、普通物理ではエネルギーというふうに言われますが、そのEnergygenya(エネルゲンヤ)というギリシャ語に由来する言葉ですね。その「エネルギーという可能的な力が、現代の産業・文化を支えている基本的な力」と言って良いのだとすれば、本当は物理学的には力の概念とエネルギーの概念というのは次元が違うわけですから、混同することは好ましくないのですけども、物理学では、自然科学が成立するまで、多くの人々が曖昧に使ってきた「力」というものを精密に分けることに成功したわけですね。力、慣性inertiaというものも力と言われてきたんですが、慣性っていうのは、例えば運動量という概念によって、私達はそれをきちっと切り分けることができるようになった。

 力という概念が精密に分解された現代でも、依然として私達は、現代的な「力という概念」の持つすごさを感じながら、その言葉を非常に曖昧に使っていると思うんです。物理的なエネルギーとか、物理的な力とか、物理的な慣性とか、そういうものに翻訳可能なものはそれはそれでいいんですが、翻訳不可能なものはある。その典型が、学力というやつですね。「学力」基礎学力があるとかないとかよく言いますね。あるいは学力試験という言葉もあります。学力っていうのはどういう力なんでしょうか。どのようにして諮られるものなのでしょうか。そういう根本的なことを考えることなしに、学力って言葉を使っている人が多いと思います。私自身は、「学力」とは読んで字のごとく「学ぶ力」、その人自身が独学でどんどん知識をつけていく、知識を深めていく、そういう「可能的な力Potential Energy」ですね。そういうものに学力という言葉を使うのがいいと思うんですが、どうも使っている人の多くの用例を見ると、基礎学力があるとかないとかっていうのを、若い子供たちに向かって判定する。そういう先生がたくさんいる。あるいはそういう親たちがいる。私はおかしいと思うんですね。基礎学力って何のこと? 多くの先生が話題にしているのは、基礎的な知識のことのようです。そんなもの学力でも何でもない。インターネットの時代においては、とりわけつまらない知識、あるいはちょっと進んだ知識、それも含めて全部つまらないわけですね。そういう「つまらない知識をつまらないと言うことのできる、真の知識を求める力」、これが私は学力って言うんだと思うんです。

 同じように、私が最近変だと思うのは、「スポーツの持つ力」、こういうことを言う人がいます。スポーツの「人を感動させる力。」確かに素晴らしいアスリートの、素晴らしい演技を見てすごいなと、そういうふうに思うことはいっぱいあります。私なんかも少々ゴルフをやっていた時代がありますから、タイガー・ウッズのプレーをテレビで見たりしても本当にびっくりしました。こんなことがゴルフにおいては起こるんだろうか。あり得ないんじゃないかと思いましたけど、そのくらい驚きました。でもそれを見て、私がタイガー・ウッズに近づけるわけでも何でもないし、それを見て感動したからといって、自分がゴルフコースに出たときにそのタイガー・ウッズの姿を頭の中に描くわけでも何でもない。私とは別世界の話なんですね。サッカーとかラグビーとか相撲とか水泳とか、どんなスポーツ見てもすごいなと思いますけど、それで感動したっていうことは私はありません。本当にすごいなと感心する。だけど、私がそれに接近できるわけではない、と私はいつも思うんです。当たり前のことですよね。スポーツの練習も何もしないで、単にそれを見ていて、自分がスポーツをやるアスリートと同じようになるはずがない。ごく当たり前のことだと思います。それを、スポーツの力、スポーツが持つ力と。おそらく「スポーツが持つ力」ということを言う人たちは、それによって得られる経済的な収入いわゆる経済効果というものが大きい。人が集まり、それによって物が売れ、売り上げが上がって、潤う人がいる。そしてその潤いが、アメリカの新保守主義の人たちだったならばトリクルダウンというでしょう。みんなに波及していく。そういう効果が大きい。だいたい、オリンピックとか、ワールドカップとか、そういう大きな催しをやりたいと思っている人たちは、本当にスポーツが好きなのではなくて、スポーツで儲けようと思っている人たちなんだと思うんですね。万国博覧会にしても似たようなもんだと思います。私はおしなべてそのようなものに対して非常に悲観的です。なぜならば、本来の意味でのアスリートの汗と涙、それを商品化してしまっているからですね。アスリートの素晴らしさを素晴らしさとして称える。それは結構なことだと思うんだけれど、それを商売に結びつけている。そういうところが、一種の価値観の、私の昔の好んだ言葉で言えば「疎外」、スポーツの疎外、あるいはアスリートが強いられる疎外、そういうもんだと思うんです。

 「音楽の力」ということを言う人もいます。「音楽は人々に平和をもたらす。」そうでしょうか。私は、「音楽は人々に感動をもたらす」、この言い方はかなり正しいと思うんです。音楽はときとところを超えて、人の心を一つにする。一つにまとめる。一つに本当にまとまっているかどうかわかりませんが、多くの人が同じように感動するということ、これはありうる。本当に心が一つになっているかどうかわかりませんけど、その音楽を通じて人々がみんな感動している。その感動が同じかどうかわかりませんから、共有するというふうに言うのはおこがましいかもしれません。演奏家の人たちが理解しているほど、音楽に深く理解を及ぼしているかどうかわかりません。でも、何となくみんな涙を流すほど心を揺さぶられている。そういうことが同時に起きるっていうことは十分ありますね。それを広い意味で音楽を理解するとか、音楽で人々が繋がるというのではなくて、人々が音楽を通して感動する時間を共有する。そういう言い回しであれば良いと思うのですけれど。最近の我が国では、音楽の力を信じて頑張りましたとか、音楽の力を信じて頑張ってください。こういうことを平気で気楽に言う人がいる。私は、そんなに簡単ではないんじゃないかと思うんですね。ちょっとひねくれているかも知れないと、言われることを承知の上でお話しているんですが、私達は、人間としてものすごく大きな連帯、人類の連帯というものに憧れながらも、それから遠く隔たった現在の状況にも目を向けないとならない、という不幸な時代に生きているということです。いつの時代でもそうだったのかもしれません。決して理想的な平和な状況というのがあったというわけではなかったかもしれない。

  Pax Romana ( パークス・ローマーナ )ローマの平和という時代、Pax Americana ( パークス・アメリカーナ )という大きな戦争がない時代もありましたけれども、決して世界全体が本当に平和であったかどうか。これは、詳細な検証を要求されることだと思います。ですから、そういう意味では、本当に平和な時代っていうのはなかったのかもしれない。むしろ紛争状態というのが巨大化しないで続いてきた、という程度のことかも知れないと思いますが、それでも人々が笑顔で、毎日を過ごす。そういうことが多い時代がいいですよね。私達の時代は、本当に涙に泣き暮くれて、人を憎しみ切って、復讐を心に誓って生きている。そういう本当に惨めな人生が、そういう人生を強いられる日々がある。それも、遠くでではなくて、小さくなった地球においてはすぐ隣で、すぐ横で、そういう悲惨な時間が送られているということを、忘れてはならない。そして、そういうことを少しでも遠ざけるために、スポーツの力、あるいは音楽の力、芸術の力、そういうのが力を発揮するならば、それは素晴らしいですね。オリンピックにしても、私はあれほど馬鹿馬鹿しいものはないと思いますが、それがつかの間であっても、世界の平和のために貢献するのであれば、それもやむを得ない出費だなと、そういうふうに思います。

 しかし、むしろオリンピックは、国際的な憎しみ合いを増大させるという役割しか果たしていない。そして、実際上は一部の人の懐を肥やすという目的に使われている。だとすれば、そのスポーツで感動をもらったとかと言って喜んでいる国民は、よく言えば人が良い。悪く言えば阿呆ということになるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

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