長岡亮介のよもやま話273「過激派活動家の死に際して心に浮かんだこと」

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 今回は、皆さんが大変に驚いた最近起きた事件について、私自身が考えていることは世間の皆様とだいぶ違うと思いますので、そういう違った意見も聞いてほしいという願いから、あえてこの話を取り上げたいと思います。このお話というのは、えらく昔の話になりますが、爆破事件というのを起こして、テロリストという名前ではありませんけれども、極悪非道の犯罪人として長い間指名手配をされていた、よく地下鉄なんかの駅で、その人の顔写真を見たことのある人が多かったと思います。その人がずっと隠れ通していた。社会の陰に隠れてひっそりと生きていたわけですが、重い病気を患って、その病気で亡くなるわずか数日前に、自ら意を決して自分の過去を告白して、驚いた警察があたふたといろいろとしたということであります。ある意味では警察が最後の最後まで追い詰めたという言い方もあるかもしれませんが、私から見れば、見事警察の目を全て掻い潜って、この監視社会の中で最後までしぶとく生き抜いた、というふうに言うこともできるんではないかと。警察の無能ぶりをみんなに明らかにしたという意味で、非常に衝撃的な事件として、受け止めるべきだと思うんですが。私が申し上げたいのはそのことではなくて、彼が歩んだ人生の重荷について、私が想像するときに、私自身は気の毒であったと言わざるを得ない。つまり、日本において、そういう爆破事件のようなテロリズム行為をすることによって何が得られるか、ということを考えたときに、それが全く無駄な暴力でしかない。犠牲者が大きく出なかったということは幸いなことであったと思いますけれども、万一それで人の命が多く失われるというようなことがあれば、それは大変に非道な犯罪であるというふうにレッテルを貼られて仕方がないことであると思います。

 テロリズムというのが、追い詰められた側の最後の抵抗運動として重要な意味を持つということは、いろいろな国際情勢を考えても皆さんがおわかりになることだと思いますが、しかし国家権力にとっては、テロリズムというのは、その国家権力の基盤を脅かす非常に危険な行為ですから、テロリストに対して先進各国の政府が団結して容赦ない対応を取ろうという立場をとるのは、理解できないわけではありません。一方、体制側に追い詰められた、権力に追い詰められた側が、最後の抵抗としてテロリズムしかないという決断をするまでに追い詰められる、という状況もわからないではないわけです。そのテロリズムによる犯罪が起きないように、我々が日常的に何ができるかということを考えることは、とても大切だと思いますが、テロリズムに対して絶対反対というような意見を言うのは、「全く自分たちの生活に、日常の生活に不満を感じてない。平和な世界の中で生きていると思っている。自分たちの豊かな生活が誰の犠牲の上に成り立っているんでもない。もしかするととんでもない犠牲者の上に自分たちの幸せが築かれているんだということを考えたこともない。」そういうような人々であるならば、テロリズム反対と、言うこともわからないではありませんけれど、テロリストの追い詰められた立場というものに、少しでもその人たちの考えに歩み寄ってみようと思えば、また違った世界がみんなに見えてくるはずであると思います。

 イスラエルとパレスチナの間の戦闘は未だに終結が見えず、非常に重苦しい日々が続いておりますが、皆さんは、ハマスという勢力がテロリスト集団というふうに国際的にレッテルを貼られているということもご存知でありましょう。しかし、パレスチナガザの人々は、自分たちの政治的な代表を選ぶ選挙で、ハマスを選んだわけです。なぜでしょう。それは、自分たちの生活の不安を、苦しみの中で心から心がこもった援助をしてくれたのが、ハマスに属する人々であったからなんですね。ハマスの人々の献身的な活動がハマス政権を生んだわけです。それくらいガザの人々は、そういう過激派であっても、最終的に自分たちのことを考えてくれるのは誰か、と考えたときにハマスを選んだ。そういう経緯のことを思うと、ハマスをテロリストというふうにレッテルを貼って、そしてそれを弾圧すればいいという先進国の立場、それと隣接して危機感を感じているイスラエルはまた独特の感覚を持つのは仕方がないと思いますが、先進国がハマスをテロリストだというふうに決め付けて終わりにするというのは、ひどい話であると思います。同じことはイエメンのフーシ派についても言えるわけです。ただ私自身は、イスラム過激派と言われる人々、あるいはイスラム原理主義者と言われる人々、そういう人々はイスラムの本当の教えを深く勉強するという機会を与えられてこなかった、ものすごく虐待された環境の中で育った、そういう人々であったっていうことを、私達はあまりにも無視しすぎているのではないでしょうか。イスラミックステートにしても、ヒズボラにしても、ハマスにしても、基本的には本当に勉強する機会を十分に与えられてない人々だと私は思うんですね。本当は、イスラム教において意味が違う。イスラム教をよく勉強する人というのが過激派というのと同じ名前で呼ばれているのは、私達の無知によるところでありますが、そのこととちょうど対照的に、イスラム社会のいろいろな様々な事柄について私達があまりにも無知であるということ。そして、その社会の中で、自分たちが抑圧された環境を何とかするための話し合いの力というのを持つような、深い知性を身につける機会を十分に与えられたとは思えない、非常に単純素朴に自分の信念を行動に移している。そういう人々に私は見える。

 それと同じようにして、最近亡くなった元過激派、指名手配であったその人が生きた人生のことを重ねて見えてしまう。彼にそのような人生を選ばせたのは何だったかということを思うと、私は結局のところ私自身もその活動家の1人であった全共闘運動というもの。それの持っている、私達はその暴力主義を非常に精神的な暴力主義、つまり象徴としての暴力というような言い方を好んでしておりましたが、そういう暴力行為の中で、それが精神的であろうとなかろうと、それが機動隊の本当に野蛮な暴力の前に、言ってみれば戦いの表面だけを見れば負けていく。そういう姿を見る若者の中で、十分な歴史的な教養、社会的な教養あるいは宗教的な教養を持たない人々から見れば、正義が権力の悪に対して力なく弾圧され、そしてやがて殺される。そういう負け戦をしているというふうにしか映らなかったんだと思うんです。私達は、私達が機動隊の暴力を引き出したということを、権力は私達のことをそれだけ恐怖している。これが、私達が明らかにしたことで、それは私達の運動の勝利だというふうに私自身は考えていたんですけれど。そして私のように考えていた人はいっぱいいると思うんです。私達は、負けることによって、あるいは私達の命が奪われることによって、私達の思想の普遍性を人々に訴えることができる。そういう逆説の中に私達の青春があったわけですが、私達はそのような青春像を示すことが若者たちに対してどのような意味を持つのか、という問題についてあまり深く考えてこなかった。その若者たちも、私達と同じように象徴としての暴力、負けることによって勝つという政治的な思想、それを共有できると信じていたんですが、それが全くそうでなかった。確かに、全共闘運動の中にも断固粉砕とかそういう非常に厳しい言葉があって、言葉を文字通り解釈した、あまり教養豊かとはいえない青年たちが単純な暴力主義とそれを誤解したというのは十分可能性としてあることで、それに関しては私達自身もそういう若者たちを巻き込んでいるということに対して、ためらいや反省や躊躇そういうものがあるべきだったんですが、私を含め私達の世代の多くの活動家は、そのような人々が加わってくるということで私達の団結の輪が広がる。こういうふうに、ただ楽観的に見てしまったんですね。

 その後、様々な過激な運動の過激派、つまり過激な運動がますます暴力的になる。その中には、京浜安保共闘であるとか、いろいろなもっとより大きな事件で有名になったグループもありますけれども、基本的には本当に社会の変革というものに対して、全くきちっとした深い洞察に基づいて行動を起こしているというんではなくて、もうこの戦いは武力的に勝つより他ない、こういう単純なロジックそのものを掲げて、まさに今のイスラム過激派のと同じように、行動だけを過激化していってしまったということがあるのではないか。そう思うと、私はますます暗い気持ちになるわけです。本当に申し訳なかった。私達の軽はずみな言動が、こういう若者の人生の原因であったんだ。そうであったに違いない。私達はもっと、私達は今後私達の戦いをどのように継続すべきか、このことについて、もっとわかりやすい言葉で、もっと明確な言葉で、もっと論理的な言葉で、もっと洞察に富んだ言葉で語るべきであった。私達は、私達の運動が、言ってみれば武力的に敗北したときに、それによって沈黙するという方に行ってしまったわけです。私達自身が考え抜くということがまず第一で、考えている私達が考えると同時に、私達の活動をどのようにそれを受け止めるかという若い世代のことを考えて、情報発信をするということに関して、少なくとも私自身は極めて無責任であったということを反省しています。そういうふうについ思ってしまうわけです。おそらく多くの私と同世代の人はそうなんだと思いますが、結局のところ徹底した対立が権力によって弾圧される。それに対して勝利するときに、大衆が、人々が、人民大衆が、権力に対してみんなが否定的になる。そういうふうになれば、どんなすごい権力であろうとも、警察や軍隊の力で抑え込むことはできない。警察や軍隊でさえ味方になりうる。そういうストーリーがあるはずですね。

 国際的にはまさにそういうことによって、様々な国の中での大きな対立が生まれ、政治権力が交代する、あるいは倒れるということが起きている。でも政治権力が倒れた後も、平和がすぐにやってくるわけではないというのは、北アフリカの状況を見ても、明らかありますね。そういうことを広い視野でしっかりと捉え、私達の運動がどのような将来に結び付くのか、それを考えなければいけなかったのに、私達はそれをしなかった。そのことが、いわゆる運動の過激化というものを生み出し、あまり勉強をした経験を多く積んでない、深く積んでない若者を、単純暴力主義へと追いやってしまった。みんな誠実に自分たちの思想をきちっと生きるということをやったんだと思うんです。その自分たちの思想を、正直に誠実に生きるということが、過激な行動を断固行うというふうに、今のイスラム圏の若者たちの一部に見られるような、そういう一途ではあるけれど、しかしその行動が本当に人間の幸福という普遍的な価値に結び付くかどうかについての深い思慮を欠いている。復讐戦のようなものを聖戦という言葉で飾って済ませてしまう。そういう若者たちと同じことが日本でも起きてしまった。てそれはひとえに、私達がきちっと自分たちの後輩に対してメッセージを送らなかったからではないか。教育はこういう点でも、あるいはこういう点でこそと言うべきかもしれませんが、大切なものなんだと思います。今日はちょっと湿った話でありますが、私が耳にするニュースがあまりにも表面的な情報を追いかけているようですので、それに対する反発心もあって、こんなお話をさせていただきました。

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