長岡亮介のよもやま話270「括弧記号について(ご質問にお答えして)」

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 ちょうどタイムリーに橋本さんから括弧についての言及がありましたので、数学の記号について敷衍(ふえん)させてください。私も数学の多くの記号の中で、括弧が一番重要で、そのことの重要性がきちっと理解されていないことは大変残念なことだと思っております。括弧について小括弧・中括弧・大括弧のように厳格な区別を教えるということは全くナンセンスで、それらの括弧を区別するのは便宜上のことに過ぎません。これらの区別があった方が見やすいことが言えるけれども、論理的には小括弧さえあれば十分であるわけで、実際コンピュータ言語では、いわゆる括弧記号というのは、小括弧に限定されている。中括弧とか大括弧の記号も使いますが、それは別の意味においてであるということが言えると思います。

 一般に、括弧はなんのために必要であるかというと、その区切りを表すためでありますね。例えば、「A+B×C」と書いたときに、A+Bと計算して、それにCをかけるということなのか、それともA +B×C 、B×Cが先なのか。普通は、私達は「掛け算の演算を先にするという演算の規則」についての結合力の強弱の順序というのを定めているので、強弱の順序が同じときには左から、強弱の順序が違うときには強い方から先にやる。こういうルールがあるわけですね。そういうルールをマスターして、それを使いこなせるようになるというのは、教育のおかげで、その教育を通して煩雑さを避けることができる。不必要な煩雑さを避けるというのは、数学的な知恵ですよね。いつでも論理的に完全であることが大切だということは、数学的にはあまり正しくない。数学者はさぼることが誰より大好きですから、できるだけ良いルールのもとで、簡潔に記号を使って正しく伝えたいとそういうふうに思います。ですから、括弧記号は、本当は不十分なくらい饒舌に使っても間違いではない。だけど、ときには無駄な括弧にいちいちこだわるのは馬鹿馬鹿しいというだけの話ですから、誤解の余地がありそうな場合には括弧を付けるというのは、当然のことなんですね。

 橋本さんが御指摘の制限関数signに関して言うと、sign Aというときに、日本ではラージAというのがどういうわけかイタリック体というふうになっていましてね。signはローマン体ですね。縦の活字、斜めに傾いてない。それに対してAって言うときは、斜めに傾いているイタリック体を使うというのは一般的なのですが、これは日本の数学教育の独特の習慣でありまして、本当は橋本さんが指摘されているように、sign (A)、そういうふうに書くべきであると、当たり前なんです。そうしないと、signとAの間に、微妙な隙間があるんだけど、「その微妙な隙間によって、Aという角に対するsignの値である」ということを理解させようとする。無茶なんですよね。本当は、諸外国はそうですが、sign (A)、これは当たり前の話なんです。

 前回お話した日本の幾何教育の国際的に見ての特徴とも言え、また弱点とも言えることは、例えば三角形の頂点を表すときの記号と、三角形の頂角の大きさを表すときの記号を、片方は立体的なAを表し、片方はイタリック体の傾いたAで表す。こういう暗黙のルール、それを皆に守らせるっていうことです。私はもっと腹立たしいのは、sign A、sign (A)でもいいですけど、その2乗を表すのに普通だったらば、(sign A )、つまりsign Aというものの全体の2乗と書くべきなのに、日本の教科書ではどういうわけかそれをsignA、と書く。そういうルールをお仕着せがましく約束していますね。こういうふうに書くと楽だから便利だからと言うんですけど。皆さんがちょっと勉強すると、関数の合成とか写像の合成とかっていうのを勉強する。関数f(x)っていう記号は、外国では“エフオブエックス”というふうに英語圏では読むのが普通なんですが、そのf(x)というのは、この記号を最初に使い出したレオンハルト・オイラーっていう大天才の数学者が最初に関数記号を使い出したときには、ただ、fxと括弧を使わずに書いていた。しかし、その括弧を使わずに書くと、そのfxのxのところにx+yとかって書くときに、fx+yと括弧を使わずに書くと、すごく違和感ありますよね。私達の関数記号を使うときにそのxのところに別のものを代入したい。その別のものとして、特に重要なのは別の関数に置き換えるっていうことなんですね。そういうときに括弧記号っていうのはないと不自由でしょうがないので、省いてもわかるだろうっていう場合に、つまり1元数関数の場合f(x)というときには、オイラーがやったように括弧を省いて書いて構わないはずなんですが、しかし、そういう場合でも括弧をつけている。だったら、なんでsignという重要な三角関数を教えるときに、sign (x)、そういうふうに書かないのか、実に不可解ですし、signっていうのがf(x)と同じように関数記号であるならば、その関数を2乗するというのは、普通は関数の合成の意味になってしまいますから、sign2xを書くと、sign (sign(x))そういう関数と誤解しちゃうんですね。皆さんは、もし数学に勉強の余裕がある人は、ぜひy=sign(sign(x))、 signがダブる関数のグラフと、sign (x)の2畳、普通に教科書なんかにはsign2xと書かれているもの。それとのグラフの違いを調べるという勉強を、課題として取り組むといいと思います。

 本来ならば、関数の合成を知っている人ならば、sign2xなんて書き方は絶対できない。なのに、今はその不条理な用法を子供たちに強制しているのが、日本の学校教育でありまして、こういう数学教育にしか通用しない不条理、これはあげるときりがないほどたくさんある。というわけで、私は前回お話したように、数学記号でつまずく人がいるとすれば、それは君たちの責任ではなく、私達の責任だと。教える側がさぼっていることの責任、教える側が自分がさぼっているということさえ自覚してない。そういう善意の犯罪ですね。悪意なき犯罪だから許されるわけじゃない。悪意なき、つまり善意に満ちた誤謬というほど人を誤らせる原因となることは、比類がないと言ってもいいくらいなもので、私達多くが悪意なく犯している過ちについて、「数学嫌いだ。特にあの記号は嫌いだ」という人に、私が数学者を全員を代弁するのもおこがましい話ではありますが、深く深くお詫び申し上げたいと思います。

コメント

  1. Leo.橋本 より:

    早速のお返事、本当に感謝致します。 そのような ”暗黙のルール” を検定教科書に記して欲しいと思いました。 早速、2つの関数の研究課題に取り組んでみます。

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