長岡亮介のよもやま話267「難しい国際情勢について早計な判断を慎む配慮の大切さ」

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 私は時々、日本人があまりにも自分勝手だ、というふうに感じることがあります。それは、特に国際情勢に関して、自分が歴史的な経緯を知らないということを全く無視して、自分がまるで国際情勢のいわば国際司法裁判所の裁判官であるかのように、どちらが悪いということを気楽に述べる。そういう習慣が私達国民の中に深く根付いているということに関してです。実は最近、大変残念なことに私の決して遠くない関係者が、ちょっとした集まりの中で、ガザ地区を巡る政治的な混乱に関して、「あれはハマスが悪いんでしょ。」その一言を発したことでした。ガザ地区という非人道的な環境を解決するめども立たず、じりじりと追い詰められていくガザ地区の人々の生活。そして、そのガザという地域が成立した歴史的な経緯、そういうことも全く知らずに、「ハマスが悪いんでしょ」のたったその一言で解決した気になっているということに、非常に深い悲しみを感じました。

 そのような傲慢な態度では決して、国際情勢を、難しい国際情勢を、その中に入って対立を解決するために調停する努力をするというような役割は果たせるはずがない、と思うのですけれど。まず、調停のために大切な、平和のために働くために必要な最小限の歴史的な認識。そして、自分のこの歴史の中で、払われた様々な犠牲、流された血・涙、そういうものに理解を全く寄せることなく、どちらが正しいというふうに判断して終わりにする。この態度は、客観的に見えて、自分の主観がそもそもひどく偏っているということに気づかないという意味で、客観的でないどころか傲慢だと私は思うんですね。ガザ地区の大きな病院に落ちた爆弾を発射したのがイスラエルであると断定している人がいるのですけれど、戦略性に長けたイスラエルが自ら国際的に不利になるような作戦を取るのは不自然であるということを考えることは、イスラエルの戦略性がいかに周到で綿密でときにこずるいものであるかということを知っている人間には、当たり前のことなんだと思います。しかしながら、よくわからない報道を自分で一方的に判断して終わりにしている。これはさすがにまずいのではないでしょうか。

 そしてもっと残念なのは、つい先ごろまでずっとウクライナの南部戦線がどうなっているか、そういうニュースばっかりに占有されていたというくらいの状況であったテレビ局の報道が、ニュース番組がほとんどガザ地区の話に集中している。中東の問題を考えることは、ウクライナの問題と同様に、やはり長い歴史を踏まえる必要がまずある。その歴史を踏まえた上で、「やってならないことはやってならない。やるべきでないことはやるべきでない」ということを双方が納得する形で提案するということが、私達に求められていることであり、人々の悲惨を少しでも減らすために、私達が何とか努力しなければいけないことであるのだと思うのですけれど。私達自身の責任を棚上げして、当事者の一方に対して一方的な肩入れをして、自分でその問題を解決した気になっている。こういう日本人の態度は、国際的な社会から見れば、全く野蛮な、あるいは野卑な無教養な国民性だと非難されても仕方がないレベルではないかと思うんです。

 私達は、ますます難しさを深める国際情勢の問題に対して、その難しさが解決に向かうどころか、ますます複雑な厄介な問題へと発展しているということ。その日々の動向を追うだけではなく、その日々をもたらしている歴史的な経緯、現在の政治情勢、そして少しでも自分たちさえ有利になればいいと思う人間の非常にさもしい卑しい性(さが)、そういうことに思いをはせて、できるだけそういう人間の卑しさ、貧しさが表に現れないように、反対に、人間の清らかさとか、潔さとか、他の人々への連帯、そういう気持ちが表に現れるように、できることを少しでもやっていかなければいけないと思うんです。

 私の言っていることは当たり前すぎて、そんなことは当然だと。「要するに、どうやったら解決できるんだ。その解決策を示せ」とおっしゃる方がいるかもしれません。こじれた問題を解決することは、本当に難しいことなんだということです。日本では“ボタンの掛け違い”という気楽な表現がありますけれども、歴史的な経緯によるところのねじれた問題を解決するということは、その何重にもかけ間違えたボタンをどうしたら解決することができるかという問題でありますから、容易でないっていうことをまず理解しなければいけないと思うんですね。それと同時に大切なのは、人道的にあり得ないことは、やはり絶対あり得ないんだということ。人道的な精神に反する行為は、いかなる理由であろうと許されるべきではないんだということ。そういう基本的な原則を踏まえながら、しかしお互いの意見をちゃんと聞くということがとても大切なのではないか、と考える次第です。

コメント

  1. Leo.橋本 より:

    もし、政治や戦争に”絶対的な悪”が存在するとすれば、300年前に戦争なんか消滅していると思います。

    歴史を学ぶことの大切さ、数学を学ぶことの大切さを、改めて感じました。

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