長岡亮介のよもやま話262「とても嬉しいと感じた一言」

*** コメント入力欄が文章の最後にあります。ぜひご感想を! ***

 私自身が体験したとても嬉しいことについてお話したいと思います。人間の本性が良いものであるか悪いものであるか。そういうことについて結論的にどちらかであるというふうに決め付けるのはナンセンスであるという話を前にしましたが、私が昨日した経験はまさにアンネの日記の著者アンネフランクが日記の最後に書いたように、「でも人間の音声は本当はとてもいいものだと思う」という言葉のような、そういういわゆる性善説というふうに分類される類の陳腐な哲学の、しかしリアルな体験でありました。その体験というのは、ある田舎の人の集まる場所で、そこにやってきた母と娘、娘といってもまだ学校に行ってないくらいの小さな女の子。お母さんは何かすごくいろいろなことに頭を悩まされているのか、子供の話をちゃんと聞いていませんでしたけれども、その母親に捨てられている子供が発したセリフがあまりにも素晴らしくて、皆さんにもお伝えしたいと思った次第なんです。

 それは、「母ちゃん、ここに野菜が売ってるよ。よかったね」というフレーズでした。たったそれだけだったんですが、その少女が多分母親が野菜が買えずに困っているということを知っていたのでしょう。自らそこに野菜売り場があるということを発見して、その喜びを母親が喜んでくれるに違いないと思って、発したんですね。今は“かあちゃん”っていう言い方もなくなってしまっているだけに、私の心にも非常に強い印象を残す場面であったんですが、その女の子は子供ですから、そんなに野菜が好きかどうかわかりません。でも母親が一生懸命野菜を買わなければならないけども、今日はもう買えなくなってしまったと、そういうことをぼやいていたのではないでしょうか。そういうおそらく背景があって、野菜を売っているという光景をいち早く見つけたその小さな女の子が、「母ちゃん、野菜売ってるよ。よかったね」って、本当に嬉しそうに言ったんですね。私はそのときに人間というのは、やはりこういう素晴らしい存在なんだ。そういう面も忘れてはいけないんだとつくづく思いました。自分が野菜が食べたいのではない。お母さんが野菜を必要としている。そのお母さんの姿を見て、野菜を売っている売り場を最初に発見した少女が、その発見の喜びを母親に伝えたい。母親はどんなに喜ぶかわからない。そういう期待感の中で、子供が発したのがそのセリフでした。残念ながらお母さんの方はすごく忙しかったのか、その言葉には反応しませんでした。でも私は振り返って少女の姿をずっと見送っていました。昔であったならば、私は自分に子供や孫がいれば、そのお嬢さんを何とか自分の息子や孫の奥さんにしたいと思い、その家に日参したに違いないと思うくらい、私にとって嬉しい出会いでありました。

 人間が、自分が楽しむために、自分が食べたいものを見つけて喜ぶ。それは動物でもそうなわけですけど、人が喜ぶであろうことのために、自分も嬉しく思うというのは、まさに人間的な人間にしかない感情なんだと思うんですね。人のためにこそ、自分が生きていることの意味があるんだということ。そのことをもう少女は十分によく知って、それを証明する生き方をしているということに、私は本当に心の底から感動したわけです。いろいろ暗いニュースがあり、その暗いニュースを巡る人間模様を見ていても、実に人間を情けない存在であると思いますが、そういう情けない行動をする動物は、人間だけなんですね。自然の中では弱肉強食の厳しい論理が働いて生きていますけど、その弱肉強食の論理の中でこずるく生きてるっていうのは人間だけで、みんな他の動物、他の生物みんな自分自身のために必死に生きている。でも、自分の同僚のために生きるということができるのは、おそらく人間だけなんだと思います。動物も家族を作る、仲間を作る、縄張りを作るというようなことで集団生活を送っているようですが、それと人間が自分の周りの人たちのために、周りの人たちが喜ぶために、自分自身が喜ぶということ。これは原始的な形では動物にもあるんだ、植物にもあるんだという人がいるかもしれないけれども、本当に人間的な感情の自然な発露として、それを持っているのは人間だけなんだと思います。

 「人間の人間に対する真に人間的な関係」という有名な言葉を、そのときに私はふと思い出して、そうだ、「これが人間的な、真に人間の人間に対する人間的な関係なんだ」と思いました。今、家族の問題もいろいろと複雑な要素があって、その田舎の少女のように生き生きと親子の繋がりを楽しみながら生きているというのは、もしかすると例外的なのかもしれないとも思いますが、それくらい素晴らしい人間関係が実際には存在しうるし、存在しているんだということ。それを目の当たりにして、とても嬉しく思い、皆さんにお話したいと思った次第です。

コメント

  1. Leo.橋本 より:

    長岡先生は、きっと自分のお母さんに愛されていて、そして愛しているのでしょうね。

    僕は、なかなか母親に対して素直になれません。でも、本当は好きなんです。
    こんな大切な事を、また思い出しました。

    その少女と、長岡先生に感謝致します。

タイトルとURLをコピーしました