長岡亮介のよもやま話260「私に縁があった方々へのお願い」

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「事務局からコメントをいただいた」という連絡をもらった直後に、また「他にコメントがありました」という連絡を受けて、これを引き続いて録音しています。中島さんという方から、私がラジオ講座や駿台予備校以来いろいろなところで、接触を持ってきたということで、まずはでも私がもしかしたら授業を担当したのかもしれません。そしてその後いろいろな大学で、工業・理科・数学・情報の免許を取ったということで、ずいぶんこれだけたくさんの免許を取るのには、最近の制度ではご苦労があったことだと思います。それだけせっかく免許を取ったならば、ぜひ教員として活躍してもらいたいと思いますが、その際にやはり何といっても、多くの教科に渡って総合的に学習するという態度を養っていただくのに、ぜひ力を注いでいただきたいと私は思うんです。というのは、今の中学や高等学校では、理科とか数学とか、あるいは工業とか情報とか、そういうものが、別々の先生によって教えられている。教わっている側は、たったの3年間で、それらの科目を含むもっと遥かに広い科目で多くのことを勉強することが期待されているのに、先生たちはたった1教科、下手するとその1教科の1学年分を、何年間も何年間も教えている。よく言えばベテランになるということですが、悪く言えば完全にマンネリになってしまうということもあるんではないでしょうか。

 子供たちがたったの3年間でマスターすることを、先生方は何十年もやっている。何十年もやっているからこそ、初めてわかる深い理解、あるいは子供たちのつまずきの中にある非常に深い哲学的な問題に気がつくということは大いにあると思いますが、教科書を教科書通りに教えている。あの本はどういう特徴がある。この入試問題はどういうふうに解けばいい。そんなことばっかり教えていても、それは所詮子供の話に過ぎない。私は、学校の先生になる人は、学校で習ったこと、専門としてしっかり勉強したこと、それを含めて、総合的に教える。特に私は今願っているのは、せっかく数学を勉強しているのに、数学が現在の生活、例えば光学エンジニアリングの世界とどのように結びついているか。本当はより近くは、物理や理論化学を始めとして自然科学と深く結びついている。今はAIのようなものがもてはやされていますが、数学的な原理としてはAIっていうのはものすごく単純なことでありまして、それほど深いものではない。ただ人間がやるには気の遠くなるような膨大な情報処理を、コンピュータにやらせることができるということ。それによって、言ってみれば文化的な大きな革命になるのではないかと期待している人もいるのですが、私は本当の革命は、少年時代あるいは少女時代から、総合的な教養を身につけるということが、学校において実現される。これが、本当の意味での現代の革命だと思うんですね。今はそういうことができる時代に入ってきているし、逆にそういうことをやらない限りは、学校教育には意味がないということが突きつけられている。そういう時代なんだと思うんです。単に数学、単に理科、単に物理、単に情報、そういうような授業をやっても全く意味がない。国語、英語、数学、理科、社会、技術、体育、美術、音楽、そういった様々な、いわゆる「専門教科」と、私は括弧付きで専門教科って言葉を使うんですが、本当はそれが専門であってはいけない。専門というのはいろんな訳があると思いますが、最近はプロフェッショナルという言い方がしきりになされています。前にも触れたことですが、プロフェッショナルということは「職業的」ということでありまして、「職業的に勉強する」というのは、あまり中学校・高等学校のときには好ましくないんですね。中学校・高等学校のときには人間の持っている全能力、それを引き出す。その可能性を秘めた子供たちに対して向かっているわけですから、ありとあらゆる能力を引き出すように総合的なアプローチこそが必要なんだと思いますが、科目に分断された個別的な知識をいくら積み重ねても話にならない。

 高等学校になりますと、自然科学の物理や化学は多少なりとも演繹的な体系になります。しかし、それでもまだまだ十分とは言えないと思うんですね。物理を勉強するときに数学を使うので、予備校に来てびっくりしたっていう人が結構いるらしいんですが、数学を使わない物理を教えているということ自身が、あり得ないことでありまして、まさに近代の物理学と訳されているもの、アリストテレスの時代には自然学というふうに言われたものですが、そのPhysicsというのが、近代的な物理学に生まれ変わったのは何故であるか。それは、「自然を描写するときに、数学的な議論に持ち込むことができるんだ」ということの発見で、これがすごく大きかったわけです。「哲学は宇宙という偉大な書物の中に書かれている。しかし、その書物は数学の言葉で書かれ、その単語は数学的な単語である。したがって、数学の単語を理解せず、数学を理解しなければ、宇宙という書物は、たった1行たりとも解読できないであろう」と言ったのは、Galileo Galileiでありまして、この重要な言葉が「宇宙は数学で書かれている」という非常に短いフレーズに日本では短縮されてしまいました。それはとても残念なことでGalileoの真意をきちっと表現していないと私は思うんですね。そういうふうに数学と物理が結合したときに、古典物理学と私達が呼んでいるところの近代物理学の一番の最初、火ぶたが切って落とされたわけです。その火ぶたが切って落とされるやいなや、近代物理学は大爆発を遂げるわけです。そして、17世紀にその古典力学の最初ができたときから、18世紀にはなんと太陽系の運動を「太陽を中心としたニュートンの理論で説明するだけでは不十分である」というような議論が登場するくらいまで急速な発展を遂げ、19世紀には、「惑星の摂動」と言いますが、そういうものを利用することによって、土星より先に惑星が存在するというようなことが考えられるようになった。言ってみれば太陽系の枠が一気に広がるという、人類史上の大革命が起こるわけでありますね。それ以降の物理学の発展についてはもう本当に言うまでもないことです。

 電気とか磁石とかっていう非常に不思議なものが、数学を用いて語ると統一的に理論ができる。電気の流れ・電波、磁場の動き・磁場、これが統一的に電磁場として語られる。このような理論ができて以来、私達はいわば電波を使って通信をする。あるいはそれを映像化するというようなことが苦もなくできるようになるわけであります。多くの発見がそれによって誘発されるわけでありますが、最初のきっかけは数学と物理が結合したことであり、数学と物理が結合したっていうと物理という分野と数学という分野が別々にあったと思う人がいるんですが、そうではないんです。物理に応用可能なような数学の自己変革があり、数学を使えるような物理の自己変革があったわけです。新しい数学、新しい物理がそれによって誕生してきたということですね。ですから、今の教科っていう考え方は全く正反対なんですね。教科分断的な勉強っていうのは、それがやがて統合されるに違いないっていう楽観に基づいているんですが、今の勉強の教え方あるいは学習の仕方だと永遠に統合されないのではないでしょうか。ですから有名なノーベル化学賞で、日本で初めてそれに輝いた福井謙一先生、量子化学っていう分野の専門家でありますが、その福井謙一先生が「高等学校までに化学なんか勉強する必要はない。数学だけやってなさい」とおっしゃっているのは、要するに、理科の教育がただの個別の領域に分断化された知識の暗記になってしまっているっていうことですね。せめて物理と数学が結合するのはもう序の口、イロハのイであるわけです。これがなかったら物理にならない。当たり前の話なんです。

 そして、化学と物理というのも結合していて、大学に行くと物理化学っていう科目がもう教養課程の中であるわけです。もう皆さんが高等学校で勉強している化学も、物理化学の知見が一部反映しているわけでありますが、高校生用とか中学生用ということで、それを非常に咀嚼して、簡単にして、単純化して、わかりやすくして、そしてその結果、魂を抜いてしまっていると、私は心配になるんですね。それぞれの分野の総合的な知識、それこそが求められている。総合的な知識は、知識というよりはむしろ知恵とか教養という言葉で語る方が良いと思うのですが、私はそういういろいろな教養を持った人が先生になってくださって、そしてその教養に基づいて総合的な学習を推進してくださるということであれば、本当にありがたいなと思います。そういう人が多く出てくるということを、本当に期待しております。別に投稿者だけに限るわけではない。これを聞いてくださっている方の中には先生も多いと思うんですが、その先生方もぜひそれぞれの教科の専門を大切にするっていうのはまず基本ですけど、その専門を超えて他の専門分野と一緒に協力して、子供たちに豊かな教育を施す。そういうふうな努力をしてほしいと思うんです。クラスの中で話し合っていろいろ決めましょう。こんな小学校のクラス会みたいなもの、学級会でしょうか、そんなことを授業でやっていても、私は意味がないと思うんですね。しかも今のようなインターネットで情報が飛び交っている時代に、レポートを書かせるとか、プレゼンテーション発表をするとか、そんなものを重視するなどという教育はもはや30年前に終わっていると私は思うんですけれど、いかがでしょうか。私が強い言葉で言っている言葉は、強い言葉のまま受け取っていただく必要はないですね。そうではなくて、できればご自分の中で咀嚼し、皆さん自身の中から若い世代に向かって情報発信してほしい、と願っているということです。

コメント

  1. フクモト より:

    コメントが先生のエッセイを書く(口述する?)エネルギーになるとのことでしたので、感想と言うかエピソードを。
    物理や工学を理解するのに数学の知識がとても役に立つと言う今回のお話を読んで、はるか昔のイギリスの大学院の授業を思い出しました。もう記憶も曖昧なので、間違っている部分もあるかもしれません。有限要素法の授業の1時間目だと思いましたが、支配方程式を導くのに、部分積分の公式から入りました。日本にいるときに会社で有限要素法の本で勉強した時は、微小変位理論とかいろいろ出てきた後で式が出てくるのですが、数学科出身の新卒社員にはよく分からないままでした。それがいきなり部分積分の公式から入ることでスッキリ理解できて、目からウロコが落ちる思いをしました。その時は、’ああ、数学科で良かった。’と思った、私の人生でも数少ない瞬間の1つでした。

  2. 中筋 智之 より:

     物理は微分積分と共に発達し,私は駿台 山本 義隆 氏から物理を学んだ事がcenter試験で満点を取った事に繋がったと考えます.私が卒業した千葉県立高物理教諭は学習指導要領で微積分を使えない事にもどかしさを感じ,東北・東工大教職課程生と数物融合の意見が合ったのを受け教育委員会に提案し,差分法に拠る間はcurriculumを詰められる中高一貫校が現役進学に有利で,予備校・通信教育を含む自学できる参考書に頼らざるを得ない様です.私が物理で教育実習した早大系属高の指導教諭は微積分を用いた物理は尚早とされ,教科書に添って授業した上で,積分に拠る考え方も説明しました.教科を跨ぎ俯瞰して総合する事が求められ,私は情報が数学に基くprogrammingの技能教科と捉えますが令和7年共通testで課す様に進められています.数学は公理・原理・定義→例→命題・補題→証明→定理→証明→(系→証明)と論理で繋がるのと比し,物理法則は実験に基き,工業は数学・物理に基くべきで東北大工学部で依らなくなったε-δ論法も大切と私は考えます.工業は有益である一方,誤ると事故が起こるので,私は苦労しても理科・数学を併せて修得しました.技術士は幅広い教養と1又は2個の専門を持つ事が勧められています.
     COVID-19感染低減の為に採られた原則,試験(・実験)以外のon line受講に拠り,講義noteを正確に読め,通学・宿泊費を低減できました.TECUMでも採られるon lineを活用すれば,優れた教員が少なくても,遠方から多くの生徒・学生が履修できます.

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