長岡亮介のよもやま話236「意外に近い Corelli の音楽」

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 私は最近YouTubeを見ること、あるいは聞くことが多くなった、とお話ししましたけれども、どれくらい豊かな音楽があるかということの一つの証明に、現代ではあまり聞くことが少なくなった、ルネッサンス期の著名な作曲家の音楽などは、本当に気楽に聞くことができるという例として、今回、アルカンジェロ・コレッリの有名なヴァイオリンソナタの一節をバックグラウンドにお話しています。

 コレッリというのは、決して昔の人というわけではありません。何といっても、生まれたのが1653年ということですから、もう本当に近代自然科学が誕生していた時代であります。ですから、時代の啓蒙的な合理主義の風潮、これは知識人たちの世界を覆っていたわけでありますが、音楽家たちはどちらかというと、宮廷に仕える、あるいは大きな教会に仕える、そういうことで職業を得ていたのでしょう。コレッリの影響を受けた人の中には、我が国でも有名な、アルビノーニとか、さらにまた有名なヴィヴァルディという作曲家がいます。後者に関しては、あまりにも有名という感じもいたしますけれど、アルビノーニも素晴らしいですね。

 そして、コレッリの音楽を聞くと、ヴィヴァルディとか、アルビノーニよりももっと音楽そのものというか、演奏が何かある主題を持っているというよりは、音楽の美しさを表現する、だから音楽で何かを表現するというのではなくて、音楽そのものの美しさを追求する、そういう感じを私は持ちます。実際コレッリの作品は、技巧的に必ずしも難しくなく、ヴァイオリンだったならば出せるであろう高い音、それを活用するということはないんですね。コレッリ自身はそのような技巧的な音楽を嫌っていたところがあるようです。つまり、普通の音楽で奏でられる調和の世界、それを目指していたということなのではないかと思うのです。

 「世界全体が、美しい調和に包まれているはずだ」という考え方は、自然科学とも共通しているわけで、当時の時代精神をそこに感ずることもできるのではないかと思います。音楽家は音楽を通じて、世界の調和、調和というのはハーモニー、ハーモニーというのは和音という言葉でありますから、その和音をあるいは和声を開拓していった。そういう意味で言うと、ケプラーのように惑星の運動を研究しながらも、その惑星たちがその運動によって宇宙に妙なる音楽を奏でている、そういうふうにケプラー自身は信じていたところがあって、ケプラーも不思議な人でありますが、そういう天上の音楽ならぬ地上の音楽として、その調和を実現しようとしていた。そういうふうに考えると、アイザック・ニュートンや、ヨハネス・ケプラーの仕事を正しく理解する、そのためには、同時にその同時代人の芸術家たちの作品に触れることも、とても役立つのではないかと思います。音楽というと、バロック以前の音楽というのは、言ってみれば古臭いものとして、えらく遠くにあるというふうに思ってしまいがちなのですが、実はごく最近の出来事として、私達はそれを感ずるべきではないかということ、それをお話したいと思いました。

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