長岡亮介のよもやま話229「metaなるもの」

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 今回は、よく流行って使われる現代用語で、本当には歴史的な由来を知らないと理解できない言葉として、“メタ”という言葉がある事に触れたいと思います。最近は、言ってみれば、ITビジネスの最先端で稼ぎまくる有名な会社が、「メタ」というふうに名前を変えたことが大きなニュースになっておりますが、日本人の多くの人はそのことにあまり関心がないでしょう。

 “メタ”というのはギリシャ語の接頭語でありまして、私が知っている限り最も有名なのはアリストテレースという哲学者、これはギリシャの三大哲学者と言われるソークラテス、プラトーン、アリストテレースで、師匠と弟子というふうに並べるとすればソークラテスが最初で、プラトーン、アリストテレースがその後に続くということですけれども、三人の哲学者は三人ともうかなり個性の変わった人で、哲学的な主張としては、ソークラテス自身は何も書いたものを残していないので、プラトーンがソークラテスについて語る、ソークラテスを登場人物として語る、その語り口のうちで、初期のプラトーンの作品は、ソークラテスの言葉がそのまま収録されていると考えられているわけですが、後期のプラトーンはソークラテスから少し離れて独自の世界を切り開いたと、哲学的にはいろんなことが言われていますが、そのプラトーンの弟子であるアリストテレースという大哲学者がいるわけです。現代というより近代以降は古代ギリシャの哲学者というと、最も有名なのはアリストテレースでありまして、アリストテレースの書いたものの注釈が、古代末期から近世に至るまでの中世の時代を支配していた。私達が古代ギリシャについて断片的でも知ることができるのは、アリストテレースの弟子たちがアリストテレースの本を書いた注釈がたくさん残っているので、それをシュレッダーにかけた紙を繋ぐような、そういう気長、本当に大変な作業を通じてアリストテレースが復元できるようになってきているわけでありますけれども、アリストテレースほど誤解が多い哲学者も少なくない。ほとんど大きく誤解されて近代まで伝わってきているわけです。

 そして、アリストテレースについて私が言うのは、アリストテレースの書いた本、莫大な本があるわけですが、その本のほとんどが原典が残っていないために、その原典がどのようなものであるかということを復元する作業は困難を極めているわけですね。そしてプラトーンのように平易な言葉で難しい言葉を語る哲学者と比べて、アリストテレースの方は全ての学問を体系的に論ずるという使命感を持っていたせいもあって、大変に難解でありますから、それを部分的に読むと“とんちんかん”、というより科学的でないっていうふうに誤解してしまう。そういう傾向があるのではないかと思います。ちなみに、プラトーンが作った学校がアカデメイア、こんにちのアカデミーという言葉の語源であり、アリストテレースが作った学校がLyceum(リュケイオン)という、現代ではフランス語に残っているLycée(リセ)の語源であります。いずれも教育を非常に重視していた。そして自分の独自の学校を作ったということにそれは表れていると思いますが、プラトーンもアリストテレスも教育というのを大切にした。

 教育を大切にしたというのは、決して現代日本のように「なんちゃって学歴」をつけるというような話ではありません。「なんちゃって学歴」といえば、今の日本の学歴が腐っているのは、何々大学卒という卒業をした大学名を就職のときに使ってはならないという文部科学省などのお達しがあって、全部が4大卒というふうに水平化されている。これはおかしな話でありますが、その水平化の波に乗じて、お医者さんの一部にある学歴ロンダリング、マネーロンダリングってことは皆さんよくご存知でありますね、お金を洗うということです。資金洗浄っていうふうに言われますが、学歴洗浄ということが仕切りと行われていまして、最近は大学よりも大学院の方が合格するのが楽になっている。そういうこともあって、地方の大学を出た人がその大学名を隠すために東京大学大学院に入学し、それを終えて東京大学大学院卒というふうに、学歴ロンダリングする。これは非常に恥ずかしい話でありますけれども、お医者の世界には、東京大学卒に限らず、有名国立大学の大学院を出たというふうに、あるいは大学の医局を卒業した、医局員として在籍しただけでありますけれども、そういうふうに学歴ロンダリングが行われています。話がそれました。

 アリストテレースやプラトーンというのは学問を大切にした。それは学歴を大切にしたという意味では全くなくて、彼らが自分の思索した事柄を後世に伝えなければいけないという使命感を持っていたからであろうと思います。そして、その使命感の中で、彼らは一生、教育あるいは自分の自身の思索そして著述活動というものに身を捧げたわけでありますが、「プラトーンとアリストテレースは師弟関係にある」と高等学校の倫理社会の科目で教えるのかもしれませんが、その二人の哲学は正反対でありまして、ラファエロという画家が、小さな礼拝堂のラファエロの間に書いている『アテナイの哲学者(学堂)』という、哲学者とは哲学をする人っていうよりは学問をする場所ということで、二人の登場人物が中央に大きく書かれている。それがプラトーンとアリストテレースであるわけですが、実に上手な匠な絵でありまして、ラファエルの絵は、プラトーンとアリストテレースが老人と若者という年の差はあっても、二人が方向が違う哲学者であるということを、見事に表明している。老人であるプラトーンと思わしき人は天を指している。それに対して、アリストテレースは地を指している。そして、彼の主要な著書である『倫理学』を携えている。プラトーンの方は宇宙の原理それを明らかにした彼の重要な書籍『ティマイオス』を脇に抱えている。こういうふうに二人の哲学者は大いに違うのですが、私が今日お話したい、Metaという言葉。これをやたらに使ったのは、というか重要な言葉として使ったのは、アリストテレースであるということです。アリストテレースというと、難解な哲学の代表でありました。これは中世までの時代、そして近代以降は、わけのわからないことを実験もせずに、あるいは観察もせずに哲学的な思弁にふけって議論を展開していた。そういう哲学者の悪しき例として引かれる。

 そして彼のmetaphysica(メタフィシカμεταφυσικά )、physicaは自然、physicsは自然という意味で、フィシカ、ピシカあるいはフィスカ、これは“自然学”というふうに訳されますが、現代の言葉で言えば“物理学”と言うべきです。彼は自然現象を非常に丹念に観察し、その自然現象について統一的な説明を試みたわけであります。しかし、紀元前300年くらいの時代の人でありますから、当然近代人のような武器は備えていなかったわけですね。とりわけ数学に関する知識というのは、その当時かなり高い水準のものもありましたが、近代数学が切り開いた、例えば微積分法的な考え方っていうのは、その時代には全くなかったわけであります。ピタゴラースとか、あるいはアルキメデスのような天才はいっぱいいましたけれども、しかしアルキメデスの天才については、いずれまたお話する機会があるかと思いますが、そのような天才的な人たちの仕事にも関わらず、哲学者がそれを利用するというほど数学が合理化されていなかったわけですね。非常に神秘的な衣を纏うかのような難解な数学であったわけです。

 ですから、「アリストテレースに数学的な思索が足りない。プラト―ンに関しても足りない」というのは、ある意味では当然、しかし、ある意味では不当でありまして、その時代の人々の間には知られてなかった「新しい知の世界」が近代になって開かれるわけです。近代になって開かれた人が、古代人たちの哲学を見て、「この人たちの哲学は、言っていることが訳わからん。全く科学的でない」と言うのは、実は近代が数学という便利な道具、近代数学という強力な兵器を使って、哲学あるいは物理学、自然学と言われた世界にまで分け入ることができたということが、大変に大きいわけであります。現代では物理学と呼ばれる近代に始まる古代の自然学の新しい形をリードした哲学者たち、とりわけガリレオ・ガリレイがアリストテレースの立場と鋭く対立したのは当然のことと言えば当然のことでありますね。アリストテレースも『物理学』と訳される本を書いている。それを物理学と訳さずに普通は自然学というふうに言うわけであります。ニュートンも『物理学』という本を書いてありますが、それは『自然哲学の数学的原理』という言葉で表題は書かれています。“principia(プリンキピア)”と日本でよく省略されて呼ばれる本ですね。とにかく近代の人は、数学という非常に強力な道具を持っていましたから、古代の哲学者あるいは自然哲学者たちとは比較にならないくらい強力な道具を手に入れていたわけです。古代の哲学者たちは、数学といっても幾何学を中心とする、言ってみれば古い古い数学を、それだけを頼りにして、哲学の世界を分け入って行ったわけでありますから、それには本当に気の遠くなるような深い学問的な思索の継続が要求されたことだと思います。

 アリストテレースが書いたフィシカあるいはフィジカ、『自然学』と呼ばれる本を書いただけではなくて、アリストテレースはその『フィジカ』の中で、「自然現象はどうして変化するんだろう。変化するということは物の本質なのか」ということについても主に考えたわけですね。その中には運動というものもあって、「変化はどうして起こるのだろう。物の本質というのは変化しないことにあるはずだ。それが変化するとはどういうことか」ということを考えていたわけでありますが、そういった自然の現象についての彼の思索を支えるための背景にあって、その表にある物理学なり自然学なりを支える学問、それがmetaphysica、英語にすればmetaphysicsと言われるもので日本では“形而上学”というふうな非常に難しい翻訳がなされています。この難しい翻訳のために、アリストテレースはますます日本では大きく誤解されることになったんだと思います。しばしば19世紀の思想家たちは、「形而上学的思弁」と言って「ある種の非科学的な」と、当時の人々は簡単に断罪した伝統的な思想を、弾劾してきたわけですね。「非形而上学的な思想」に対して、「科学に基づく思想」「科学的な思想」、これこそが素晴らしいと考えたのも、19世紀という、17世紀に始まる近代の大きな革命、その革命が産んだ産業の革命、こういうのを目の当たりにしたら人々が近代科学というものの明るさに打たれたのは当然のことであったと思いますけれども、その人々が軽蔑して、それを、侮蔑的に「形而上学」というふうに呼んだときに使われたのが、metaphysicsということのmetaでありました。

 metaという言葉は、本来はギリシャを接頭辞に過ぎませんから、その後ろに何をつけるかによって、いろいろな使い方ができるわけです。一番大事なのは、言語というものの持つ難しさについて、前にお話ししましたけれども、その言語の難しさは、「言語というものは、自然に私たちは獲得するものだ。私達が自然に理解して正しく使えるものだ」というふうに人々が思っていますが、言語というのは、非常にソフィスティケートされた文化でありますので、それを使いこなすのは、本来は容易なことでないわけですね。その容易なことじゃない言語を正しく使うというためには、言語について思索するということが必要であるわけです。言語について思索する。それを学問的に思索する。学理的に思索する。もっとわかりやすく言えば、科学的に思索するというのが現代人にはわかりやすいと思います。言語について思索する。こういうものが、今は言語学というものとして一つの学問として成立していますが、「言語について思索する」というときに、私達は言語を使うことなしには思索することができない。私達は、言語という武器を使って思索しているわけです。私達は高度な思索をするときに、言語によらないと思索することができない。そのくらい言語に頼ってきている。本来、言語によらない思索っていうのができればいいのですけれども、それができないというのが、私達の置かれている状況です。

 そうすると、言語について思索するというときには言語を使わなければいけない。その言語は、言語について考える言語とは違う。言語について考えているときの言語は、考える対象となる言語であるわけですね。objectとなる言語ということで、対象言語、object languageと言います。そうしたobject languageを考えるための言語、それはmeta languageというふうに、古代ギリシャ語を利用して現代英語とつけて、meta languageという言葉、これはしばしば使われます。数学についても数学を考えるとき、私達は数学の言語を使います。しかし数学の言語を反省するというようなときには、meta数学というのが必要になるわけですね。しかし考えてみると、言語を考えるためにmeta languageが必要だとすれば、meta languageを必要するためにmeta meta languageが必要である。meta meta languageを必要とするためにはmeta meta meta language…繰り返して永遠に尽きない。こういうプロセスがあるわけです。そのプロセスが永遠に続くのは馬鹿馬鹿しいので、ある時に強引に切る、という考え方があります。それは「あるところでは、それはただの記号に過ぎない」という立場をとる考え方で、20世紀の数学において強く主張された議論の形式であります。しかしながらそれが最終決着としてふさわしいものであるかどうか。今、言語学の哲学を中心としていろいろな思索が展開されています。

 私達は結局、言語を通して考える。言語について考えるということもあるけれども、言語について語るときの言語というのは、決して私達が使っている言語ほど豊かな世界でない。そして重要なことは、本当は言語以前に私達の思索世界、あるいは思想世界というものがあったということを、忘れないことではないかと思います。meta language、metaという言葉が流行ることもあって、その語源metaphysics、 あるいはmetaphysica、その言葉について、お話いたしました。

(参照:よもやま話130「メタバース」)

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