長岡亮介のよもやま話214「保守を語るには」

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 私は以前、このコーナーで、「保守」ということの新しい意味についてお話いたしました。「伝統文化というものを大切に生きる」という人間としてのいわば最小限のたしなみ。それはしばしば保守主義というふうに言われる立場に接近せざるを得ないということでした。

 ところで、日本の保守を自称する人々は、日本文化の伝統が戦後に途絶えたということを、しきりというのですけれど、私に言わせると、その人たちが言っている日本文化の伝統というのは、せいぜい明治維新から太平洋戦争の敗戦に至るまでのわずか100年ほどの歴史でありまして、そのときに日本が高い精神性を有していたかというと、実は国家によって動員される形での思想の、一斉の国民全体の動きっていうのは確かにあったように思いますが、日本国民一丸となってというような類の連帯感、高揚、日清日露戦争に勝ったときというのは、まさにそういうものではないかと思います。そういういわば作られた政治的な連帯感が日本文化を伝統であったかというと、もう幕末までさかのぼればそんなものはないわけでありまして、幕末のときの徳川と打倒徳川の間の内戦と言って良いひどい凄惨な争いを見ても、日本国として団結していたというのでは全くないわけですね。むしろ地方文化がそれぞれに中央との関係でもって、保守的にあるいは革新的にということで、正反対の動きをしていたわけです。そのときに、あくまでも伝統に忠実に生きようとしていた、典型的には会津藩士の戦いは革新を掲げる薩長政府に対して、非常に悲惨な戦争を強いられたわけでありまして、白虎隊の話は今でも語り継がれている悲しい物語です。

 そもそも江戸時代という300年の長い平和な時代を考えてみても、この時代に日本文化が一貫していたかというと、士農工商という社会身分の制度、これは形の上では確かにそういうふうに言われてきましたけれども、皆さんよくご存知の通り、幕末には士農工商の末端に属している商人が実際は大きな力を持ち、その身分制度の一番の先端にいる、一番上部にいる侍の中でも言ってみれば下級武士と言われる人たちは、その士農工商の商にいいように操られ、場合によっては農民に対して、農民の中にはお金を持つ農民も多くいたので、そういう農民に侍の身分を売って生活を立てるという苦しい生活を迫られていた。そういう人もいるわけでありますね。いわゆる武士道と言われるもの。これは新渡戸稲造先生の『武士道』という本が素晴らしいことについては前にお話したと思いますが、この中で美しく描かれた武士道が本当に江戸の中期以降も、下級武士も含めて、生きていたというふうに考えることは困難でありまして、平和な時代が来れば兵隊はいらなくなるわけですね。特に下級武士はいらなくなる。下級武士は傭兵のようなもの。武士全体が傭兵のようなものでありますから、戦争がなくなれば傭兵の用事はなくなるわけです。用事がなくなったときに首は斬られるという立場の人の処遇の悲惨さは、私達は、最近はCOVID-19の影響で、飲食に勤める交換可能な労働力とみなされていた人々が非常につらい日々を送らざるを得なくなった、ということでも知っているわけでありますが、戦争の無い時代の武士がいかに悲惨であったかということは、あまり語られていませんが、ほとんど自明だと思うんですね。

 そういうことを考えると、徳川300年の歴史を通して、一貫して日本文化というものは高い水準のものがあったかというと、建築や美術あるいは音楽に関して、日本の伝統芸術あるいは伝統技術が磨かれていたということも確かだと思いますけれども、一方で、日本芸術の花形とも言うべき鋼でできた刀が質屋に入れられ、売り買いされるというような世界が、もう江戸時代には生まれていた。明治の時代になると、刀狩みたいなものが行われたはずなのですが、それでもその目を潜って刀を持っていた人々が、それを米と変えるために農民に対してそれを売るということも、日本全国で日常的に行われていたわけです。武士の魂と言われた刀を売っても生存のための手段を得なければならなかったというところまで追い詰められていた。追い詰められていたときに、本当に侍に対して求められる倫理感というものはズタズタにされていたということ。これも考慮しなければならないと思います。

 そして、戦後もう既に三四半世紀を過ぎているわけでありますが、その三四半世紀のうち、比較的戦前の文化が生きていた戦後の25年間、その戦後の25年間の中で復興の目を遂げ、本格的な戦後が開始される敗戦後25年後、具体的な年号で言えば、1980年、あるいは1990年という時代以降の日本は、もはや日本文化というものに対して、誇りを持ちえなくなったわけでありますが、それはアメリカ的な文化が流入してきたという表層の流れはありますが、日本人の中で日本文化が崩壊していった、瓦解していったという側面を見なければならない。そして、日本文化がなぜ自ら崩壊していくか、瓦解していくかということに関して言えば、日本文化の持っていた精神性が失われていったということ。なぜその精神性が失われていたか言うと、精神性以上に人々の心を惹きつけた「実利」ですね。それに人々が惹かれていった。その「実利」といっても全く大したものはなくて、最近の日本に見られるように何でも広告で釣る、あるいは無料体験で釣る。そういうような非常に強引な押し売り商法に人々が飲み込まれていった時代であり、これは、欧米から押し付けられたGHQの占領による日本文化の影響というよりは、日本人自身が生きるためにそれを選んでいった。いわば精神性の低い生き方を選ばざるを得ない社会になっていた。その理由は、何よりも社会の指導的な層が、結局のところ、そのように人々を誘導した。政治家がポピュリズムに完全に染まってしまった。そういうことを思い出さなければいけないと思うんですね。

 私は「保守」という言葉の本当の意味について語りましたけれども、その「保守」という意味を語るときには、新しい意味を語るときには、「伝統」というものを考え、「伝統」というものを考えるときには、当然それを50年とか100年とか200年とか短い単位で考えるのではなく、せめて500年あるいは1000年、そういうスパンで考える必要があるということですね。私は、「日本精神」ということをしきりと語る人たちが、非常に貧弱な歴史認識しか持っていないということを感じて、少し残念に思います。私達日本は、西欧に比べると短い歴史しか持っておりませんけれども、それでも短い歴史を私達が有史歴史として知ることができる範囲で、きちっとできるだけさかのぼり、それが非常にヨーロッパなんかと比べると幼稚な歴史であった時代も含めて、日本の歴史というものを、真剣に勉強しなければいけないのではないかと思います。今日は、ちょっといつとはなしに私のあまり得意としない「歴史・文化」の話についてお話いたしました。

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