長岡亮介のよもやま話195「分裂と融合、戦術と戦略」

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 今日は私達の置かれている深刻な状況を考えるために、最小限必要となる知識についてお話したいと思います。それは、まず「戦略と戦術」という言葉についてです。とりわけ、プーチンロシアによって「戦術核の使用」ということが語られて以来、この問題は全世界を恐怖のどん底に突き落としたというくらい、大きな影響力を持つ発言でありましたが、「戦術核」というのは、「戦略核」と比べると、いわば小規模なものなんですね。もちろん、今の核兵器の開発能力からすれば、広島や長崎に落とされた原子爆弾というものは、信じられないほど小さい小型のものでありました。今は遥かに巨大なものができているわけです。いわゆる水爆というのは、その中でも特にエネルギーの大きなものとして、皆さんもよくご存知だと思うのですけれども、なぜ原爆よりも水爆の方がすごいのかということとなると、とんと知らないという人もいるでしょう。

 「核は怖い」という一般的な常識で世の中を渡っている人も多いわけでありますけれども、「核は怖い」といったら全ての物質、それを構成している分子、その分子を構成しているのが原子で、原子の中には全て原子核というのがあるわけで、我々の生活の身の回りは、いわば核だらけと言っていいわけです。核兵器というのは、その原子核レベルの変化からエネルギーを取り出すという方法の開発によって、巨大なエネルギーを我々がコントロールすることができたということなんですが、コントロールといっても、いわゆる核分裂というのは、原子核を壊すことによって、より小さなものにすることによって、エネルギーを取り出す方法でありまして、私達がずっとやってきている原子力の利用に関する実用的な方法は全部その核分裂なわけですね。fissionって言いますね。nuclear fission。よく似た言葉に、fusionという言葉がありまして、これは融合っていうふうに訳すことが核では一般的であります。核融合っていう反応は、軽い原子核をうまくぶつけて、そこで水素原子でありますが、その水素原子からヘリウムっていうより重いより大きな原子核を作る。そのときに出る巨大なエネルギーが比較にならないほど、大きいわけです。そして、核融合であれば核分裂と違って、ウランとか何かそういうのを材料としていく核分裂と違って、水素を材料としていますから生じるのはヘリウムでありますので、言ってみればその反応によって地球を汚染するということの心配がない。

 核融合っていうのは夢のテクノロジーと言っていいと思うんです。その夢のテクノロジーを、部分的に実現したのが、水素爆弾であるわけで、水素爆弾というのはできているんだったらば、私達は、核融合反応を手に入れたと言っていいと思いがちなのですが、そうではなくて、核融合を起こすためには、私達が想像もできないくらい巨大な圧力と熱が必要であるわけです。核分裂においてもそのような反応を、爆弾全体で同時に起こすために様々な技術が工夫されたわけですが、核融合に関しては遥かに難しい技術がある。しかしながら、その核融合による熱を発生させるために、つまり核融合という現象を起こすために、核分裂反応を利用することによって、その巨大な熱と圧力を実現しているわけです。ですから、水素爆弾というのは、核融合だけであれば汚染しない夢のエネルギー、あるいは夢の爆弾と言ってもいいかもしれませんが、核分裂を伴っているので、その点ではいわゆる原子爆弾と変わりないわけですね。そういう巨大な兵器が既に開発されていて、それは大陸間弾道弾のような大きなロケットに乗せて、地球を半周しても相手のところを正確に叩くという技術まで、進行している。その技術が進行しすぎていて、一方が手を出したら他方はその報復として手を出す。そうすると、そのときに起こる結果は、全人類の滅亡というような最悪のストーリーしかない。こういうことは子供でもわかることであるので、兵器が強力化する、あるいは強大化するということによって、兵器の使用にブレーキがかかる。それが一般に核抑止力っていうふうに言っているものなんですね。一方が使ったら他方も使う。そのときには大変なことになるということです。

 日本は、その核抑止力に対抗する核兵器を持っていませんから、攻撃されっぱなしだという言い方がある。アメリカによって軍国主義を解体された日本。これは紛れもなく屈辱的な敗戦でありますけど、屈辱的な敗戦というのは、アメリカの名誉のために言いますが、アメリカも戦争でひどいことを日本に対してやったし、その後も世界に対してやっている。これも紛れもない事実でありますが、一方で日本の陸・海軍がとんでもなく人々の犠牲を顧みない戦争に突入していった。アメリカに戦争に誘導されたという意見がありますが、誘導されるということがわかっていながら誘導されざるを得なかった、という愚かさの中に私達は生きていた。これも紛れもない事実として、指摘しなければならない。そして、今日本でいわゆる右側の人たちというのは、日本は核戦力を持たないからアメリカにこれほどなめられるんだ、とそういう言い方をします。確かにアメリカになめられきっていると私もそういうふうに思います。私自身は、アメリカが日本を最もなめているっていうふうに思うのは、GHQによる日本の占領政策の中に表れていますし、その後のGHQの様々な態度の変化、朝鮮戦争が始まってからのコロッと変わって、警察予備隊という形で日本の自衛隊の先駆になるものを創設したりとか、あるいは労働運動というものを厳しく弾圧したり、アメリカがアメリカの国内でやってきた様々な悪逆非道を日本においても同じように繰り返していたわけです。

 ですから、アメリカに正義があるという意見に対しては、私も決して賛成するものではありませんけども、「日本は核兵器を持たないから世界の中で一人前と認められていない」という言い方。それは軍事戦略上は確かにそうだというふうに言えますけれども、かつては「JAPAN as No.1」というような言い方もしたくらい、経済的な力で世界で第2という繁栄を誇った時代もあった。そして、日本の科学技術に関して言えば、世界でも一目置かれる存在であったという時代もあったことは確かです。しかしながら、今私達は、そういう世界から尊敬される、あるいは畏怖の念を持って見られる、そういう力を急速に失いつつある、ということにも注意を向けなければならないと思うんです。そしてそれは一般に外交評論家が言うように、あるいは外交アナリストっていう人が言うように、日本が核戦力を持たないから、従って国際的に発言権がない。これでは隣国の思うままにされてしまう。そういうふうに言う人が多いのですが、果たして日本は、占領して価値のある領土でしょうか。たくさんの国民がいて、国民の多くがあまり勤勉でなく、良く言えばお人好し、悪く言えば能天気。そして、かつてのような勤勉さというので世界に誇る国民性を持っているわけではない。資源もない。それでいて贅沢は好きだということになると、この国民を養っていくだけでも容易なことではありません。日本政府は過去に蓄積した富を吐き出すような形で国債の大発行によって、国の財政は悪化の一途をたどっておりますけれども、それで何とか持ってきてるというのは、日本国内の民間に蓄えられている富がまだ底をついてないというからに過ぎないと私は思うんですね。言い換えれば、日本は他国にとって侵略する魅力のない国になっているということであります。むしろ、他の国に尊敬され、畏れられるような国にならなければいけない。日本人はすごい。そういうふうに思われる国民性の民度の高さによって、侵しがたい威厳を持っている国民でありたい。そういうふうに思います。

 今、例えば核戦争の恐怖でもって相手を黙らせるということが決して容易にできるわけではないということは、現在進行中のウクライナ問題を見てもそうなわけです。今、私達は核融合を人工的に引き起こす核兵器の小型のものも作ることができるようになっている。それが戦術核であります。しかし戦術核といっても、1回使ったらそれでエスカレーションが始まるということは、みんなが思っていることで、エスカレートしないんだったら使っているに決まっているんですね。ちょうどアメリカが太平洋戦争の末期に使ったのと同じです。日本に反撃する能力が全くない。これは誰の目にも明らか。本当は軍人の目に明らかだったはずなのですが、その軍人たちはその戦争を止めようとしなかった。本当に愚かな人々だと思いますけれど、そういう人たちが日本をリードした。そういう反撃することができないに決まっているって相手に対して、徹底的に叩きのめすためには有効な手段であると思います。しかしながら、それを一旦使ってしまったらもう世界は黙っていないということ、それが常識になっているわけですね。核の傘という言葉がよく使われてきましたけれども、アメリカが日本に代わって守ってくれるという甘い約束がなされていた。これが日米安保協定だと言う人がいますけれど、誰だって人のために核弾道を使うということは躊躇いますよね。自分が報復を受けるかもしれないと思ったら、やはり使えなくなるんじゃないでしょうか。兵器が強大化すればするほど、それを使うのは容易なことではなくなるわけです。

 そして、戦術核っていう話になるわけですが、戦術、tacticsと言いますが、そのtacticsで使えるという核という名前をつけたところで、核兵器は核兵器でありまして、それは長期的な戦略strategyに照らして合理的に使えるというストーリーは、決して誰も描けないのではないでしょうか。一方が他者に対して圧倒的な力を持っている。いかなる抵抗もできるはずがない。そういう場面でこそ脅しがきくわけで、そうでない限り緊張は高まったとしても、脅しは成功するはずがない。脅しが成功するはずがないところで外交交渉をしなければいけないという話になるわけです。でも、それができなくなったとき、それはおしまいということです。私達は、ひょっとすると所詮人間がやることですから、その外交交渉が決裂して、核による全面的な戦争が始まる危機、それに直面しているんだと思います。それを避けることはできない。その危機を避けることはできないということですね。危機を何とかして乗り切るための努力が必要なのですが、ある意味では、アメリカのロシアに対する長期戦略、NATOと日本でいう北大西洋条約機構という軍事同盟を、かつてのゴルバチョフとの交渉のときには、「NATOを1インチたりとも西から東の側に向かって拡大させない」といった約束を破ってきた。これはアメリカを初めとする西側諸国のタクティクスに長けた外交なんですね。やはりソ連を追い詰めたっていう面を否定することはできないのではないか。これは海外の報道をちょっと読んでみると、例えば、全くニュートラルの立場にいるであろうオーストラリアの国立大学の偉い先生が講演しているのを聞いてみても、アメリカで責任ある立場にいた人の講演を聞いてみても、そうですね。

 反対に日本の自衛官の責任ある立場の人たちの発言を聞いていると、結局のところ、非常に短い範囲のタクティクスのことしかわかっていない。そのタクティクスの情報に長けることによって専門家のような顔をしている。私はそれを見て非常に悲しく思うわけです。私達は、核融合という夢の原子炉を作る、そういう壮大な夢に向かって世界と協力していかなければいけない。その時代に「ソ連が戦術核を使ったらどうなりますか?」どうなりますかってどうなるかもわかりきったことでありますね。それにはハッピーなストーリーの結末はないわけです。私達は、いわば人類史的な危機の直前まで来ている。そういうことを常に意識して、平和のために私達ができることをすべきだと思います。そのためには、ロシアが一方的に悪いという捉え方、これが非常に大きな偏見に満ちたものであるということを、まず自覚しなければならないのではないかと考えています。

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