長岡亮介のよもやま話193「大学生の不祥事の真の背景に迫ろう!」

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 私が少し世界情勢に疎いのではないかとさえときに疑うほどですが、日本の中等教育・高等教育における、とりわけいわゆる運動部関係における不祥事のそれというのは、日本特有の体質を裏に持っていると思わざるを得ないものです。およそ私が知る限り、海外でこのようなことが社会の大きな問題になるということはあり得ない。しかも今回話題となっているような、反社会勢力と言われる勢力の資金源となっているようなもの、それを大学のしかも正式の部活動、日本の部活動というのはスポーツ系の場合おかしくて、大学の勉強をしていない。むしろ部活動が、その学園生活の主たる部分を占めているという異常な状況であると思いますが、このような異常な状況が続いているのも日本的ですね。

 アメリカのように、大学スポーツが盛んな国にあっても、大学生がスポーツに励んでいるというのはせいぜい半期。残りのセメスターは普通の学生のようにがっちり勉強しなければならない。アメリカのようなコマーシャリズムが盛んで、大学であっても、学問において三流であってもスポーツにおいて一流である。そうであればそういう選手が集まっているところには、大学としての人気あるいは名声も集まり、大学経営もよくなり、大学に集まってくる学生の知的な水準もよくなり、という好循環も生まれる。そういうことでもって、大学スポーツというのを応援する向きもありますけれども、それでも半年に制限するというくらい、大学側がそういう部活動中心の学園生活を送るという学生に対して、それを推奨するということをしていないことは、日本と大きく違う点ですね。

 日本では大学の中心的な部活動となると、その部活動に対する大学の補助金もあって、例えば部専用の合宿所というのを設けている。そういうようなところはたくさんありますね。海外の大学では信じられないと思うんです。海外の大学にも恵まれたそういう施設を持っているところ少なくありませんけれども、そういうのは言ってみればOBの寄付金とかそういうもので運営されている。日本のように大学の中に、大学公認のいわば他の部署の人が立ち入りことができない治外法権のエリア、言ってみれば理事長裁定のようなもので、水戸黄門のご印籠のように全てがまかり通る。そういう体質が日本の多くのカッコ付き「大学」と私は言いたいと思いますが、それは「なんちゃって大学」であって、大学としての体を成してない。大学というのは学問をするところであり、たとえ高度な学問を修めることができない人たちを集めているとしても、その人々に学問の精神を伝える、あるいは学問をやる人を尊敬する体質を養ういうことに意味があるので、全く学問とゆかりもない、場合によっては犯罪の温床になるような部活動を抱えているということ自身が、もう大学としての体を成してないと言うべきなんですが、ここで私が今日申し上げたいことは、「大学が体を成していないというのが一部の大学にある」というのは、そもそも認識が間違っているのではないかということです。つまり、私達が抱えている高等教育の制度、大学制度あるいは大学院制度がもはや高等教育として体を成していないという現実に、私達は目覚めるべきときであると。いろいろな大学があって、いろんな先生が頑張っていて、いろいろな学生も頑張っている。大学院生も頑張っている。ですからそれに水を差す気は全然ありません。その人たちが大いに頑張る。そういう文化的な雰囲気を作っていくためにも、まず私達は現状をきちっと見つめるべきであるということですね。

 そもそも、現在ある大学・大学院の数というのは昔の中学校よりも多いくらいで、昔の中学教員の方が今の大学教授より少ない。そういう状況にあるわけですから、大学といったって、「なんちゃって大学」にならざるを得ないというのは、統計的に考えればその通りなんだと思うんです。しかし、そうであれば、そうであることをきちっと踏まえた上で、では現在がどういう政策をとらなければいけないか、と考えるのが大学の経営陣の当然の任務なのですが、その任務あるいは責務を忘れて、とりあえず収入が支出を上回る、収入をさらに増やすことができる、とそういうことをしか考えていない。大学は何をやるところであるか、何をしなければいけないところがあるかということがわかっていない。そして学生たちにそれを指導することができない。運動の世界で言えば、運動能力の競争において、「勝てばいい」という考え方ですね。勝てば、それを業界の人たちは「結果を出す」というのですが、結果を出せばいいというのは、一番低級なビジネスマン、セールスマンの言われる言葉であって、「売上成績を出せ。結果を出せ」こういうふうに上司が命令する。それは最低なんですね。本当は、良い商品を開発し、その良い商品であることをアピールする。そのことによって、何も言わなくても売れるってこれが営業マンの一番の楽しみではないかと思うのですけれど、残念ながらそういうものではない。悪徳商法と言われるもの、霊感商法と言われるもの、みんなそうで、物自身は大したことない。それを言ってみればきらびやかな言葉で着飾って、あるいは偽って売りつける。こういうのが商売だったというふうに思われている。本当の商売はそうではない。こういうときに渋沢栄一を出してくるのは、ちょっと私は筋違いだと思いますけれども、少なくとも私達の近代が始まった頃あった日本精神というものは今や完全に崩壊しているという現実を、私達はきちっと見極めなければいけないということです。

 そして、私達が今、今日問題としている高等教育に関して言えば、高等教育というのは名ばかりであって、大学・大学院と名前がついたからといって、それによって本当に高等教育がなされているわけでは全然ないということです。それは統計的な現実から言ってもそうだということを私はお話したんですが、それは統計的な話だけではなくて、今や高等教育も国際競争の時代に入っているわけでありますから、そういう中にあって、日本のように貧しい高等教育の環境で世界で戦っていくというのは容易なことでないわけです。単に文教予算が小さいとかいうようなことではないんですね。日本はむしろ国が教育にやたらにお金を出している国だということを、日本人は知らないんじゃないでしょうか。日本の文教行政というのは、国が教育を支配するために、小学校から中学校・高校・大学に至るまで、いわば公立あるいは国立という形で教員の給与を払っている。この教員の給与だけで本当にとんでもない金額になっているわけです。本来は私立大学というところは、そういう国の管理大学ではできないことをやるというのが、私立大学の心意気だったわけですが、今私立大学といっても、下手すると経常費つまり何もしなくても普通にかかる経費の50%ぐらいは国から補助金としてもらっている。そういう状況です。日本は本当の意味での私立大学がない。そういう意味では本当の意味での国立大学がないという言い方さえできるわけですが、そのような形に日本人の多くの人が知らないうちに、次第次第になってきた。

 大きく変わったのは、敗戦によるGHQの学制改革、新生大学の創立の時にさかのぼるわけでありますが、そういうGHQによる学制改革が、言ってみれば日本人の心の中に染みついてきた。そして高等教育を受ける人間が、非常に卑しい国民になってきたということが、私は非常に重大な問題ではないかと思うんです。高等教育を受けていることに伴う引け目とか、あるいはそれの正反対の、言ってみれば誇り・矜持、そういうものが、なくなってきている。「自分は高等教育を受けているんだから、中等教育で終わった人に比べれば自分は偉い」というような競争が今、大学の卒業資格ではあんまり判定できなくなったんですね。法律においても、「どこどこ大学卒はどこどこ大学卒業もえらい」というような言い回しができなくなってきている。まだ古い人たちの頭の中にはそういうのがあると思いますが、一応そういうものはなくなっている。変わってどうなっているかって言うと、もっとくだらないもので、国家資格とかっていうもので、資格を持っているとその上位の資格を持っている人が下位の資格を持っている人に対して人間的にえらいかのように、尊大に振る舞うっていうことが許されている。こんな馬鹿な国、どこにあるんでしょうか。私達はそういう文化を見て恥ずかしいっていう思いを持たないのでしょうか。言ってみれば、「高等教育が高等教育として成立しなくなっている。人間を育てるということができなくなっている」ということが、若者たちの中にも伝播している。若者たちは大人の背中を見て大きくなる。この基本原理を忘れてはならないと思います。

 大学生の馬鹿げた不祥事のニュースに接して、私が本当に思うのは、大人たちがここまで堕落している。子供たちはそれを見て育っている。大学生になってもまだそんなガキであるということ。それを私達は深く深く反省しなければいけない。私達が卑しい人間を育ててしまったんだと、自分の子供たちをこんなに愚かにしてしまったんだということに対して責任を持たなければいけないということです。一部の馬鹿な体育会コーチが阿呆な学生を指導しているからと、こんなトカゲの尻尾切りで済ますことはできない。私達が、本当に指導的な人間を育てなければいけないという使命感に燃えて教育に携わっていたならば、こんなことは起きるはずがないことなんですね。そういう起こるはずがないことがまた起きた。要するに、日本の「大学なんちゃって」という組織の置かれている現在の状況を、象徴しているものだということです。そしてそれを作ってきたのは、私達だ。私達の責任だということを忘れてはいけないと考えます。

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