長岡亮介のよもやま話191「正しい知見に接近するために、私が考えている原則的なこと」

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 今回は、私達ができるだけ正しい知見に接近するために心がけるべき最小限の事柄について、私が考えている原則的なことをお話したいと思います。それは、世の中には様々な情報があり、その情報の中で、信頼できると思って良い情報と、当てにならない情報があって、一昔前は、書籍に書いてある情報というのは、一番当てになる。なぜかというと、著者の名前が出て、そして、責任を持って、著者が書いている情報である。場合によってはその情報の根拠いわば情報のソースですね。それがきちっと書かれているということで、信頼ができる。つまり信頼できない場合には、そのソースに当たってみれば、それが正しいかどうかがわかる。本で言えば文献表っていうふうに言いますが、BIBLIOGRAPHYというものを見ることによって、その参照文献、それを見ることによって、その根拠がさかのぼって見ることができるということです。もちろん、BIBLIOGRAPHYに載っている情報が間違っていれば、それが偏りをさらに拡大した情報になるに過ぎないですから、参照文献というのは、あくまでもその参考資料でしかない。学術文献では参照文献が多いことが大事だっていうふうに一般に言われていますけれども、「それは当てにならないものをいくら書いても意味がない」という世間の常識に照らしてみれば、学術世界のおかしな風習である。そう言っても良いのではないかと思います。

 しかし、一昔前であれば、そのBIBLIOGRAPHYにちゃんとした本が書かれていて、そしてその論文に場合によってはさかのぼることによって情報を確かめるということができたので、本の情報は正しいと一般に言われていました。最近は、書籍による情報というのが相対的に重さが減ってきて、書籍というのは、マニュアル本みたいなものばかり、あるいは、何と言ったらいいんでしょうか、参考書というのでしょうか、とりあえず、手近なものですね。明日のために役に立つ。例えば学生諸君であれば、試験で単位が取れるということを謳うような本。そういうものに人気があってっていうか、そういうものしか本としてなかなか売れない。そういう時代がやってきて、そういう時代になりますと、何とか本を売るために出版社は、書名に非常に人を惹きつける名前を使う。あるいは本自体を、人をアトラクトするものをつけ、そしてその中身も、私の若い頃で言えば眉唾情報というのが多かった。これは裏があって眉に唾をつけて考えなければいけない。そういうものが多かったのですけれど。最近では、言ってみれば眉唾情報のようなものを書かないと売れないということがあって、書籍による情報というのが相対的に信頼を失っているというか、あまり中心的なものになっていないということがあります。インターネットの情報が、氾濫しているということですね。

 そういうふうに情報が氾濫する社会の中にあって、私達はどのようにして正しい情報のソースにたどり着くことができるかということについて、私が考えている原則の一つであります。それは一言で言えば、ケバケバしい情報というのは、あるいは派手な情報というのは一般に当てにならないということです。それは、明らかに書籍を売るために、流している情報であるということですね。立派な学者、ノーベル賞を取るような学者のものであれば、そんなことはないと信じたいところでありますが、いろいろなノーベル賞もあり、ノーベル物理学賞のような本当に立派な賞から、本当に怪しいものもあるわけですね。その時々の流行に乗っているものもある。ですから、そういう情報の権威に頼っても危ないということです。まず第一は、「権威に頼るな」ということです。誰が言った情報であっても、それをまず批判的に受け止めなければならないということですね。もう一つ私が原則としているのは、「非常にケバケバしい情報あるいは非常に偏った情報は危ない」ということです。もちろん「世間の常識の中に嘘が多い」ということを私はずっと申し上げてきましたから、世間の常識の裏をかくという情報は、しばしば大切なことがあるのですが、実はそうは言えないということですね。

 世間の裏をかくという情報で売っている本も、少なくないということです。とりわけ、いわゆるその陰謀に関する議論は自分だけが知っている陰謀だということで、「これはね、特別な情報として、人にちょっと個人的に伝えるんだけれども」というような類の情報ですね。一昔前で言えば、“フリーメイソン(Freemasonry)”ということ。これは秘密結社で、アイザックニュートンもフリーメイソンのメンバーだったんだというような話が、もうまことしやかに語られています。フリーメイソンというのは日本ではほとんど話題にならないかもしれませんが、そういう昔から言われている秘密結社の代表的な名前の一つです。今でも、フリーメイソンという言葉こそあまり言われていませんが、大変に流行した映画のシリーズの中で、“ロバート・ラングドン”シリーズという映画、私の大好きなトム・ハンクスが主演するもので、映画としては3部作、小説としては4部作か5部作かあるんでしょう、私は全部読んでおりませんが、その中で“イルミナティ”という話が出てきます。中世以来の秘密結社でありますね。そしてそれが現代でも生きている。そのイルミナティが犯す巨大な犯罪、“天使と悪魔”というタイトルだったと思いますが、話としてはとても面白いんですが、現代でもそのような秘密結社が世界を動かす、世界を動かしている主要な力である。こういう都市伝説というか陰謀論というのは、今でもささやかれています。イルミナティって言葉を知らない人は、「ねえ、知ってる?イルミナティっていうのがあるんだ。そしてこの人たちはこのようなものすごい大謀略を測って、世界を支配してるんだ。」こういう話がすごく魅力的に聞こえるんですね。私の若い頃でいうと、それよりももっと言われたのは、ロスチャイルドっていうユダヤ系の資本が世界を支配しているという話ですね。これも未だに言われています。

 こういうことをちょっと詳しく知っていると、それだけで世の中の動きが全て説明できるというふうに思ってしまう。全然合理的に全部が説明できているんではないんですが、その話を知っていると、その話が出るだけで、「ああ、知ってる、知ってる。そういう話ね」というふうにして、簡単に共感の輪が広がってしまう。非常に恐ろしいことです。言ってみれば、知識とか論理とかというのが、私達の暗さを開く、私達を明るさへと導くための非常に重要な道具であるはずであるのに、その情報を共有している人たちが秘密情報を知っている、謀略をする集団の名前を知っているというだけで、世の中のことが全てわかったような気になってしまう。これは典型的な誤りだと思います。世の中それほど単純ではないということでありますね。私がそう言うと、「あなたはそういう陰謀集団を知らないから、言うんだ」と言う人がきっといると思いますが、そういうことはもう歴史的に考えると昔昔から言われてきた。一番現代で新しいものがロスチャイルド家の陰謀とか、ユダヤ資本の陰謀とか、そういうものでありましょう。こういうことが未だに続いている。

 アメリカというのは非常に不思議な国で、政府に対する不信感というのが人々の間に強いので、「政府が言っていることは全て嘘である」というふうに思っている。「そういうふうに思っている自分は、政府の陰謀に騙されない賢い人間である」と思ってしまうということですね。未だに、例えば「アポロ11号、初めて人類が月に到達した。それは嘘である。なぜならば」という根拠を並び立てる人がいます。私は、月に人類が到達するということ自身が人類の偉業であるということについては、いろいろな議論があって当然だと思います。しかし、そのことについて、ケネディ政権の陰謀であるというような議論。それを陰謀だっていうふうに言って、「政府が言ってることは嘘である」というのは、私はどうかと思います。そしてその人たちが挙げている様々な根拠というのは、科学的に見て全部反駁できると思うんですね。同様に政府はUFOに関する情報を隠してる。そういう政府の陰謀論というのはアメリカですごく根強くあります。しかしながら、普通に考えてみて、アメリカにだけUFOが頻繁に訪れているということ自身が、不思議な気がします。

 最も激しいのは、9.11(セプテンバーイレブン)の、ワールドトレードセンターのビルが倒壊したという、9.11と未だに語り継がれるアメリカの同時多発テロですね。その同時多発テロというのは、本当にテロリズムの持っている恐ろしさを人々に見せつけましたが、ツインタワーのような鉄骨コンクリートの頑丈なビルディングが一気に上から下まで崩壊するということはあり得ない。たとえ上が燃えていたとしても、その上が燃えていたビルの上の方が崩壊することはともかく、一気に下まで崩れさるということは、これはダイナマイトか何かを仕掛けておいて一斉に同時崩壊するという、建物を壊すときの常套的な手段が巧みに使われたものであるという議論が、それを信じてる人がアメリカで2,3割いるという話を聞いたことがあります。しかしながら、それもちょっと聞くと、なかなかもっともらしいなと。私自身もあのビルが一斉に倒壊するのを見て、本当にこんなことが起こるんだということ。それを、中東のテロリストが、そういう建築学的ないわば秘密のような情報を握っていたとすれば、それはすごいことだなというふうに思いました。けれどもしかし、鉄骨コンクリートは鉄骨で作られている。周りが全部鉄骨で囲まれている。そういうビルディングであれば、熱は鉄を通して伝わるわけでありますし、そのものすごい熱がコンクリートを破壊するということも考えられることであるわけです。私は建築とか土木とかそういう世界については全く知りませんが、鉄骨コンクリートの持つ特有の脆弱性というのが、あるに違いないということは、私のような建築土木にド素人の人間であっても、想像のつくことであるわけですね。しかし、そういうことを一切信じずに、「それが政府の陰謀である」というふうに言って、頑なに信じている人がいます。アメリカの言ってみれば、大衆啓蒙番組というか大衆迎合番組というか、そういう中には未だにそういう陰謀論というのを堂々と唱える番組が放映されています。

 私自身もそれを見て呆れ果てましたけれども、「宇宙人がいる」というような話もそうです。困ったことに、天文学者の中に、「これだけたくさんの銀河系があり、その銀河系の中にたくさんの太陽系があり、その太陽系の中にたくさんの惑星が存在する。であるとすれば、少なくともその中に地球と同じような生命環境の星がないと考えることの方がおかしい」というふうな議論を展開し、「宇宙において、地球だけに生命体期的な生命体が存在することの方がおかしい。確率論的に考えてそうではないか」という人がいるのですけれど、私から見れば、地球の脈々とある歴史、地球の歴史というのは何億年か正確な年数を知りませんが、おそらく50億年とか何とかってそういう莫大な時間が流れているんでしょう。その莫大な時間の中で、私達人類が宇宙に関心を持ち、太陽系を超える世界。銀河系を超える世界までも私達の視界に入ってきたというのは、わずか数十年と言ってもいいわけですね。本当に地球の歴史の中で、そういう知的な生命体として私達が活動している期間っていうのは、本当に多く見積もっても数十年、あるいはどんなに多く見積もっても、アインシュタイン以来って考えてみても100年くらいしかないわけですね。あるいはアインシュタインの相対性理論を作ったベルンハルト・リーマンという偉大な数学者から考えてみても150年くらいしかない。そういうことを考えると、地球史の中で地球があったとしても、そこに知的な生命体が誕生している期間はものすごく短い。

 そして、私達が今直面している危機は非常に深刻なもので、多くの日本人はこの戦争(ウクライナとロシア)が早く終わってほしいというふうに思っていますけれども、この戦争が終了するシナリオというのを考えることがそんなに簡単でない。なぜならばこの戦争を背景には、様々な仕組まれたストーリーが隠されているからでありまして、そういうことを考えると、戦争は簡単に平和的に終了するということは信じられない。ひょっとすると、最悪のシナリオというのが、すぐやってくるという可能性もあるわけですね。そうであるとすると、「地球の中で、地球という本当に恵まれた稀有な星の中で、知的な生命体が知的に本当に活動する期間というのは、例外的な数十年であった。そして、その星の生命体は、自らの知的な活動の末に自らの選択によって滅んでしまった」という歴史が現実化するかもしれないわけですね。私達はそのような本当に深刻な危機に直面している。そういうことを私達はあまり自覚していない。そういうことを考えますと、私達は、もっともらしい議論というものを声高に叫ぶものに対しては、まず警戒しなければならない。「自分自身で考えなければならない」という、私が皆さんにおすすめしたい原則です。それを時々思い出していただくことが大切ではないかと考える次第です。

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