長岡亮介のよもやま話188「Halloween騒ぎについて」

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 Halloweenの祭りと言われる日が、接近してまいりました。アイルランド人たちの、あるいはもっと古くはケルト民族の古い伝統文化に、我が国の人が関心を持って接すること自身は、日本人もずいぶん国際的なったもんだと思うのですけれど、おそらくこれは私の邪推であってほしいのですが、Halloweenではしゃいでいる人々が、文化的な由来、歴史的な由来というものとは全く無関係に、その場でじゃれ合うということ。それが公然とできる日であると勝手に理解して、それを盛り立てているんだと思うんです。

 というのも最近日本だけではなく、多くの国において文化が全部子供の水準にあってきている。子供が喜ぶことだったら何でもいいじゃないかと、子供中心の文化というのでしょうか。本来、仮装なんかをして面白がるというのは、子供の世界あるいは大人のおふざけ文化であって、まともな大人になった人がそんなことではしゃぐようでは、私は情けないとはっきり思うのです。というのも、私達の今の世界はそんなことではしゃいでいることができないくらい深刻な問題だらけで、その深刻な問題というのが日本の遠いところで起こっているというだけではなく、いつ日本がそれ以上に厳しい状況に追い込まれても全く不思議でない、ということを考えると、そういう国際情勢などに全く関係なくお祭り気分に浸っている大人たちに、私はもう少ししっかりと大人としての責任ある行動をしようよ、とジジイの世代としてアドバイスしたくなります。

 いま日本ではフードロスの問題が依然としてというか、近年ますますというか、シリアスな状況にありますけれども、昨今の食料物資、基礎的な食料となる小麦とか、卵とか、あるいはパームオイルとか、そういうふうに海外からの輸入に頼っている物が物すごく値段が高騰している。私の場合は、そういうものを頻繁に購入するという生活でもありませんので、物価の上昇はガソリン価格の上昇で、すごく大きく感じます。原油が値上がりしているわけですからガソリンが値上がりするのは当然で、政府がそれに補助金を出して、その値上げ幅を見た目上縮小するというような対策に躍起でありますが、本当にそのことに意味があるのか。元々高いものをみんなで安くするために、みんなで税金を出し合ってその価格を抑えるということ。私は全く馬鹿げているのではないかと思うんですね。そのような一時的ないわば火消し対策が重要な局面があることは、私もよくわかっているつもりですけれども、我が国の場合は資源がない。食糧資源がない、天然資源がない、エネルギー資源がない。こういう資源がないないづくしの国では、そういうものを輸入に頼らざるを得ない。輸入するためには、輸出をして輸入するだけのお金が入ってくるということが条件でありますけれども、その輸出が一昔前と比べると勢いを失いつつあるということを、多くの人が指摘しているわけであります。

 であるとすれば、私達のこの輸入に依存した国の運営というのは、決して将来が明るいわけではない。このような「高いものを輸入し何とか食い繋いでいかなければいけない」という苦しい状況が続くということが、高い確率でこれからますますひどくなっていくであろうということが予測されるわけですね。そういうときに、私達は、10月の末日はHalloweenだからなどといって、はしゃいでいるそんな余裕、余裕というと言葉はいいのですが、要するに自分の置かれている状況を理解しないという愚かさの中に生きているということに、もっともっと深い危機感を持つべきではないかと私は思います。

 今ガザとイスラエルとの関係が非常に厳しい局面にあるので、国際報道はそれ一色になっていますが、世界ではガザ・イスラエル以外にも、非常に厳しい日々を送らざるを得ないという国がたくさんある。日本の国内報道のニュースで言えば、ウクライナ対するロシアの侵攻。これは既に1年半を過ぎてこれから冬を迎える非常に厳しい局面でありますが、そのニュースがすっ飛んでいますね。しかし、中東の問題っていうのは決してイスラエルとガザに限られた話ではありません。アフガニスタン、イラン、イラク、そして日本と極めて良好な国として、日本人は多くの人が好感を持っている国であるサウジアラビア、そして、イスラム諸国の盟主を名乗ってきたエジプト。どこにおいても不安定な要因がたくさんあります。歴史や文化、それに長い間関心を持ち続けてこなかった人にとっては、「イスラム教徒は怖い」という非常に単純なというか、素朴すぎる、昔の私達の頃の言い方をすれば、単細胞的な反応で済ませてしまうのですが、深刻な問題がひたひたとより大きな問題になろうとして成長し続けている。

 そういう現状に対して、私達はもっともっと心を配らなければいけない。そして、「私達にできることが何か。私達が何がしかのお金を寄付するとすれば、どこに寄付することによってこの悲惨な状況を少しでも改善することができるのか」ということを、真剣に話し合って解決の道を模索しなければいけない時期の中に、真っ只中にあるのではないかと思うのです。その難しい真っ只中、みんなで眉間に皺寄せあって考えなければいけないそういう時期に、日本のマスメディアも含めて多くの人が、子供や赤ちゃんが喜ぶものは何でも良いことだと、「1億総赤ちゃん文化」と、かつての評論家だったら言ったかもしれませんが、そのようなものを堕落していると思わずに、そのようなことが良いことであると思い込んでいる。子供のかわいらしさに妥協することが、あるいはそれに迎合することが無条件に良いことであると思っている。それは、あまりにも大人げないと私は思うのですが、皆さんはいかがお考えでしょうか。

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