長岡亮介のよもやま話181「いい歳をして“新し物好き”?!」

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 私はいい年をして、“新し物好き”という大変軽薄な人間の種類に属しているのではないかと思うほど、新しい道具が出るとつい使いたくなる馬鹿な人々の一人であるということを、喜んで認めてしまいます。実際、私はこの歳になるまで、特にコンピュータ関係でありますが、ちょっとしたまとまったお金があると、ついそちらの方に、よく言えば投資して、実態は浪費をしてまいりました。そのおかげで、この50年間ほどのコンピュータを巡る社会と人々との間の関係その劇的なとも言える、あるいは歴史的なとも言える大きな変化を目の当たりにしてきたので、いろいろと面白い点もあるし、悲しい話もあるんですけれど、とりあえず多くの人がいろいろな努力をして新しいものを作り、そしてそれによって人類の文化の質的な向上、そして人間と人間とのコミュニケーションのより実質的な豊穣化、それが達成できるんであれば、新しいおもちゃもとても重要であるなと思います。

 しかし、そうは言っても、その新しいおもちゃが、いわゆるカッコ付きの「使いやすさ」のために、結局のところ「そのおもちゃをどのように利用すべきか、あるいは利用されるべきであるか」といった問題を考えないまま、おもちゃの方だけが暴走する、あるいは独走するというのは好ましいことではありませんね。このようなちっちゃなおもちゃを利用することによって、情報発信が容易になっている。ということは、要するに安っぽい情報だらけになってきてしまっているという面が強くある。むしろその面が本当に無視できないくらい深刻になっていると私は思うのですけれど、しかし、こういうふうにして、私が新しいおもちゃを利用することによって、従来の情報発信よりもより効率的で、より効果的なものができるんであれば、それはそれとして良いことではないかと思い、私はついつい私の軽薄な新しい物好きの性向を全否定するどころか、むしろ肯定的に受け入れてしまっております。

 本当に考えてみれば、いい年をしてそんなことをやっている場合か、と深く反省しなければいけない。そういう年齢に来ているのに、新しいものをについつい手を出してしまう。実はこのAIを名乗る「自動音声認識変換ツール」も携帯電話で使えるとなると、どこにいても、このような原稿というかメッセージを綴ることができるという手軽さがありますし、もしかしたら周囲の雑音に対する対策という点では、携帯電話の方がより優れているという面もあるかもしれません。というわけで、今日はそのテストを兼ねて、実は中古品ながら米国製の小型の携帯電話を手に入れたので、ついそれを使ってみたくなり、これをお話した次第です。文字通り、お恥ずかしい限りです。

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