長岡亮介のよもやま話177「無責任な報道を喜ぶ国民」

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 私はこのところ、長野の山奥にこもって仕事をしているのですけれど、時たま近くの温泉に行って、ゆったりとする時間を取るようにしています。しかしそういう田舎の温泉に行くと、全国いろいろな人が集まってきているということもあるのかもしれませんけれども、かなり得意になって、自分だけが知っているとでも言わんばかりの情報を開陳する人々が存在することを見て、やれやれ田舎はこういう文化だなと思うことがあります。

 今、都会も田舎もそういう意味で、情報へのアクセスという点では変わりないと思うのですが、都会の人が唯一アドバンテージを持っているとすれば、飛び交っている情報のほとんどがガセネタ、あるいは嘘の情報であるということ、いわばマユツバ情報としてそれを聞き流してるということではないかと思うんです。田舎の方に来ると、そういう情報をさも自分だけが知っているかの情報のように滔々と解説する、そういう田舎著名人、田舎知識人というんでしょうか、そういう方に時々お目にかかります。ご本人に悪気はないので、私は適当に聞き流していますけれども、しかし、「情報というのは、裏を取らなければ駄目だ。人が話す情報は所詮いい加減なものだ」という情報摂取のときの基本ができていないと、それは一昔前で言えば、床屋談義というか、井戸端会議というか、人の噂話を拡散してるだけに過ぎない。「あーら、奥様ご存知でした?あそこの…,うちの旦那が…,実は…,」というようなどうでもいい情報、それを物知り顔に語る長屋のおばあさん。そういう風景が日本の昔のドラマにはよく登場したものでありますが、そういうものと変わりない。やはり、そういう昔のドラマで言えば、ご隠居さんというなかなかの知識人がいて、そういうものを信じて付和雷同してはいけないよというふうに説教を垂れる。そういうご隠居さんに相当する人が、いなくなっている。

 床屋談義あるいは井戸端会議、あるいは風呂屋談義というようなその場しのぎの噂話。それが、なんと残念なことに、私達の一番信用していると思ってきたマスメディアの人たちの発信する情報もそのレベルになってきてしまっている。そう思うと、とても残念でなりません。私が毎日心を痛めているのは、ウクライナの問題でありまして、ロシアが築いた非常に頑丈な橋頭堡、それを突破してウクライナ軍が進軍しているという「明るい」ニュースなんですが、この明るいというのはかぎ括弧をつけて語らなければいけないと思うのですが、私達はいつしか本当に保育園や幼稚園に行ってる少年少女のように、「正義が勝つ、悪が負ける。」そういうので、現実の世界史を見ているのではないかと思うのです。その例えば地雷原なら地雷原を突破するのに、どれほどの犠牲者が出たか。その犠牲者にとって、残った人生がどのようなものになるのか。その犠牲を払うことになった人々の残った人生に対して、誰がどのように責任を持つのかといった、大人だったならば考えて当たり前のことを、今テレビで驚いたことに、かつては制服を着ていた自衛官の幹部が、さも自分の専門知識を披瀝するかのように喋っている。本来は、最高機密情報として外に出してはならない。そういうふうに教育をされてきた人たちが、その自分たちの教育の成果をまるで誇らしいかのように喋っている。そういう光景を見ると、私は非常に寒々とした思いがいたします。

 戦争というのは、最も残酷な人と人との殺し合いである。しかも、今回のロシアとウクライナの戦争というのは、まるで第1次世界大戦を連想するかのように、本当に古典的な戦争。砲弾の打ち合い戦争、その様相を深めているわけでありまして、近代的なあるいは現代的な戦争とはかけ離れたすごく残酷な戦争が日々行われているわけです。この戦争にどのような終末があるのかということを、本当に考えなければならないときに、その終結の来ないことが自分たちの利益になるというような人々によって戦争の現実が語られているということに対して、私は大変に深い悲しみを感じざるを得ないわけです。私としては、人々の間の戦いあるいは敗北、それにはいろいろな色合いがつくと思いますが、やはり一番大切なのは、人々の間の暴力的な争いが少しでも早く、少しでも小さな被害で終わることでありまして、そのために、歴史、社会、政治、外交、そういうものを総動員して考えなければならない。

 そういうときに、非常に表層のその日の最新情報を手に入れて、手に入れたといっても、それは外信、外の報道によっているものに過ぎない、自分で裏を取った情報でも何でもない、そういうものを鵜呑みにして、情報を売っている。そういう番組がニュース番組を騙っているということに対して、私達の現代文明の軽薄さというもの、あるいは現代文明の残虐性、そういうものを見せつけられて、非常に不愉快な思いを禁じ得ないわけです。こんなことを言うと、日本人の中には、「長岡は、侵略者ロシアの味方をするのか。」そういうふうに言う人がいるかもしれません。もちろんそんなことはない。侵略に正当性はない。しかし、侵略が起こったことの歴史的社会的背景、そういうものはきちっと考えなければならない。とりわけ、今回のウクライナの問題に関して言えば、このソ連の軍事侵攻に先出つウクライナの政治の不安定、あるいはウクライナを利用した政治世界戦略というものを抜きにして考えてはならない、と思います。私のこの情報は、たまたま見つけたオーストラリアの国立大学のロシア専門家の講演 https://www.youtube.com/watch?v=T7uwtNoWBK0 でありましたけれど、そういう専門家たちが、「今の戦争を終わらすということは極めて難しい。そして1、2年では終わらない。」そういう悲しい予想をしているわけですが、それは天気予報士のように気楽に明日のことを占っているのではない。今までの長い歴史に踏まえて、そういう発言をしているということ。それを考えると、その結論を重々しく受け止めなければいけない、と私は思うのです。

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