長岡亮介のよもやま話164「大本営発表」

 最近の日本の状況を見ていますと、何か私たちの記憶の中にあるわけではないのですが、私たちが記憶の中に鮮明に保たなければいけないと思っている直近の記憶、いわゆる第2次世界大戦、日本にとっては太平洋戦争というべき非常に大きな国民的悲惨があったわけでありますが、そのときに軍部の責任とかあるいは敵の責任とか、いろいろと人のせいにすることはできますけれど、本当は国民一人一人にも責任があるということを、忘れてはいけないと思うんです。それは何でかっていうと、「国民は大変な酷い指導者のために酷い目に遭わされた被害者ではないか」という声があり、それも十分よくわかるのですけれど、一方で「国民がそのような指導者を支え、そしてその指導者に従い、指導者をいい気にさせていた」という面もあるわけですね。いわゆる「大本営発表」というものを鵜呑みにして、それに対して批判的な意見を持つ人のことを「国賊」などと言って罵る。そういうことをやっていたのは私たち国民、私一人一人の、本当に庶民であったということを忘れてはいけないということです。私たち国民は、単なる被害者ではなくて、そういう大きな国民的災害、あるいは国民的最悪とも言うべき大事件において、責任の一端を担わなければならない立場にいたんだということです。

 「知らされてないんだから仕方がないじゃないか」というふうに弁護する人がいるでしょうけれども、知らされてないからその気になっていて、本当にいいのでしょうか。私たちに報道される内容が間違っているかもしれないということを、本当に一人一人が真剣に検証したでしょうか。私は、大本営発表を鵜呑みにしていた私たちよりちょっと上の先輩たちの精神性を考えると、今もあんまり大差ないということを感じるわけです。今でも、マスメディアと言われる人々の発信する情報は、極めて大本営発表的に統一されていて、決して世論の流れと逆らう情報発信しているところは非常に例外的であるということです。言ってみれば、マイクロメディアとかナノメディアとか、そういう小さなところが、例えばYouTubeのようなものを利用して、かなりとんがった情報を発信していますが、そのとんがった情報の中に、大変に鋭い傾聴に値するものもあれば、実は、言ってみれば大本営発表発表のようなものを単に誇張して繰り返しているだけ。そして、あわよくば自分のところに人々の関心を引っ張りたいと思っているだけ。そういうふうに感ずることが少なくありません。というのも私たちは何かマスコミというものからミニコミというもの、最近はSNSというもの、そういう「外から入ってきた情報に対して、それを裏を取って考える。自分なりに判断する」ということの大切さを、すっかり忘れてしまって、こういう意見があるからっていうと、その意見の中で自分に好都合なものそれだけを選んで、そして自分の意見をそれによって固めている。そういう節がないでしょうか。「一人一人が自分の責任において情報を取捨選択する。情報分析に参加する」ということは、本当はできるはずのことであるのに、例えば外国語が読めないから、ロシア語はわからないから、ウクライナ語はわからないから、英語は不得意だからというだけで、情報の裏を取るという作業をさぼっている自分がいるということに目をつぶっている。情報の裏を取るということをさぼっているならば、逆にその情報は伝聞情報に過ぎないというふうにして、いわば自分がそれに対して乗せられるということに警戒心を持って、判断を勇気を持って保留するということがとても大切だと思うんですね。

 今、日本の世論を見ていると、中国が憎い。あるいはロシアが憎い。こういう憎しみのようなものは、まるで75年ほど前までは鬼畜米英と言っていたような感覚で人々が語るのを聞いていると、私は日本という国は何も変わってないんだと。戦前から庶民は、「愚民化政策」というのでしょうか、愚かであればあるほど政治がやりやすい。そういう愚かな大衆として、庶民が処遇されている。あるいはそういう愚かな庶民に甘んじるように、教育されてしまっているということを、強く感じます。ちょっと別の目で見て、マスコミが言っていることがあまりにも一方的ではないか。こういうような一方的な、私たちから見ればクレイジーなことが起きているとすれば、「その背景にはそのクレイジーな事件を起こしているもっとどす黒い陰謀があるのではないか」ということを想像することは、私は小学校の高学年の子供でもできることであると思うんですね。日本人はまるで勧善懲悪に生きている幼稚園とか小学校低学年の子供のように、世の中を正邪、正しいものと邪悪なもので単純に割り切ろうとしている。

 しかし、政治の問題というのは大変に複雑でありまして、表向き笑顔で振舞っている、あるいは表向き例えば日本が非常に厚遇されているとすれば、それが外交的にはどんな謀略にはまっているのかというようなことをちょっとは考えないとまずいんじゃないかと思うんです。私自身も政治とか外交とかそういう問題には関心をほとんど持ってない少年でありましたが、本当に青春時代の思い出でありますが、“Ugly American醜いアメリカ人”という英語の本を読んだとき、それは自分が受験勉強の傍らにやったことでありますけれども、大変に大きなショックを受けました。「外交の裏」というものがどれほど深いものがあるかということです。アメリカ外交というふうに一言で言っても、言葉を単純化して理解することはあまり適切でない。そういう世界なんですね。数学ほど単純でない世界。でも数学ほど単純でない世界が、実はこういうロジックが裏に働いているってことがわかってみると、実は数学的な明晰さをもって裏が見えてくるということなんです。いろいろな評論家がしたり顔でいろんなことを言っていますけれども、ほとんどが言ってみれば伝聞情報を自分なりに解釈したものに過ぎない。ひどい人になると、伝聞情報にさえきちっと基づいていない推測情報だけで喋っている。そしてそれをちやほやされて喜んでいる。そういうのをちやほやしている日本の一般の視聴者がいるという現実を考えると、私も内心暗くなるものがあります。

 この日本は、この後この先5年、10年でどんな試練に遭うかということを、考えていないのだろうかということです。最近は、外国為替の変動で物価が急上昇し、みんな世界の中に日本がいて、その日本が翻弄されているということを、何となく感じてはいるでしょうけれども、本当の大波がやってくるのは、私自身はこれからだといろいろな根拠に基づいて推測しています。これは単なる推測に過ぎませんから、私が言っていることをそのまま受け止めていただく必要はないんです。ただ、大本営発表を鵜呑みにするような失敗は、私たちは失敗を繰り返した直後であるだけに、同じ失敗は繰り返さないようにしたい。つくづく、そういうふうに思っております。

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