長岡亮介のよもやま話160「勉強嫌いだったこと」

 今回は皆さんからよく質問される問題に、簡単にお答えしたいと思います。私のような教育に携わる仕事をしていると、「先生は子どもの頃から勉強が好きだったんでしょうね」というような、大変好意的なご質問を受けることが数多くありますが、正直に申しますと、私は子どもの頃から一貫して勉強、特に宿題で勉強するということが大嫌いでした。なぜであるかというと、学校は友たちと一緒にワイワイ騒いでいるので、勉強しているという気分は全くなく、それは楽しい時間でした。私がここで言っている学校とは、小学校のことで、特に低学年の時代、小学校4年生くらいまでの時代で、5年6年は退屈でした。それでも遊び自身は大好きでしたけれども、勉強をする友たちが出てくるという雰囲気が、私としては嫌なものを感じました。中学に入ってから勉強というものを、自分の義務のようにすごく克己的な精神で取り組んでいる友たちの姿を見て、「そうか、自分もこういうふうにやらなければいけないのかな」と、そういうふうにちょっと思って真似をしたことがあるのですが、私はとてもではないですけど、それは3日も持ちませんでした。何と言っても睡眠時間を切り詰めるという努力をしなければならないということが、私にとっては信じられない苦しみであったわけです。そんなに苦しんでまでやるほどの価値があるものであるとは思えないと私は思ったんですね。そして、そんな私ですから、成績も決して特に良かったわけではありません。成績が良くなりたいと思わなかったわけではありませんけれども、成績を良くするために体に悪いと思われる睡眠時間を減らすなどということを自分に課すことは、私にはたったの一晩でも容易でないことでありました。当時はカフェインを薬局で手に入れることができたんですね。私は薬局で眠くならない薬ということで、カフェイン剤を買ってきて飲んだりもしましたけれども、胃がムカムカするだけでとても勉強になりませんでした。そういうわけで、決して勉強は好きでも得意でもなかったというのが、本当に正直なお答えなんです。しかし、そういうふうに私が正直に答えても、「いやいやそんなことはないでしょう」とそういうふうに畳み掛けてくる好意的な方というか意地悪な方というか、いらっしゃるんですね。でも実はこれは本当に本当の話なんです。そういうわけで、私は皆さんが思うような中学生・高校生の時代に戻りたいと、そういうふうには決して思いません。あんな時代をもう二度と繰り返したくないと思うわけです。

 一方で、中学・高校時代たった6年間ですけど、それは私の人格を形成したなと思います。それは、その人格形成の基盤は、小学校の頃にあったのでしょうけれど、その基盤の上に、「嫌なものは嫌だ。嫌いなものは嫌いだ。嫌な奴は嫌だ。尊敬すべきものは尊敬すべきものだ」ってそういうメリハリがついたのは、中学校・高等学校のときだったと思います。全く意味がないと思われる勉強をやることが義務であると信じて疑わない先生から習っていた頃は、本当に勉強が下らないと思っていました。しかし、その先生方が実はわかっていないだけで、本当にわかれば勉強は楽しいということが、自分で発見できてからは、勉強を進んでやることは楽しい時間になりました。多くの人は残念ながら、あまり良い先生と出会っていないのではないかと思います。そして良い先生と出会わない限り、勉強の楽しさを学校の勉強で理解するということは、なかなか容易でないということ、これは悲しい現実ですね。私たちはもっともっと学校に良い先生が溢れかえる、そういう社会を作りたいと思うのです。そういう社会は、今の日本のような子どもたちがYouTuberになることを夢見る、そういうような世知辛い世の中ではなかなか難しいと思いますけれど、いつの日か、そういう世の中がやってくるということを期待するものです。心の底から期待し、期待するというのは、待つという字が入っていますよね。「期して待つ。覚悟を決めて待つ。」そういう意味で期待したいと思っています。

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