長岡亮介のよもやま話159「思い込みから自由になるには」

 私達人間は、自分たちの思い込みから完全に自由になるということは、困難な動物だとつくづく思います。「自分自身でそうだと思い込んでいたことに、それは違うと気づく」ということは、一般にかなり難しいのではないでしょうか。私が老人で認知機能が衰えてきたということもあるのですけれど、実はかなり若い頃から正確に言うと、子供の頃からとんでもない勘違いを数多くしてまいりました。過去を振り返ってみても、私達人間が、というふうに一般化してはいけないのかもしれません、私だけのことかもしれませんが、一旦思い込んでしまったら、それを修正することは容易でないということです。そのことがわかったならば、では何をなすべきか。実はそういうふうに思っている自分自身も依然として思い込むタイプのどうしようもない人間という限界を抱えているわけですから、一つ新しい方針を決定したからといって、すぐ変われるわけでは決してない。そういう厳しい限界があるわけですね。ということは、私達が常に自分たちが今思っていることは、自分の思い込みではないかということを反省するということですね。精神科の先生から見れば、そのようにいつも考えて心配しているのは、実は精神的な障害であるとそういうふうに判定されるかもしれない。一般の人を、つまり95%の人を標準にするというような考え方で進む医学の世界では、5%の例外は異常ということで切り捨ててしまう。統計学的には異常値とか外れ値というやつですね。

 でも私から見ると、人間は、一人一人を見ると、みんな外れ値なんだと思うんです。一人一人がみんな強い個性を持っている。そういう外れ値であることが大切なことで、それを外れ値というふうにして、統計学的に処理してしまうというのは甚だしく不適当である、とそういうふうに思うんです。そういうことも踏まえて、私自身の自分の問題として考えていることを、皆さんと共有することができるんじゃないかと考えるのです。それは、要するに自分の思い込みを修正するために、自分の考えていることはもしかしたら、まだまだ浅くて、まだまだ軽薄で、表面的なことだけであるかもしれないと思う。そしてその表面的な理解、表層的な理解を少しでも1枚皮をめくる、というような作業を日々日常的に努力すべきであるということです。私達はそのような日々のなんとも情けない努力を継続する以外には、私達は私達自身の犯しているとんでもない過ちから自由になることはできないんだという現実を、誠実に見つめるべきだと思うんですね。

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