長岡亮介のよもやま話144「時事ネタ」(6/13TALK)

 今回は時事ネタに関連するお話をしたいと思います。まず、時事問題について論ずるのは、極めて難しいということに触れたいと思います。なぜならば時事問題というのは日々刻々と変化していく最新の情報に基づいて、近未来あるいは中期の未来、そしてやがては長期の未来、そういうものを展望して語るということですから、非常に難しい。自然科学的な方法だけでは到底できない、いわば透徹した知性の持ち主だけができるような難しい問題であるわけです。ところが、最近では、時事ネタというのは最新情報に基づいて語れば、それが時事ネタになるという風潮があります。確かに最新情報を逐一集め、それを細かく分析しているアメリカの戦争研究所のようなところの情報は大したものでありますし、日本でも防衛省の関係のそういうインテリジェンスで働いている方は、日常的に情報収集しそれを分析する。そして、少なくとも近未来の状況を予測するということをやっているわけです。

 しかしながら、テレビなどで放映されるいわゆる時事ネタは、自分のPrimary source(情報の第1次資料)の情報を持っているなら大したもんなんですが、Primary sourceどころか、Secondary source、Tertiary source、第2次資料・第3次資料といういわば聞きかじりの知識に対して、その裏づけをきちっとすることなく、言ってみれば、都合のいい解釈をしては大騒ぎをしている。そういう状況ではないかと思うんです。当然、Secondary sourceであっても、Tertiary sourceであっても、当たっていれば立派なものでありまして、実際にはその国際報道で流れてくる表面的な情報に右往左往して、そしてどちらかというと、国民の顔色を見て、国民が喜びそうな情報を「分析」と称して流してみて、視聴率を稼いでるだけと私には聞こえてしまうので、私はめったにそういう情報をテレビで見ることがありません。なぜならば、不愉快になってしまうからです。なぜ不愉快になるのでしょう。それはそのような「情報分析」と称しているものが基本的に無責任である。その無責任さに自分も加担しているような気がしてしまうからなんですね。なぜ無責任なのかというと、結局のところ、日本の民放のそういう番組のほとんどが流してる情報は、国民が喜びそうな、視聴者が喜びそうな情報、例えばロシアが苦戦しているとか、あるいはロシアの傭兵部隊“ワグネル”、とんでもない連中でありますが、その指揮官がとんでもない暴言を吐いているとか、そういう言ってみれば、本当にお茶の間のバラエティー番組のレベルで、大衆受けする情報に過ぎないものをさも重要な情報であるかのごとく、巨大に誇大視して報道している。客観的な報道がなさすぎるということです。

 客観的な報道とは何でしょうか。それは踏まえなければいけない最低限の情報、それを踏まえるということです。誰でもが不思議に思うことですが、なぜロシアでプーチン体制が維持されているのか。日本人から見れば、プーチンは巨悪の代表でありまして、そんなものがいつまでも大統領にいるということは、ロシアは全体主義国家で、プーチンの言いなりにみんなヘコヘコしてるんではないか。そういうふうに考えているんだと思いますが、ロシアはかつてのソ連と違って、共産党が支配してる国ではないんですね。全体主義国家ではない。プーチンが大きな権力を握ってるのは事実でありますが、プーチンはそれを合法的に握っているわけです。プーチンが合法的に権力を握るのに使った手段の数々は卑劣なものでありまして、それは私自身は決して好ましいことだとは考えている人間ではありませんけれども、少なくとも民主主義の手続きに従って、彼はそういう権力を手に入れているわけです。そして、どうしてロシアはあるいはロシアの国民はプーチンのような男にそのような大きな権力を与えてしまったのか。それには簡単な歴史があるわけですね。その簡単な歴史を日本の国民にあまりにも知らされていない。私は、日本の国民が今のテレビ放送のようなものにみんな巻き込まれ、世論が一つの方向に統一されていくことに、まるで戦前の大本営発表を信じて、それを信じない人に対して非国民というレッテルを貼っていた時代の、私達の過去の状況と同じあるいはそれに極めて似た状況を感じて、嫌な思いをするわけです。

 少なくとも、政権与党、今は自由民主党と公明党なのですが、政教分離を憲法に掲げる国において、公明党が与党になっているということ自身に私は非常に不思議なものを感じるのですけれども、私はそのこと自身を問題とする必要はない。自民党が公明党と組んで与党化するってということの自民党の知恵に、対抗するだけの知恵が野党にないということに、非常に残念に思うわけです。自民党は政権を維持するために、あえて憲法違反すれすれであっても公明党と組むという道を選んでいるわけです。これは大変な知恵だと思うんですね。それは悪知恵と言った方がいいかもしれませんけれども、その悪知恵に対抗できなくてどうするんだと思うんです。そして、自民党の多くの政治家が、そうであるように公明党もそうでありますが、大衆迎合政党であるわけですね。ポピュリストであるわけです。国民の喜ぶ政治をすることによって、政権を維持している。でも、今の政治、例えばコロナ禍で苦しんでいる人に対して経済的な支援をする、あるいは少子化対策として、子供たちを育てる人に対して税金の中から大量のお金を使って支援をする。そのことを国民が本当に望んでいることなのか、しっかりと考えてほしいと思うんですね。その大量の税金あるいは国債という形でそれを行っているわけですが、その国債は、将来の本当に少ない数の今の少子化と言われている子供たちの世代に降りかかってくるわけです。それを国民は本当に望んでいるのか。野党が与党と一緒になってポピュリストであるということに、私は大変な危機感を感じます。野党が与党と同じように、ポピュリズムに染まっているということ。そのことは、ちょうど時事問題を報道する民放の姿に、ちょうど重なって見えてしまうということです。

 国民が、もっともっと賢くならなければいけない。そして国民を賢くするために、野党の人々が努力しなければいけない。そういう時代であるはずなのに、その努力が支払われていない。もし、民放が国民に迎合する報道しかしないならば、インターネット放送でさえ立派な放送がいっぱいあるわけです。ろくでもないものが9割を占めてるのかもしれませんが、1割あるいは1%は立派な報道があるわけです。そういう報道を野党が率先してなすべきではないでしょうか。たとえ国民に嫌われてたとしても、国民に嫌われる情報を責任を持って発信する。そういう勇気ある野党の政治家が出てくることを心から望んでいます。

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