長岡亮介のよもやま話132「頭脳をアップロードする」

 前回わが国で最近流行っているというメタバースといういかがわしい表現が何がいけないかという点で、内容が新しくないのに言葉だけ新しくしてるってというところに、一種の不潔さを感じること、それについてお話いたしました。今回は、どうせホラを吹くならこのくらいのスケールは最小限持ちたいと思う、そういうホラの代表例です。皆さんは、コンピューターを多少なりとも使っていらっしゃると、アップロードとかダウンロードっていう言葉、これは昔のパソコン通信と言われた時代に付加価値通信網とかVAN(value added network)とかっていうふうに言われた時代、今から半世紀も昔の時代にパソコン通信の草創期に使われてた用語で、今でもその言葉が残っています。面白いことにUNIX世界では、ダウンロード・アップロードと言う代わりに、ゲットとかプットという言葉を使っておりましたが、現在ではPCの普及に伴って標準的な言語はダウンロード・アップロードになっているのかもしれません。

 そのアップロード・ダウンロードという言葉をより発展的に使ったテレビ番組映画があって、内容は実にたわいないものでありますが、創造力をたくましくするとすぐこのくらいの先のことは見えてくるという例として面白いと思い、紹介するものです。それは、人体の脳の中に記憶されている全ての情報、それはコンピュータで解析することができて、それを全て何千TBもの情報をとかっていうふうに言っているところが、何とも情けない話なんですね。なぜかっていうと、皆さんよくご存知のように1TBは1000GB、1GBは1000MB、1MBは1000KB。キロ・メガ・ギガ、テラと大体10の3乗1000倍ずつなってる。正確に言うと1024Byteとなりますけども、大体、1000倍ずつだと思えばいい。そして、数千GBもの情報をっていうふうに言ってるところが、笑っちゃうところなんですが、GBとかTBっていう単位を使う人だったらば、1000TBが1PBであるということは常識中の常識でなければいけない。ですから、数千TBもの情報というのは数PBもの情報っていうのと全く同じ意味なんですね。このような単位についての不適切な使用は単位をよく理解してないということの証でもあり、この商業映画の底の浅さを物語ってもいるのですけれど、人間の頭脳の中に記憶されている全情報が、果たしてどのくらいの容量なのか私も計算する術も知りませんのでわかりませんが、その製作者もいい加減にものすごく自分で大きな数を想像したつもりで、数千TBというふうに言ったんだと思うんですね。確かに数千TBもの情報というのは、今のコンピュータ通信がこれだけ発達した世の中にあっても、1人の人間が自分の家で使う情報量としてはかなり多いということができるかと思いますが、所詮たかが知れてるわけです。そして、そのたかが知れている情報で人間の持っている全情報がかたがつくとは私は思いませんが、たとえかたがついたとして、これはエンターテイメントの映画ですからそういう固いことは言わないことにして、その情報を全てコンピューターサーバーにアップロードする。人体の情報全てをサーバーにアップロードする。そうするとその情報を通して、人間の肉体が身体的な死を迎えた後も知能的な存在としては、永遠に存在し続ける。昔だったら「あの世に行く」という言い方をしたところを、そうではなくて、「アップロードする」という言い方にしているところが、この映画の妙でありまして、そのような高度情報化社会においては、死を前にした人が、その直前に自分の生体系の持っている全情報をサーバーにアップロードする。そうすることによって肉体の死という生命の限界を乗り越えて、永遠の知的な生命体となりうる。もちろん知的な生命体といっても身体はないわけですから、身体はあくまでもバーチャルでありまして、それをアバターっていう形で表現していますけれども、そのアバタであるということを忘れれば、生きていることと何も変わりない。ある意味で味覚や臭覚も疑似的には実現している。そういう世界なんですね。そういう世界が遠くの地平の彼方にあるという意味で、そのアップロードしてる会社の名前がHorizonとなってるところはなかなかうまい名だっていうふうに感心いたします。

 そのアップロードをした人にとって本当の夢は何かというと、自分の失われた生命体、元になった肉体からDNAで完全に復元した身体、本当の意味での肉体の方に、その中に頭脳もあるわけでありますが、その頭脳に全ての情報をダウンロードする。そうすると、天国で生きていた人が地上の存在としてもう一度復活する。復活というのは、宗教の最も重要なミステリーの一つでありますね。普通にはありえない。その普通にありえないことが、科学の力を使うことによって部分的に実現できるかも、という話であるわけです。人間を頭脳に情報が集中したそういう器官であると単純化して考えると、その延長上には当然そういうものがある。アップロードされた人の人生は、豊かな自然の中でゴルフやテニスを楽しむ。食事を楽しむ。AIが使える多くの召使を持って優雅な暮らしをする。という非常におめでたい話になるわけで、決してこれで買い物が便利になるとか、そういうような、あるいはジェットコースターに乗った気分になると、そんなレベルでは全くないですね。本当だったらば、死んでしまったはずの人間が、実は情報として仮想空間の中で生きている。その仮想空間を提供することが大きな会社のビジネスになってる、というところが面白い話であると思います。

 こんなのは大ぼら吹きもいいところでありますけれども、かつて、有名な映画の巨匠が、『2001年宇宙の旅スペースオデッセイ』っていうタイトルの映画でしたけども、『2001年宇宙の旅』と訳されてますが、それを作ったときに実にファンタスティックな映画と思った人も多いと思いますが、こんにちそれがごく日常的に実現しているということを、今では子供たちでさえ知っているわけです。芸術家の夢見る未来というのが意外に早く現実化するということ。私達はそれを歴史の教訓として学ばなければいけませんが、人間を捉える見方そのものに極端な単純化がなされているということにも気をつけなければならないと思います。しかし、ホラならホラとして、このくらいの大ぼらになれば楽しいと思いませんか。やはりホラがつまらないのは、それがチンケな財テクと結びついてるからで、やっぱり大風呂敷を広げて見せてもらえば、それはそれで楽しめるというものだと私は思います。

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