長岡亮介のよもやま話131「ポイントサービスという虚偽ビジネス」

 ドコモを始めとして日本の携帯会社とりわけKDDIとドコモは、昔から日本の市場を独占し、それでうまみを占めてきた。それにソフトバンクが割って入って三者でうまみを分け合っている。それに4社目として楽天が乗り入れた。こういうことで楽天に対して喝采浴びせてる方も少なくないわけでありますが、実はその大手3社プラス1社、最近では大手4社と言った方がいいかもしれませんが、その大手4社だけでやってるんではなくて、実はその2次売り、MVNOという組織がかなりの大きな役割を占めているわけです。日本は相変わらず大問屋、大問屋、そして町の小売店、こういう形の商売の仕方がどうしても終わらないみたいですね。Amazonとか楽天とかという流通革命は、本当に巨大な革命をもたらし、町から私の大好きな書店、小売店がなくなりました。あるいは町から野菜や果物小売店がなくなりました。流通に関する大きな革命。これが現在進行中であるわけですが、携帯電話に関しては、最も先端的であるはずのものが、実は最も時代遅れ的なビジネスを展開しているのは、ちょっと日本的であるなと思ってしまいます。

 しかしそれにしてもと思うのは最近、私はあまりよく使えないんですが、電子マネーというのが大変普及していて、私も交通系Suica(東京ではSuicaという)、それが非常に便利なもので使わせていただいておりますが、これで小銭から解放されたというのは大変ありがたいことであると思っておりますが、一方でもう交通系Suicaに限らず、ありとあらゆるものが携帯電話でできるようになる。それは日本の古い携帯電話はドコモであってもおサイフケータイっていうのは既に実装してまして、FeliCaって言われるものを実装してたわけですね。しかしそれは日本独自のものであったということもあり、やはり国際的に流通し得るシステムを作らなければいけないということで、今多くの業者ができているんですが、なんとよく見てみれば、みんな携帯電話会社およびその系列店なんですね。かつては、大財閥、三菱とか三井とか住友とか、そういうところが、大元を牛耳って末端まで支配するという構造ができていたわけです。財閥系企業って言われるやつですね。大財閥だけでなく、小財閥あっても小財閥がさらにその小さないろんな子会社を従えるっていう形で、上から下への統制というのが日本企業の一つの特徴でありました。

 なんと電子決済でさえも、ヤフー系列は何ポイントである、au系列は何ポイントである、ドコモ系列は何とかポイントである。そういうふうにしておびただしく多くの店がぶら下がってくるわけです。そのぶら下がり方が一昔前の問屋、大問屋・中問屋・小問屋・小売店で、そういう形でヒエラルキーがはっきりする形ではなく、もっとぼんやりと水平的に管理することができるようになってるということだと思いますけれども、やはり依然としてそのような系列下で電子マネー化という社会の潮流さえ動いているということ。そして、そういう人たちが自分たちの利益を確かなものとするために、役所を動かしてマイナンバーカードを取ったら何ポイント上げますよと。何か私のところにも最近ナンバーなんかするとポイントはもらえます。そういう手紙がしょっちゅう来るんですが、なんで私達がその乞食のように、ポイントをもらうというサービスに対して敏感にならなければならないのかよくわからない。私達が欲しくもないポイントを、みんな実はそういうのを欲しがってますよということを大発見したのは、航空会社でしたね。フライト会社がマイレージサービスをした。これが大当たりした。そんなマイレージ何かが欲しいお客がいるはずがないと私は思ってたんですが、実は私の知ってる人でもマイレージ欲しさに海外旅行に行くという人さえいます。海外の定年退職をした人には、たまったマイルで、ゆっくりした海外旅行を楽しむというのが平均的な楽しみになってるっていう話も聞いたことがありますので、そういう面もあるのかなと思いますけれど。それは、世界を股にかけて、1日に何便も飛行機を乗り継いで世界を渡り歩いてたようなビジネスマンはきっとそうかもしれませんが、1年に数回しか海外に行かない平均的な日本人にとってはマイルが貯まろうと貯まるまいとほとんど関係ないって話だと思います。

 いわんや、小さな日常的なお金でポイントが貯まるとか貯まらんとか、もちろん貯まってたお金がもらえたらいいに決まってるという面はあるかもしれない。特に今税金が高いですから、税金分がそれでなくなるっていうふうに思えれば、それで何かしてやったりっていう気持ちにもなるかもしれませんが、所詮大した話ではない。要するに、一種の虚偽ビジネスなんですが、その虚偽ビジネスが依然として新しい形態をとりながらも、実は本質において古い日本の体質を背負ったまま遂行されているという現実に、私は何か時代の中に、違う時代の写真を見るような違和感を感じて仕方ありません。

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