長岡亮介のよもやま話126「循環しない小数」

 人工知能がこれほど流行る時代に入っても、人々は計算が知能に近いものだという信仰を捨てていないようですね。確かに、古代オリエントあるいは古代バビロニアの人々のように、計算をするとすれば、小さな数の計算でさえ、容易でなかったでしょう。とりわけ難しかったのは割り算でありますけれども、今、小学生が喃々とこなすような簡単な筆算も、難しかったに違いないと思います。しかし、こんにち小学生が九九を覚えれば、それによって数の計算を易々とこなす有様を見ていれば、計算自身が難しいものではないとわかるはずだと思うのですが。どうも、やはり世間の人々一般は、そのような計算的な処理は機械的な処理にすぎないから、まさにコンピューターのような機械ができればそれで済むと思うのですが、それが煩雑な計算になると、それを早く済ますことができるかどうかというのが、人間の能力を測る物差しのように思われてしまっています。しかし、計算自身は機械的なことに過ぎない。つまり人間が知性を用いてやることではないということでありますが、最近のAIが示していることは、人間の知性らしきものを機械が代行する。逆に言えば、人々が知性と思っていた事柄を、計算で最もらしくやってのけることができるというところまで、技術が進展している。これは紛れもない事実です。それは私達が知性と呼んできたところのもの中に、実は機械処理ができるものがたくさん入っていたということなんですね。

 最も典型的なのは、運転でありましょう。自動車の運転が、カリフォルニアのように全部機械化してるということ。これは、それを知らない人から見ればすごいことだ。というふうに思いますけれど。実は高速運転する物は、人間が処理するには危険すぎるんですね。ですから、典型的なのは、自動車よりも遥かに高速に運行する新幹線。新幹線のスピード、これを人間が制御することはとてもできませんから、人間は非常に重要なところをつかさどることとして、出発進行とかってそういう部分は人間がやるとして、途中の猛スピードで運転を制御するところは、機械に任せる。もっと高速に移動するものとして、ロケットがありますね。あるいは飛行機があります。飛行機が上空に飛び立ったら、あるいは上空に飛び出す前のテイクオフの段階から機械化できるということは有名なことで、自動運転、上空に上がったらもうほとんど自動運転で済む。そして難しい気象条件のもとで、ランディングする。着陸する。これも、難しい条件であれば、機械に任せる方が安全であるということもあります。ロケットにいたっては、人間はほとんど制御不可能なくらい高速でありますから。全てコンピューターに頼る。人間がやることは、本当に重要な決断だけというところになります。つまり、運転のような難しいことも、非常にそれが難しい課題であれば、そしてその課題を数学的にきちっと定式化することができれば、機械に委ねる方がよほど安全であるということであります。従って、機械的な事柄というのは、機械の方が得意なんだと。高速に計算するというようなことも機械にはかなわない。人間ができないくらい遥かに高速に計算することができる。

 それをどうも理解してない人が世の中に多く、私が昔聞いた冗談のような話ですが、小学校で難しいと言われている中学校受験する小学生が九九を丸暗記してるというのは当たり前なんですが、九九を暗記してるだけでも大変なことだと思いますけれども、人間ならば。なんと九九というのは1の段、2の段、3の段、そして9の段っていうところまであるわけですね。インド式計算術というのは10の段11の段、12の段、13の段・・・19の段まであるという話です。本当は0の段という一番理論的に重要な計算があって、それは簡単なので計算の中に入れてないっていうのが普通ですが、理論的に言えば九九というよりは十十という方が正しいということは、私がしばしばいう話です。10進法だから、0の段から9の段まで、100通りを覚えなければいけない。なんと、古代エジプトの人々は、10進法をベースにしていました。数を表現するときも全部10をベースにしてた。これが私達の位取り記数法というものを最も古い起源でありますが、それと同じ頃、古代メソポタミア地方では、いわゆるバビロニア文化として花開いたところでありますが、そこでは60進法であったっていうんですね。60進法だとすると、九九を覚えるのに、なんと60×60はともかくとして59×59というところまで、3600の表を暗記しないとならない。絶望的なことですね。もちろんそのような機械的な計算をする上で、10進をベースとした計算に還元していたに違いありませんけれど、それにしても大変なわけです。そのような九九ではありますけど、それを一旦マスターすれば、どんな数の計算もできるようになる。これは小学生の常識になりますね。

 小学生が理解してない高級な数学というのは、中学校で出会う無理数の概念でありましょう。小学生が知っている無理数は、円周率πというもので、πが神秘的な数であるということ。πにはいろいろ数学的な面白い性質があるわけで、これは汲めども尽きせぬ興味の泉であるというふうに言うこともできますが、πを10進小数に展開したときに3.141592…と私はあんまり長く言えませんけれど。それが、永遠に繰り返しなく続いているということ、それ自身には何の不思議もないんですね。それは無理数と、日本では表現されるんですが、無理数という言葉の響きに、何か人々は深遠なものを感じてるんじゃないでしょうか。無理な数。合理的な数学の中に存在する無理な数。この無理な表現の中に、人々の誤解のものがあるんだと思うんです。実は無理数と訳されている言葉の英語はirrational numberで、rationalというのは確かに合理的なという意味がありますから、それを否定したirrationalというのは合理的でないという意味を持ちうるわけでありますが、irrational numberっていうときには、それは不合理な数という意味ではなくて、rational numberという言葉の中に、実は存在している、「合理的な数という意味ではない意味」、つまりratioていうのは英語で「比」のことですね。「比を持つ数という意味」なわけです。rational number。「比を持つ」というのはどういうことかというと、整数の比で表現できる。例えば1.5という数は、3対2という比が、1.5という数で表される。同じように難しい小数、例えば3.14という3桁で終わる数を考えると、それは314対100という、比で表現できるわけです。そういうふうに比で表現できる数をrational number、比を持つ数と呼ぶわけです。日本でrational numberを訳すときに、rationalという言葉に合理的って意味しかないと信じていた私達の先人たちがrational numberを有理数。そして、それの否定型であるirrational numberを無理数と訳してしまったために、円周率のように、無限に循環することのない小数が続く数、これを神秘的な無理数だと思ってしまっているわけであります。

 循環しない小数というのは、無限にいくらでも存在するわけです。循環するという規則性を持つ数の方が遥かに少ない。私達は規則を持つということがとても不思議なことで、その人間が規則を述べることができるというものに限定すると、我々が述べることのできる規則は、本当に例外的な小数しかないということ。ちょっと誤解を呼ぶかもしれませんが、私達がきちっと述べられる数、それは別に有理数に限るわけではないのですが、それも所詮例外的な小数しかないということを、数学では簡単に証明することができます。私達が簡単な規則でもって述べることができるはず。それは本当に少数しかないんです。循環しない小数というような言葉、これは、その数というのがおびただしくあって、「循環しない規則はどういう規則か」というのは、私達は述べることできないんですね。ただ「循環する規則」というのは述べることができるので、その意味で循環するというような数にすると、ほんのわずかしかないっていうことです。循環しないと言ったら、もうそれはもうおびただしいわけですね。私達は循環しないということについて精密に論ずることができない。

 例えば、循環しない数ということで、最も簡単な規則で述べられる循環しない例を一つ挙げてみましょう。それは、例えば小数の中に、0と1しかないという数だと思ってください。0.1その後に001と続く。そして、その後に0001と続く。こういうふうな小数を考えますと、0と1しか出てこないんですが、1と1との間に入っている0の数が1個2個3個4個5個6個7個8個9個10個11個12個13….どんどんどんどん増えていきますから、これは循環しない小数です。こういうふうな規則的な言葉でもって、循環しない小数を作ることができます。

 しかし、そのようにして、人間が述べることのできる規則で表現されるものというのは、やはりほんのわずかしかない。円周率πのように、円という非常に簡単な図形の中に潜む数でありながら、その数について、規則的に述べようとすると、小学生レベルの知識では述べることができない。そういう不規則性があるわけですが、円周率も簡単な規則で述べることができるんですね。それはどういう数かっていうと、円周率πというのを、全体を4倍する。以下のようにしてできる数を全体を4倍した数がπですよということです。どういう数かっていうと、まず最初1から始めます。1が来たらその次に奇数1の次の奇数は3ですね。その逆数をとります。1/3。1-1/3。そしてその次に1/5を足し算する。今度は-1/7。そしてその次は+1/9-1/11以下…ということです。要するに、分数で、分子が常に1。ただし、分母の方は1,3,5,7,9,11,13…こういうふうに奇数を順番に取っていく。そういう分数を無限に続けると、それの全体の和の4倍がちょうどπになってる。このことは、高校3年生くらいになれば、証明することもできる大変に簡単な事実です。そして今、高速計算機を用いてπを精度よく計算するといういろいろなアルゴリズムがありますけれども、基本はこのπについての規則を利用したものです。

 このように、具体的に規則で与えることのできるものっていうのは、ごく少数のもの、例外的なものでしかない。でも、その例外的なもの中に興味深いものがいくらでも存在するわけです。ただし、それを循環しない無限小数っていうふうに表現すると、それは言葉の上では表現できていますけれども、結局循環しない小数の全体というのは、私達にとって途方もなく大きくて、私達はそのような言葉でもって、その全体を捕まえることにならないということ。これがとても面白いことなんですね。今日は、ちょっと珍しく、数学的なお話をしてみました。

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