長岡亮介のよもやま話107「局所性・大域性」

 私達がいろいろなものや社会、あるいは人間関係を見たりするときに、その個別具体性にこだわってみる場合と、その個別具体性を超えて大局的に大きく見るときと、二つのものの見方があって、それをきちっと使い分けるということが大切であるということについてお話したいと思います。数学では、局所的な振る舞いlocal behaviorと、大域的な振る舞いglobal behaviorという言葉があり、それが何を意味するかということについては、最後にお話したいと思いますが、そのことを私は今念頭に置きながら、それを数学以外の世界において私達も使っていることを指摘したい。それを使い分けていかなければいけないのに、その使い分けができないでいる人が少なくないんじゃないかということについてお話したいと思うわけです。

 私は、信州の人間でありますので、小学校5年生まで信州長野で育ちましたので、信州は心のふるさとと思っています。信州というと、知らない人は長野教育県とそういうふうに言ってくれる人がいます。信州教育県、信濃教育県、いろんな言い方があります。確かに、信州の人は教育の問題に対して関心を深く持っているかっていうと、私は自分自身が信州にいた人間として、それは決してそんなことはない。むしろ、いわゆる教育というか学歴に熱心なのは、都会のしかも田舎の人というか都心部の近郊の人々だと、そういう感じがいたします。本当に都会の中心の大金持ちの洗練された人は、学歴なんかとは無縁の世界に生きている。そういう気もしています。学歴なんかにこだわるというのは、学歴に頼って何とか這い上がろうとしているという、ちょっと小賢しい人々という印象なんですね。

 それと比べると、長野に育った私は、長野の人に対するある種の尊敬を未だに持っているのですが、それは、決してお金持ちになることとか、有名になることとか、権力を持つこと、というのを夢にするのではなくて、むしろそういうのとは正反対の、文化的な人、文人とか画家とか芸術家、陶芸家とか、そういう人のスポンサーになるっていうこと。これをすごく大切にしている。貧しい人であっても、そのような人のために自分が努力するということを、とても人生の誇りにしているというところがあります。ですから、長野のちょっとした老舗の旅館に行くと、とんでもない立派な画伯の作品が廊下にちょっと飾ってあって、それが仰々しくないんですね。おそらく今、時価にすれば何億円もするその作品が、廊下に、みんなが通りかかる、風呂上がりに通りかかる、その廊下にちんまりと置かれている。これが大画伯の作であるというふうに「何とかの間」とかを作る仰々しさを嫌う。さりげなく置くということ。それがかっこいいなと思っているところが、信州県人の中に何となく共通して見えます。それは、私は「信濃文化主義」というか、それの証として、何か嬉しいなっていうふうに感ずることです。

 長野の人は、「中央に出て、偉くなって権力を握って、有名になってお金を儲ける」、そういうふうには言いませんが、そういう有名な人が苦しい時代に、その人たちのために自分も一肌脱いだんだということを誇りにしている。私自身の祖母もそういう人でありました。こういうのはいいなと思うんですが、では、長野の人が全員そうか。長野は県として、そのような気持ちでまとまっているかっていうと、そんなことは決してない。ものすごくせこい奴とか、とんでもないあくどい奴とか、いくらでもいるんですね。例外だっていうふうに長野県人を思っているんですけど、最近の長野を見ていると、それが例外というふうには、もはや言えない。そういう世の中に変化しつつあるなという気もします。

 と同時に、やはり長野は大きな県でありまして、そこには、県民性っていうふうな言葉でまとめられるほど単純な小さな集団でないわけで、おかしな話ですが、長野には、大きな都会があるわけではありませんが、中心都市と言われているものはいくつかあります。長野市はその典型でありますが、北の方にあります。長野以上に歴史的な伝統を誇るのは松本でありますね。皆さんの中には松本城という言葉、あるいはその史跡をご存知の方もいらっしゃると思いますが、松本の周辺は自然も長野以上に恵まれているところがありまして、とても雰囲気が良いところです。長野以上に垢抜けている面もあります。しかし、長野県の県庁所在地は長野市という僻地の方にあるわけです。僻地にある県庁所在地はおかしいって、松本の人はよく言うんですが、ではニューヨークでもロサンゼルスでもなくワシントンDCに首都が置かれているUnited Stateはどうなのかってそういうふうに言ったら、その人たちも沈黙せざるを得ないと思います。要するに、デンバーとかシカゴに首都を置くべきであるという主張が成り立たないのと同じように、長野県の人は、諏訪とか松本に置くべきであるというのは、やはり当たらないわけですね。いろんな経緯から、長野市が県庁所在地になっておりますが、長野市は県庁所在地としての誇り、善光寺という文化を大切しながら、善光寺っていうのは実はいい加減なお寺なんですよ。決して一つの宗派でまとまっているわけじゃなく、宗派の掛け持ちという妥協の産物のようなとんでもない組織なんですけど、そのことは置いておいて、今、松本まで話しました。

 諏訪というところもあります。皆さんは諏訪湖という大きな湖が山国の長野の中央にあるということに対して非常に不思議に思うかもしれませんが、諏訪というのは非常にいいところで、セイコーというかつて時計の大きなメーカー、今やエプソンというプリンターとか電子機器の重要なメーカーの拠点があり、日本語かな漢字変換ソフトとして、皆さんの多くが使っているものは、実は名前は隠されていますが、エプソンの会社の中で作られた作品なんだと私は思っています。昔は無料で公開されていたものでありまして、日本語かな漢字変換ソフトに関しては良いもの他にもいっぱいあるのですが、皆さんが一般に使っているのはそれだと思います。諏訪という素晴らしいところがある。

 そして長野県で最も豊かなところは米どころでありまして、お米が取れるというのは平野。長野には大きな平野はありませんので、盆地というのですが、大きな盆地、平っていう名前がついている佐久というところがありまして、佐久平っていうんですが、ここが今や長野のいわば発展の象徴のようなところになっています。昔はど田舎であったわけですが、今や新幹線の駅もできて、大変に人口が急増している地域です。長野市の人は佐久なんてとか、松本の人も佐久なんて、諏訪の人も佐久なんて、と言うんですけれども、今、佐久市の持っている勢いにはどこの市もかなわないのではないか、と思います。

 その他に、桜で有名な高遠っていう地域がある。伊那谷、谷っていうのですが、諏訪湖から流れる大きな川、それに沿った伊那谷という歴史豊かな地域があります。いろいろな特有の文化が育っていて、多くの人が訪れて、印象を深めるところであると思います。それと並んで木曽谷というのもありまして、木曽の御嶽山という厳しい山もあるのですけれども、そこを流れる木曽川というのは、天龍川と並んで長野を代表する川でありまして、そこにも特有の文化が育っています。距離的には短くても伊那から木曽に行くという道は、山脈を超えなければいけませんから、大変なことになるわけですね。あるいは佐久平から木曽に行くというのも、それはそれは大変なことになるわけです。長野はそのようにいろんな地域に分割されていますから、それぞれの地域ごとに特有の文化があって、長野県の中では信州の中で、木曽の人間はとか、すぐ長野の人間はとか、というふうに言い出すのですね。だから地域性が非常に強くあるわけです。その地域性があるくせに、実は信州としてまとまるときには、信濃県人はというふうにして、県としてまとまって行動するというところがあって、そこでは地域性が一気に吹き飛んでしまう。だから、長野県人はよく言えば、local behaviorとglobal behaviorを上手に使い分けているということになります。

 一般に、地域の文化というのを語るときに、その地域特有の文化、特殊性の方に目を向けるか、それともその特異性を抽象した一般性の方に目を向けるか、それは私達の目の向け方の違いであって、実はそれぞれの文化は、それぞれの地域にする人々の暮らし、あるいは暮らしをしている人々の実際の姿、それは地域ごとに実に多様で、地域の中でも人によって多様なはずなんですね。金子みすゞの詩に、「みんなちがって、みんないい」という非常に素晴らしい言葉がありますけれども、実は本当は、人々はみんな多様なんです。多様だけれども、その多様さに注目するのではなくて、あるまとまりに対して注目するというものの見方があって、そういうグローバルな視点が大切なことというのは時々あります。

 私は今、地域性というものと個人というのを、対比的に語りましたけれども、地域性くらいだったらいいんですけど、国民性とかってなると、非常にいかがわしいわけですね。日本人の国民性っていうことをしきりという人がいますけれども、信州というあるいは長野県という地域に限定しても、それぞれの中心都市によって全然文化が違うというところがあるわけでありますから、日本の、という小さな国とは言っても、北から南まで広がったところでは、いろいろな文化があるわけです。そこには多様な文化が開けているというふうに言うべきなんですが、私達は外国人に対してまとまるときには、すぐ日本の国民性、日本人の国民性とこういうふうに団結しがちですね。そして日本人の中にある多様性に対して目をつぶってしまう、というところがあるのではないかというふうに思います。

 だんだんだんだん話が大きくなって言うと、日本からアジア人とヨーロッパ人、白人と黄色人種あるいは黒人。こういうふうに括る。前にお話したかもしれませんが、私の友人の黒人で、「黒人というと、みんなリズム感があり、そして運動神経がいいって言われているけど、自分のようにリズム感も悪く、運動神経も悪い人間もいるっていうことなかなかわかってもらえなくて困る」という嘆きを聞いて、私は笑ってしまいましたけれども、それはそうでしょうと。日本人にもいろんな日本人がいる。黒人といったって、アフリカ大陸があれだけ大きいわけですから、全ての人が、黒人というふうにもしまとめて言うとすれば、それはとんでもない話であるわけですね。ですから、民族一つ取っても違うわけですから、それは運動神経とか音楽の感覚、それでもって一緒くたにすることはできないでしょう。そういう私も心より同情するというか、同感する、共感を覚える、そういう経験をいたしましたけれども、やはり、あまり大きく見ると間違っているわけですね。私達は人種問題っていうのに対して、とりわけ神経を尖らせなければいけないのは、人種に共通して見られる、ある種の特徴があることがあります。しかしながら、人間の持っている個性、人間の持っている能力の多様性に関しては、人種を超えてそれを遥かに上回るスケールで広がっているということを、私達は決して忘れてはならないと思います。「アインシュタインが出たから、あるいはイザークパールマンが出たから、ユダヤ人は優秀である」というのは、いくら何でも乱暴だと。ユダヤ人はもしかしたら選ばれた民であるかもしれないと思うくらい経済的な人がたくさん出ていることは事実ですけど、そうじゃない人もいっぱいいるに違いないと思います。迫害された民であるから、迫害された痛みを知っているに違いないと思いますけれども、多くの人がそうだと思いますけど、そうじゃない人もきっといるに違いないと思います。残酷な人もいるに違いない。愚かな人もいるに違いない。人間の持っている多様性というものに対して私達は決して忘れてはいけないと思います。

 とりわけ、今はウクライナとロシアの非常に凄惨な戦いが続いているわけです。ウクライナもロシアに対して、領土を回復するための戦争に対して、奮い立っています。戦争というのはどんなときでも大変に残酷なもので、本来残酷でない人間までも残酷な行為を取らざるを得ない。そういう人間の持っている愚かさが凝縮する世界だと思います。そういう中にあって、ウクライナ人はとか、ロシア人は、というふうに語る風潮がことに私は残念に思います。ロシアにも、あんなに広い国土で、あんなに多様な民族を抱えているわけですから、ものすごく個性の広がりは大きいはずであって、ロシア人という国民性というようなことについて、気楽に語る日本人がよくいますけれども、私は自分が知っているわずか数十人あるいは数百人のロシア人をもって、ロシア人を代表させるというのはとんでもないことであるというふうに思います。私自身はロシア語を勉強するほど、ロシア文学に憧れて育った人間でありますし、ロシアの音楽に関しても深い関心を思っている人間でありますけれども、ロシア文学も非常に多様であるし、ロシアの音楽もものすごく多様であるわけです。決して、ひとくくりにできるわけではない。それはドイツ音楽とかフランス音楽をひとくくりにできるわけでないのと全く同様です。ましてロシア国民というものは、というような言い方は、今のプーチンロシアに対する反感を煽る言葉としては非常に適しているかもしれませんが、私はそれは非常に不毛なことであって、ロシア国民の中に、プーチンに対して反対している人々がたくさん存在するということにニュースの報道は決してされないけれども、しているに違いないっていうこと私達は忘れるべきでないと思います。私はたくさんのロシアの友人を持っています。そしてその友人たちは決してプーチンの政策に賛成する人々ではないということを確信しています。しかし、そういう声が表に出ないという現在の政治状況、社会状況を、私達は彼らとともに悲しく受け止め、そしてそれを打開するために私達自身に何ができるかということを問うべきだと思います。同じことは中国人の国民性とか、ベトナム人の国民性とか、インド人の国民性、というふうに語るのと同じように、過ちです。私達は、インド人に触れたついでに、ちょっと思いついたのですが、やっぱり「ガンディーの非暴力主義」、それを支えた「寛容主義」、それに、思いを馳せなければいけない。文化的な寛容性、他者を理解するために、自分に対して耐えるということ。そのガンディーズムっていうのは、非常に深いメッセージを今も私達に投げかけているのだと思いますけれども、暴力に対して断固として戦わなければいけない。ガンディーは、本当に棍棒で殴ってくる軍隊、あるいは銃で武装している軍隊、イギリスの傭兵みたいな人たちに対して、まっすぐに進軍する。武器も何も持たず、杖1本を持って、綿の衣一枚羽織って、行進していったわけですね。そういう勇気を、私達は時に思い出して、私達が、あの憎きロシアとか、憎き中国というふうに、まとまることのないように、知的に生きていきたいと思うんですね。

 最後に、ローカルな物の見方とグローバルなものの見方。それは両方ともあっていいんだっていうことを数学から引きたいと思います。私達は関数の振る舞いを調べるときに、例えば皆さんご存知の三角関数というのは、周期的な波、周期的な動きをするわけですね。その周期性っていう振る舞いは、ずっと通して全体を通してつながれるわけですから、そういうのはグローバルな振る舞いと見ることができますね。それに対して、例えばサインカーブ、サインとかコサインの波というやつは、あるところで頂点を迎え、あるところでボトムを迎え、その頂点とボトムの間は周期的に繰り返すんですが、その周期性の頂点のところで、いわば接線が平らになるわけですね。接線が平らになるっていうこと。もう少し精密な言葉で言えば、横軸に平行な接線を持つということですね。接線を持つということは、サインとコサインという関数グラフは曲線なんですけど、その曲線でありながら、実はその頂点のあたりを考えると、それは水平な直線のような動きだと。そのローカルに見ると、その頂点付近だけで見ると、実はそのような水平線であるということです。今わかりやすく、頂点を例にとりましたけど、サインコサインという関数は、あらゆるところで微分可能であるわけです。微分可能ということはそこで接線を持つっていうことです。接線を持つということは、そこのごく点の近所、ローカルに考えれば、「曲線は直線である」ということなんですね。曲線というものを直線とみなすことができるということ。これが「局所的なものの見方」ということです。この局所的なものの見方ができることによって、私達は微分法というものを発見し、その微分法の威力を借りて、私達は自然現象を解明するということができるようになった。自然現象の変化というのは、局所的に見るならば、それは微分方程式というような数学を使った等式で表現することができるということをわけですね。そして、その局所的な振る舞いを全体的な振る舞い、大域的な振る舞い、global behaviorに翻訳し直すという方法を発見するわけです。それが積分法という考え方でありまして、微分法というローカルなものを見方と積分法というグローバルなものの見方、それが裏表であるということを発見したこと。これが17世紀における微積分法の発見という、近代の始まりを象徴する。18世紀にもかかっているから17、8世紀というべきでしょうね。その17、8世紀における近代数学、近代科学の大発見であったわけです。したがって、ローカルな見方と、グローバルなものの見方、それがどちらも正しいし、そのどちらかに偏るのではいけないということ。それが物の見方のいわば反対の側面、両側面であるということを、大変に雄弁に物語るのが微積分法というものであるということです。ということで、最後に数学で、論理的な根拠をごまかしたというふうに、はぐらかされたという思いを感じる人も多いと思いますが、まさに数学の権威を借りて、私の論理を補強したということであります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました