長岡亮介のよもやま話105「日本社会と責任と無責任」

 今回はまた趣向を変えて、大人と子どもというか、「立派な責任を取る」という人間関係と、「お互いに責任を分担して責任をあえてそれ以上追及しない」という暖かい人間的な関係と言われる対極について考えてみたいと思います。私達現代人では、一旦約束をしたならば、その約束を履行するということが大人の義務とされています。特にビジネスにおいて、約束を守らないことはとんでもないことでありますね。私も実はあまり利用しないのですが、インターネットショッピングで買い物をし、ある日本に代理店を持つアメリカの企業、といっても零細企業ですが、そこから安い電子製品を購入しようとしたのですが、全く埒が明かず、酷い目に遭いました。最近ではそのような詐欺まがいのことっていうのは、本当に珍しくなっていると思いますが、向こうにもいろいろな事情ができているのでしょう。そしてそのことを、取次ぎをした大手の流通代理店を通して明らかにするということが、今後の自分のビジネスを展開する上で、困ったのでしょうね。私にその大手を通さずに、個人的に連絡をくれというような情けない手紙が来たのですけれど、私は会ってもいない、全く信頼ができない相手と、そのような裏交渉を行うということが憚られたので、Eメールに関しても、使っているEメールアドレスを使わずに、ドイツのフリーのEメールサービスの会社を介して、その場限りの、若い人なら捨てアドと言われる、つまり一時的にしか使わないアドレスを使って、Eメールを送りましたが、そのEメールに対する返事もありませんでした。

 無責任極まりないということで、私としては許せないという怒りに近い気持ちもあるのですけれど、それと同時に、実は日本社会の中にあって、「一人前になったら責任を取りなさい」という文化は、いつから生じたのかということを考えてみますと、江戸時代の武家社会においては、責任を取るということは非常に厳しく行われていました。「切腹」という、世界的に見て類例のない自分で責任を取る、命を差し出して責任を取るという習慣は、責任というものの重さを、自分にもまた周囲の人にも明らかにする大変に勇気のいる行動であった、と思いますけれども、全ての人はそのように責任を取る、そういう生き方をしていたかというと、やはりきっとそうでないと思うんですね。つまり、村の社会の中で、「まあ謝ったんだから、もうこれで無しにしよう」と、事を収めようというように、長老があるいは村の主が間に入って、「俺の顔を立てると思って、この事についてはもう不問にしようじゃないか」と、シャンシャンと手を打つというような、あるとこまで追求したならば、その先はあえて追求しないで丸く収めるという文化が日本の中で、むしろ多数派はそのような文化の中で生きてきたのではないか、と想像いたします。

 日本社会の中にある、ある陰湿な村社会的なもの。つまり、村を外れたならば、それはもうどうなってもいいだろうと。しかし、「村人として結束している限りは、その結束を守る。団結を守る」という絆を大切にする社会というのは、ある意味で非常に温かい社会であるわけですけれども、お互いに失敗は水に流そう、誰でも失敗はすることなんだから、それを最後の最後まで追求するということはやるまいという立場ですね。それは、田園的な人間関係というか、農村的な人間関係というか、社会的な関係がコミュニティ、共同体をベースに成立している。ですから、ビジネスマンあるいは商人として、その場を去ったならばもう村人でない。つまり、一過性の人との間の約束ではなくて、生涯にわたって付き合う。日本の場合なんかだと先祖代々からのお付き合いというような、付き合いが日本社会の中で伝統的に続いてきた。そういう中にあっては、責任を取れ、切腹をしろというような厳しい責任追及は、なかったんだと思うんですね。

 そして、そのようないわば、良く言えば暖かい人間関係、悪く言えば、結局何でも丸く収めてしまうという、いい加減な責任の取り方。これが、私達は日本の文化の伝統的なものではないか、と私は最近思うんです。日本では責任を取るという事ができない。企業においても、あるいは政治においても、最終的に責任を取るということがない。ですから、どんな決定もみんなで合意して進んできたんだと。したがって、その責任に対しては、みんなで分担しようじゃないかと。個人的な責任を追及するということはやめにしよう。これが日本の伝統であったんではないかと思うんです。責任をあえて明らかにしない。わざと責任を曖昧にする。そのことによって、人間関係を円満に保つ。これは、日本特有の知恵であるかもしれません。農業を基本とする社会の中では、それが叡智であったのかもしれません。

 しかしながら、グローバルなコンペティションが日常的な時代になってくると、このような古き良き時代の「まあまあいいじゃないか」というような、責任を曖昧にする日本の生き方というのは、国際的に見て通用しないものになってくるわけでありますね。日本の企業がいろいろと自己改革に取り組みながら、失敗し続けるという現状は、結局のところ私達が歴史を総括してない。新しい時代が来ているんだということを掛け声で言いながら、自分たちの生活自身は、新しくしていないという事の、別の面からの証明であるように思います。

 私達が、しかし、一方で社会の表層の動きだけを見ると、他人の失敗に対して非常に厳しく追及するようになった。例えば、裁判員制度のようなものを通して、裁判員になった人が、従来の判例、つまり法律的な判断の過去の事例、そういうものを超えて、厳しい判決を下すようになった。「犯人に対して極刑を望みます」というようなことを、被害者が言うようになった。犯人に対して憎いと思う気持ち。それを誰かが私に代わってその憎しみを晴らすために、極刑を課して欲しいという被害者の気持ちは、私もわからないではありません。人間というのは、そのように恨みというものを持ったときに、救いのない深い闇の中に生きていかざるを得ない。というようなことを、前のスモールトークでお話したと思いますが、やはり私達の中にはそういうものがあるんだと思います。しかし、それを村の長が、「まあまあ、これは私の顔に免じて許してやってくれ」というようないい加減な決着をつけてきた歴史が、長く長くあるわけですね。

 そして、そのような長い歴史が今、割と社会の表層で、本当に大事じゃないところで、決してつまらない犯罪とは言いませんけれども、政治の決断と比べれば、関わっている人数の数は桁違いに少ないわけですね。そのような民事や刑事の事件に関して、極刑が望まれる。特にそれも思想犯に対して、そのようなものを望む。あるいは思想を問うことができないような精神の病を抱えているのではないかという人に対しても、それを望むということは、私達が「責任を持って人々が生きなければいけない」という社会に本当に生きているんだとすれば、私達は何よりも政治に対して、あるいは行政に対して、その責任を厳しく問うべきですね。日本の行政は、私はよく「委員会行政」と言いますけど、誰が判断したということを曖昧にする委員会が何重にも作られて、その委員会の中で得られた結論を作文するのも役人。委員会に意見を求める草案を書くのも役人。役人が基本的なストーリーを作っていながら、実はそれを役人が、誰が判断したという責任を曖昧にするために、各種諮問委員会っていうのを作る。有識者も、誰が有識者で、どのような判断をしたかということについては、よほど頑張って調査しないとわからないという仕組みになっている。

 そのような個人の責任を、あくまでも否認するような、あるいは秘匿するような、そういう社会が、いわば大きなレベルで続いているわけですね。そこの行政のトップで行われる判断というのが賄賂に絡んでいる、などということは話になりませんけれども、たとえその人の個人的な収入として「収賄行為」が行われてないとしても、みんなに関わることであり、しかも、みんなが必死に納めた税金を使うことのですから、道路工事一つとってみても、その責任は極めて重大であるはずですが、その責任が問われない形で行われている。私達の本当に重大な決断、政治とか行政とか場合によっては司法、司法においては裁判官がその責任を負うということになりますので、日本の裁判官は、しばしば本当に法廷で判決を下すということはできるだけ避けて、民事的な裁判では、調停とか和解という形で判決を避ける。つまり最終責任を避ける形で、やるわけですね。そして最も重要な判決を下す最高裁においては、大法廷っていう形で、ものすごい人数で、1人の人の意見ではない、その大法廷の中の多数意見ということでいく。でも、裁判官の場合は、誰が判決を書いたか、あるいは少数意見ということで、判決に合意できなかった裁判官の意見も残す。そういう責任のあり方が、きちっとしているので、私はいいと思います。

 が、やはり問題は、その他のところでありますね。政治あるいは行政という非常に重大な問題を抱えるところに、責任がきちっと問われないということ。私はそのことは非常に重大だと思います。そして、その責任を、トップのところから取るということが習慣化して、初めて実は民間の一般の人々についても、厳しく責任が問われるという社会になっていくんだと思います。まず末端の人から責任を厳しく追及するというのは、私はあまりにも安易な社会変革の流れを急激に作る事になるのではないか、と思うと少し胸が痛くなる次第です。

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