長岡亮介のよもやま話85「成功体験」

 私たちはよく人生の成功とか失敗とか、気楽に語りますね。事業で成功した人を人生の「勝ち組」といい、事業で失敗した人を「負け組」という類の単純な割り切り方です。確かに事業に失敗するよりは、成功した方が、せっかく事業に夢と希望と野心をかけたわけですから、そしてそこに時間とお金と労力を投入したわけですから、成功する方が良いに決まっているとは言えそうですが。実は長い人生ですから、失敗の連続で、最後まで失敗ということもないわけではありませんけれど、実は「失敗して、それから学んで、大きく成功する」ということがいくらでもありうるわけです。つまり、失敗を続けていると、失敗の人生、失敗ぐせがついている、とこんなふうな言い方をする人がいますけど、実は失敗から人々は学ぶことができますから、重要な学習体験をそこで得ている可能性もある。「失敗は決して失敗では終わらない」ということです。そのくらい人生は十分に長い。

 他方、人生で成功に成功を重ねる。こうすると成功した人生のように思いがちですが、人生は成功が続くほど短くはない。実は成功したと思っている、その成功体験が続いた人生の末路には大変な大失敗が待っていることがある。これを一般的に言ってもわからないと思いますので、例えばウラジーミル・プーチンという、今最も世界で注目され、嫌われている人を例にとりましょう。彼はその生まれ育ちからして、ロシアの大統領になるというようなことは、全く本当にありえないくらいの大成功であったと言えましょう。「ウラジーミル」っていうのはロシア語で「平和を目指して」っていう名前なんですが、彼の人生は決して平和を目指したものではなく、言ってみれば、ソ連のため、あるいはロシアのために、国粋主義的に働いてきた非常にせこい人間。ある意味では愛国主義者と言えるかもしれませんが、大変了見の狭い人間でありました。しかし、その彼がこともあろうに、本当に旧ソ連を大改革へと導こうとしたゴルバチョフという大統領のちょっとした失敗に付け込んで、権力奪取に成功したエリツィンという人の政治的な不正、それを隠し通してやるというのの見返りに、大統領職というのを手に入れたことを今では常識だと思いますが、そこまでは本当に成功体験の人だったと思うんですね。考えられないくらい成り上がった。

 しかし、その成功に次ぐ成功によって、権力を手中にした。もう対抗馬が誰もいなくなる。対抗馬を全て暗殺する。それくらいの権力を手に入れながら、実はその成功体験が続いたがゆえに、大失敗をした。それが今回のウクライナ軍事侵攻であったと思います。常識的には本当に「数日で戦争は決着し、ウクライナにロシア寄りの政権が樹立されることである」というストーリーであったということを、昨日テレビの報道でその記録が残されていることを目の当たりにして、今まで評論家たちがいろんなことを言ってきたことは一体何だったんだろうと思いながら、その真実のストーリーの迫力に私は感動さえ覚えておりましたが、成功に次ぐ成功を続けてきたプーチンにとって、今回のウクライナ軍事侵攻というのは大失敗であったわけです。おそらくこの大失敗から彼は脱却することができないし、この大きなツケを、彼は生涯にわたって払い続けなければならないことになるのであろう、と私は願っています。はっきり言って。

 しかし、この極端な例を持ち出すまでもなく、成功体験が実は続く悲惨な失敗を導くという例は、アメリカ軍の日本占領に見られるアメリカのその後の外交政策。かつてはPax Americana(パックスアメリカーナ)と言われるほどの世界平和を実現したアメリカ合衆国の政治的な力、経済的な力でありましたけれども、そしてそれに裏付けられた軍事的な力でありましたけれども、太平洋戦争で日本を打ち負かした。日本は最後の最後まで抵抗してくるというストーリーを、アメリカも描いていた。この凶暴な日本人をどの様にして、敗戦を認めさせるかということに、アメリカの知識人たちは苦慮していたわけです。日本人の分析、日本人論というのがずいぶんアメリカで研究されたと思いますが、結局最後はもう誰の目にも明らかな軍事的な敗北を認めさせるのに、強力な兵器を使うことが正当化されるという非常に悲惨な結末を迎えたわけですね。広島、長崎への原爆投下です。そして、それから1週間もしてポツダム宣言の受諾。要するに無条件降伏を日本は初めて公表したわけです。

 しかし、普通の常識を持っているならば、例えば現代の人であるならば、日本がドイツやイタリアが既に無条件降伏した中にあって、日本だけが戦い続けているということ自身が、いかにクレイジーであったかということは明らかでありますね。でも日本は最後の最後まで本当に文字通り悪あがきをしていた。それによって多くの軍人と軍人でない一般市民が犠牲になった。このことの罪はものすごく大きい。そしてその責任もものすごく重大である。この罪と責任をはっきりさせないまま、日本は太平洋戦争の終結で日本に上陸してきたアメリカ軍を、実は大歓迎したわけですね。それまでは竹槍で戦うと言っていた町のおばちゃんおじちゃんたちも、アメリカ軍の配給してくれる食料、砂糖やチョコレートの美味しさに、子供でなく大人まで浮かれたわけです。そして日本は一気にアメリカ文化に染まっていくわけですね。アメリカがくれた農地解放、あるいは非常に民主的な憲法、そして労働者の権利・福祉、そういうアメリカ的な民主主義の理念、それをプレゼントされた日本国民は、無条件に喜んでアメリカの占領を、手を振って歓迎した。

 アメリカにとっては、これは本当に初めての成功体験、大成功体験だったと思うんですね。この成功体験が、その後のアメリカをひどく縛ることになるわけだと思います。朝鮮戦争の失敗、ベトナム戦争の失敗、アフガニスタン介入の失敗、イランへの介入の失敗、イラク戦争の失敗、その前は湾岸戦争の失敗、いろいろありますけれども、全ては実は太平洋戦争における日本占領の大成功という成功体験がもたらしたものだと、私は思っています。

 日本はいまだにアメリカを自分の味方、自分の模範だと思っていますね。一部の右翼的な人は「アメコー」とかいう生意気なことを言いますけれど、アメリカ人の懐の深さ、豊かさ、そしてその民族の多様性の持つ力、そういうものを正しく評価している人は、実は少数ではないでしょうか。しかしながら、アメリカ的な繁栄、それを羨ましいと思い、それに少しでも追いつこうとして日本は努力してきた。そして、日本がGNPとかGDPとか、そういう数値でアメリカをも上回るという値が出たときに、「JAPAN as No.1」といって浮かれたわけです。しかし、国民総生産などというのはただの計算的な数値にすぎなくて、その数値をどのように計算するかという経済学的な厳密な基礎が必要なのですが、実はそういう厳密な批判的学問として経済学は依然できていなくて、表面的な数値の計算式で、それをいじくり回しているだけという状況ではないかと私は考えておりますが、そうでなければ、経済が世界中でこんなに混乱し続けるということはあり得ないことだと思うからです。

 しかしそのようなことで、「日本が世界一だ。それに輝いた」ということを忘れられない日本人がいて、「日本がまたリバイバルする」ということを夢見ている人がいますが、日本は今、GDPでこそ中国に次いで世界第3位でありますけれども、日本の財政の悪さというのは、もう本当にデータのある国の中でも本当に下の方というところに属しているわけで、日本は、例えば「食料自給率」、これは安全保障の要だと思うんですが、「みんなが明日飢えて死ぬかもしれない。もし、江戸時代のように鎖国を行ったら、日本人はほとんど全員が餓死する」、そういう状況が数学的には明らかであるのに、みんな平気な顔をしていますね。それでいて国防費を増やして安全保障になるんでしょうか。一体どこの国がこの日本を占領して攻めようとするのでしょうか。

 私たちは、まず日本の現実、それをきちっと見なければいけない。私たちは既に多くの失敗体験と成功体験を積んでいるわけですから、その苦労の後にその成果を摘み取る新しい日本を、築いていきたいですね。その成功体験に酔うのではなく、失敗体験にいじけるのでもない。成功と失敗と両方とも経験している、長年にわたって苦労してきた私たち先祖の文化の伝統、それをきちっと総括し、責任を持って未来を見据える。そういう見方をしていきたいと思うのですけれど、皆さんはいかがお考えですか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました