長岡亮介のよもやま話77「インターネットショッピング」

 今では極当たり前になりましたけれども、インターネットを介していろいろな買い物をするということは、そういうサービスができた初めの頃、私は書籍を注文するのにこんな便利な方法があるかと思い、特に海外のものを取り寄せるときに、それまでの常識を全く上回るすごいスピードで購入ができるので、その新しいビジネスモデルに対してすごいなと思い、そのときの感動が元になって、国内に置いて手に入る書籍であってもインターネットを通じて購入したという経験があります。今となってはとても懐かしいのですけれど、インターネットを通じて書籍を購入するというのはすごくリスクがあるっていうことを、日本の書籍を買って思いました。それは買ってがっかりするという確率が小さくなかったからです。題名や中身がわかっている、そして定評のあるものはともかくとして、インターネット上の非常にわかりやすい広告で解説された書籍を購入してみると、実物が着いて本当にがっかりしたことが何度もあり、書籍は購入しなくなりました。やっぱり書籍は書店で買うのがいいな、と今でも思っています。

 それに対して、コンピュータをはじめとして、いわゆる工業製品というんでしょうか、それは品質に関してあまり問題がないと思い、インターネットで購入するということが続いています。インターネットショッピングというのは、時間を節約するという意味では良いものですが、一方でその商品の本当の良さというのはなかなかわからない。自分で買うものを決めているときにはいいけれども、そうじゃないときにはなかなか難しいという面があるということを、今は痛感しています。

 それだけではなく、今インターネットを通じて広告とわからない形で、顧客のニーズを創出するというのでしょうか、つまり、ニーズがないところにニーズを創り出す。そういう広告宣伝のようなものは本当に星の数ほど溢れていて、中にはかなり危ない情報を発信している、と私でも思うものがいっぱいある。インターネット上の広告は、しばしばお買い物チャンネルに匹敵するような、言ってみればこれを買わないと損だと言わんばかりに、まくしたてるのですね。

 そして今の世代の若い人は、私の世代と違い、そのようにまくしたてるような扇動的な言葉に無警戒ですね。私の時代には扇動する、アジテートするというものに対しては、常に警戒心を持って接しました。扇動に乗ってはならないというのが、私達の世代では当然のことでした。こういう私も学生運動というものに参加していましたから、アジテーションという言葉を使ったことがありますが、何も一般の人々が考えてないときにその結論を先取りしたような短絡的なアジテーションいうのは、やはり私自身はその当時嫌っておりました。本当の意味でアジテートするためには、理路整然と、「今、次に行動を起こすとすればこのようにしなければならない」ということを理詰めで説得する。これが私達の世代のアジテーションであったと思います。ただ、勇気ある行動を呼びかけるというようなアジテーションは最低最悪ということです。

 ところが、最近ではインターネットでは科学的な言葉を勝手に語って、それが客観的な事実であるかのようにアジテートする。時には医療の権威、あるいは医学の権威、時には科学の権威たちが、それを勝手に選奨して、まくしたてるように結論を言う。その結論が通常の常識とちょっと違っていると、それだけで感動するという人がいるのかもしれませんが、私に言わせると、実はアジテーションが成功するのは、人々が、あるいはこの場合は大衆がと言った方がいいかもしれませんが、そういう人たち、アジテーションを聞く側の人たちが、アジテートされる結論を自らも実は言ってほしい、そのような方向に自分自身を納得させたいと思っている。そういう場合だと思うんですね。本当にニュートラルな立場に立つ人に対しては、アジテーションも効かないということです。霊感商法という言葉がずいぶん話題となっていましたけれども、霊感商法というのも、無理やり相手を説得するというのでは、決して成功しないんですね。そうではなくて、そういうふうに言われたがっている人々の心の隙につけ入るからこそ、ちょっとしたアジテーションが効いてしまうわけです。

 そういうことを考えると、今のインターネット上にあふれかえる。本当にアジテーションもどきの繰り返しの広告宣伝、あるいは「情報」の発信に対して、若い人には特にそういうものに警戒を持ってほしい。ある種の権威、例えば学問であるとか、科学であるとか、医学であるとか、そういう権威を語って、それを私は「詐称して」という言葉の方がふさわしいと思いますが、学術的な規範性、科学的な規範性、そういうものを全く無視して、勝手に選奨する。そして、それによってまくしたてる。言葉で人々の心をつかむということが、普通の人によって行われている。これが悪逆非道なヒトラーだとか、あるいはプーチンであるとかいうんではない。そのことに、そしてそれがビジネスとして成功しているかのように見えることに、私は危機感を持っています。私の時代の常識がもはや通用しなくなった、そういう現代の危うい状況に対してです。

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