長岡亮介のよもやま話76「社会保険制度」

 最近イギリスやフランスで、鉄道だけでなく多くの職場の労働者が政治の大きな変革に対して、抗議する意味でストライキを打っているという報道が、国際ニュースで度々流れます。私から見ると、イギリスの鉄道の問題や医療の問題よりも、フランスにおける年金改革の問題の方が、日本の状況と比較してみて、より重要な問題を提起しているように感じます。というのも、鉄道の問題が抱える厄介な問題は、日本は「国鉄の民営化」という非常に大胆な改革を通して民営化した、最近では「JR」と呼ばれる組織が、非常に良い経営を続け、それでもまだ国に対して莫大な借金を抱えているのですけれど、とりあえず単年度ベースで見れば信じられないくらい良い景気で、経営しているわけです。そして、それは今のところ顧客にもサービスの向上として、映っている。東京都心の大きなターミナルステーションが、ショッピングモールとして近隣のデパート、特に老舗のデパートが凋落し続ける中にあって、非常に躍進的な経営をしているということは、民営化のもたらした一つの結果であると思うと、何十年か前の国鉄民営化に私自身は賛成できない気持ちを持っておりましたけれども、それが必ずしも正しくなかったということを認めざるを得ないと思っています。あれ以上、国鉄が借金を重ねるというのを許すべきではなかったと、思わざるを得ないわけです。

 同様のことは日本の社会保険に関しても言えまして、今、国家財政を圧迫し、国が赤字予算を組む。こういう異常事態がずっと続き、しかもその赤字幅がどんどんどんどん拡大する。それを国債発行という形で賄い、国債を銀行に押し付けるという形で、多くの銀行が日本の国債を買っている。そしてそれを国民も買っているということだと思います。馬鹿みたいな低金利政策の中で、国債が一番金利がいいからということで、国債を保有している金融機関、そしてお金持ちの個人もいらっしゃると思いますが、しかし、もし金利を上昇させざるを得ないという局面に至ったときには、金利が安く固定されている国債は市場価格は暴落するわけで、それは今アメリカやクレディスイスのような超優良銀行でさえも、破綻に追い詰められている原因の一つであるわけでありますから、長期間の契約を結んでいる国債を発行することも、それを保有することも、大きなリスクであるわけです。国債は最初の契約の償還期間が来たら返さなければいけない。利子をつけて返さなければいけない。その利子が今は比較的安いので国としては何とか支払っていくことができますけれども、しかし、その金利を払うために、さらにまた新しい国債を発行する。そして国債を誰かが引き受ける。金融当局がそれを引き受けるように金融機関を「指導」するわけです。

 しかし、そのようなカラクリによって維持されている社会保険制度というのは、根本的において何なんでしょうか。「豊かな老後を送る。安心な老後を送る。」これはとても重要な国家の政策の基本であるべきだと思うんですね。老後に不安があったら、中年や青年も働く気がしない。あるいは国家に保険料を徴収されるということに、決して満足しないと思うんです。北欧諸国を見るとつくづく思いますが、ものすごく高い税金、特に消費税なんかすごく高いですね。私のような外国人観光客として、海外の学会に出張するときに、そこで飲むビールに対して3割近い税金が取られると、本当に頭にきます。私は北欧で老後を過ごす計画がないから、私が払った消費税は、単に北欧諸国の社会保険政策に役立つだけで、観光客である私にとっては何のメリットもないからです。同じように今の若い人たちにとって、納めているいろいろな年金や税金が自分たちのためにならないとなったら、とてもじゃないけど、今納める気がしないとなっても不思議ではないでしょう。

 保険が成立しない。保険制度は制度として機能しないということは、数学的に考えれば簡単にわかることで、そのことを高度に政治的な判断とか、あるいは戦略的な経済政策とか、そういうような言葉でごまかすことは許されないことであると思います。もちろん「個々の具体的な政策が、数学的合理性にのっとって行われるべきである。絶対その原則は曲げられない」と、私が言っているのではありません。しかし、事実は事実として、きちっと認めるところから出発しなければならないと思うんですね。今困っている人がいるから、あるいはすぐ明日の生活に困る人が出るといけないから、そういうことは口で言うのは簡単ですけれど、それを次の世代のツケとして、次の世代への借金として、つけます。これは卑劣なことではないでしょうか。私達はやはり、自分たちの世代の責任として、次の世代にツケを回さないということを、誇りとして生きていかなければいけないと改めて思います。

 そして、フランスでの国民の怒り、それはとてもよくわかるし、さすがフランス革命の国だというふうに思いますけれども、国民が中心であるということを、国民が自覚しているからこそ、政治に対してもあれだけ激しい抵抗を見せるわけでありますが、一方で、おそらく政治の側から見れば、国民に対してきちっと説明しきっていない。政治の担当者たちには悲惨な国政の数学的なデータ、いわば財政についての数学的データ、これを解決しなければならないという使命感があるわけですが、その使命感に速らせるきちっとしたデータがあり、国民はそのことについて十分深刻には理解していない、ということがきっとあるのではないかと思います。

 翻ってわがが国では、おそらくほとんど全ての人といってもいいくらいの人が、日本の財政に関して強い関心、あるいは震えるような恐怖を持って、そのデータを見ていることはほとんどないと言えるのではないでしょうか。言ってみれば、次の世代にたらい回しにするという、これまで続いてきた政治家の無責任。それをずっと継続することができる。「昨日があったように今日があり、今日があるように明日がある」というふうに平凡に未来を予測しているのではないでしょうか。というのも、私にとっては30年前の日本の人口統計から、「こんにちの少子高齢化は、数学的には自明のことである。」と思っておりました。このことは、人口問題の専門家でなくても、人口のグラフ的な表現、世代別人口人数、あるいは年代別人口、その表を見れば、その表は生まれた人のうち、確率がいくらかで亡くなっていく。若いうちもなくなっていく人がいるでしょうけれども7割・8割の人は60歳ぐらいまでは生き残るでしょう。さらに4割くらいの人は80まで生き残るでしょう。そういうことは予測することはできますね。しかし、人口に関して言えば、女性・男性が大体30から40の間、その10年間の間に産む赤ちゃんの数が、その次の世代を形成するわけです。そのことさえ考えに入れるならば、人口問題の深刻さは、数学的にはもう30年前にははっきりと答えがわかっていた。そしてそれに対して、今頃になって急に少子化対策とか言って、ちょっとしたお手盛り予算を組んでいるのが、今の政府の政策でありますけれども、私から見れば、ちゃんちゃらおかしいっていうふうに思います。

 今私の住んでいる東京では、開業している歯医者さんがものすごい数で、私が住んでいる最寄り駅の付近では、美容院とか、床屋とか、花屋とか、肉屋さん、八百屋さん、それよりも遥かに多くの歯医者さんが開業しています。その他にもいろんなお医者さんが開業していますが、比較にならないくらい歯医者さんが多い。明らかに歯科医師の生産過剰に陥っているわけですね。歯科医師の生産過剰を調整するために、今、医師国家試験ではなく、歯科医師国家試験の方では、合格者を極端に制限しています。信じられないほど厳しい競争になっています。せっかく歯科医大に大金を積んで入りながら、卒業することもできず、卒業しても歯科医師として開業することもできない。そういう若者を大量に産んでいる。それは、臨床歯科医として開業するということの困難な状況、これ以上歯科医師を増やされたら歯科医師会としてはやっていられないという歯科医師会の意向を受けての行政措置、あるいは学会の動向だと思うんです。行政が手を打つのはいつもこのように後手後手でありまして、どうしてもっと先を見て行政が進められないのか。先を見るというと占いのようで難しいように思いますが、「出生者数と同様、歯科医師数というのを毎年どのくらい認定すると、どういう状況ができるか」ということの推定は、実際はものすごく簡単な仕事、ほとんど小学生レベルの数学の話で済むわけです。今は都会だけではなく、地方まで含めると医師が不足している地域があるということで、医師国家試験に関しては、歯科医師国家試験ほどの縛りはないようですが、私が見る限り、医師の大量生産時代はもうすぐ破綻する、もう本当に破綻が直近の未来に見えていることであるのに、まだ人々はそれに気づいていません。

 そして、それに敏感であるべき行政や政治も、一部の組織や一部の人々の強い意向を受けて、いまだに医科大学を増設しているというようなありさまで、前の前の政権の時にはもう既に過剰が学会で指摘されている獣医師でさえ増産体制に入るという珍妙な事件がありましたけれど、本当の意味で大切な基礎科学の分野は、永遠に人不足で、そこには無限の貢献、無限の奉仕が求められるわけですから、そういうところに多くの人が行きたがらないのは当然かもしれませんが、しかし、そういうところに無限に人材が必要なのです。そういう人を作ることこそ、社会の持続可能性のために必要なことなのに、残念ながら私達はそういうところに目がいきませんね。それは一つには、私達が「フランスのように革命で民主主義を勝ち取る」、そういう経験をしてきてないからだと思います。私達が、私達の未来を、責任を持って見つめる。そういう日本では新しい世代になりたいと、心から願います。

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