長岡亮介のよもやま話67「クラシック音楽」

 今日はちょっと趣向を変えて、いわゆるクラシックについて、お話いたしましょう。我が国では、クラシックというと古めかしい音楽のことと思われがちです。確かに英語でもclassical music古典的な音楽というふうに言います。classicalっていうのは、classicであるということですね。古典として、歴史を通じて時間の風化に耐えて今も生き生きと残っている非常に価値の高いものに対して、「classical」そういうふうに言うわけです。

 最近の日本では、流行の盛衰が激しくてすぐ流行(はやり)が陳腐なものになり、新しいものに生まれ変わっていきます。それ自身は「若々しい文化」というふうに言うこともできなくはありませんが、実に「軽薄な文化」の表層的な変化だけが続いていて、本当に大切な「相続すべき文化」というのをないがしろにしてるんではないか、というふうに私は少し否定的にも感じます。バックグラウンドで今日聞こえているのは、非常に有名なテレマンというバロック音楽様式の時代の作曲家のTafelmusikターフェルムジーク、英語にすればテーブル・ミュージックですね。ご飯を食べながら聞く曲という名前をつけて、作曲家自身がそのようなまえをつけたんだと思いますが、日本でこの時代の作曲家として極めて有名になっているパッヘルベルだとか、アルビノーニという人と比べるとそれより新しい人なんですけど、おそらくカノンで有名なパッヘルベル、あるいはいろいろな名曲で有名なアルビノーニ、アダージョで有名ですね。それに比べるとテルマンは少し知名度が低いかもしれません。しかし、食事をしながらこのような音楽を聞くというのは、ずいぶん優雅な食事で、食事自身を単に栄養を取るという目的ではなく、楽しい時間を親しい友人と共に心豊かに過ごすために、とても有効ではないかと思います。もちろん現代の私達は食事をしながらテルマンを聞くというようなことは、贅沢すぎてできないのかもしれません。テルマンが古い古いといっても、彼が生まれたのは1681年、亡くなったのが1767年でありますから、まさに江戸時代ですね。戦乱の世が終わり、これから平和な時代が続くと人々が実感していた時代であったことでしょう。階級によっては、これからは自分たちの世の中だと、そういうふうに思った人がいてもおかしくありません。しかし、そういう時代に数学的な秩序に基づいて、音楽という世界を切り開いていた人々が、ヨーロッパにはいたということ。私達は、「そういう数学的な思考によって、美しい音楽が作られるということには、関心を払うことさえなかった」という歴史的な事実は、重く受け止めていかなければならない。私達は、そういう人々の子孫であるということですね。

 明治期に西欧列強の国々に留学して勉強して帰った人々が、舶来品という言葉で偉そうに外国のものを人に見せびらかし、海外の文化を知っているということを自慢していたという話は恥ずかしくもあるのですが、私自身も初めてヨーロッパに行ったときに、空港のお手洗いで便座が大変高く、私自身は日本人としては私の世代としては背が高い方ですので、男性便座で屈辱的な思いをするということはなかったですけど、おそらく明治初頭の日本人は平均的に見れば私より20センチくらい低かったでしょうから、その人たちがヨーロッパに行って、そもそもトイレに入ったときに感じた屈辱感は大変に大きなものだったと思います。子供用で済まさなければならない。そういう状況が思い浮かんだわけでありますね。

 私達日本と西欧列強とはそれくらい文化的に離れているんですが、私達がいわゆるクラシック音楽というのを聞くことによって、西欧の先進国の人々がどれほど新しい文化というものに対して意欲的に取り組んでいたか、私達がそのような文化に関してどれくらい遅れていたか、そして今も遅れているか、ということを知るために、いわゆるクラシック、クラシカルミュージックを作曲家の年代、生きていた時代、活躍した時代、その社会的な背景とともに理解することは、決して無駄でないと思います。ここで名前を出したパッヘルベルとかあるいはアルビノーニ、テレマンという人よりも、さらに有名な作曲家で言えば、ヘンデルもいまして、彼はドイツの人であったはずですけれども、実はイギリスで大活躍していたわけですね。この時代の音楽家というのは、作曲でご飯を食べるというよりは演奏でご飯を食べていた。あるいは演奏を仕切って、貴族から良い待遇を受けたという人であります。

 こういう時代を、バロック「歪んだ真珠」という言葉を使っているわけですが、そのバロックの意味については音楽史の先生に詳しく習ってほしい。あるいはそういう本を読んで勉強してほしいと思います。そのいわゆる「バロック音楽の時代」というのが一段落して、その次音楽は「古典派の時代」というのに入ります。ハイドンであるとか、ベートーヴェンであるとかといった人々が出るわけですが、その人々が1730年とかベートーベンにいたっては1770年生まれでありますね。もう18世紀の終わりくらいからです。ベートーヴェンは比較的良い長生きで、1827年まで生きたということでありますから、57歳で亡くなる。一般にこの時代の人々は短命でありまして、ハイドンも1732年で1809年に亡くなっていますから、やはり77歳で亡くなっているわけですね。その間に、ものすごい立派な作品をたくさん作っている。この古典派の時代っていうのは、言ってみれば音楽の完成期であったように思います。その古典派の時代の後に、日本で言えばクラシック音楽の全盛期と言ってもいい「ロマン派の時代」、あるいは印象派とか国民派とか、いろんな言い方がされますが、ロマン派音楽の時代がありまして、その時代に非常に個性的な作曲家がもう星の数ほど登場するわけです。非常に技巧的な演奏で有名なパガニーニであるとか、あるいは名曲の宝庫というべきウェーバーとかロッシーニとか、あるいは夭折の天才シューベルト、シューベルトは1797年18世紀の終わりに生まれて、しかも亡くなったのは1828年ということですから31歳で亡くなっている。未完成交響曲という有名な交響曲がありますが、未完成であっても全然おかしくないですね。さらにベルリオーズであるとかヨハン・シュトラウス、一番有名なヨハン・シュトラウス1世、そういう人も出てきますし、メンデルスゾーンも登場する。

 そして、ピアニストにとってはもう本当に忘れることができないショパンという作曲家も出てくる。ショパンは1809年に生まれて1847年、この時代に亡くなっているってことは、たった38歳で人生を、1847年に亡くなっている。1847年というのはヨーロッパにとって大動乱の時代でありまして、1848年にはフランス2月革命というのも起きています。ヨーロッパ中で多くのところで革命的な運動が起きている、そういう年であります。その時代にショパンが亡くなっているわけですね。ショパンの「革命のエチュード」っていうのはありますけど、そういうショパンの「革命のエチュード」っていうのを聞くのには、やはり19世紀ヨーロッパの社会状況、それをショパンがどのように感じていたかということを、想像しながら聞くととても面白いと思うんですね。

 次第次第にそのロマン派もあとになってくると、人々の関心が減ってくるわけで、日本で最も有名な人の1人はブラームスかもしれません。ブラームスはブラームス音楽というよりはフランスの少女作家の書いた「ブラームスはお好き」という本で、日本人にはすっかり有名になっているのかもしれません。他にもたくさんの有名な人がいます。チャイコフスキーとかドヴォルザークという、あるいはグリークという非常に印象的な曲を残した人がいます。このあたりまではもうほとんど、19世紀の人ですね。グリークやチャイコフスキーは20世紀に入るまで、チャイコフスキーは19世紀中に、ドヴォルザークやグリークは20世紀まで生きていましたけれども、20世紀に入ってからの音楽家っていうのは一般の人々から段々縁遠いものになりまして、その中で20世紀でも最も我々に馴染み深いのはプッチーニ、特に日本人には蝶々夫人というオペラの音楽で有名でありますけれども、マーラーであるとか、あるいはシベリウスであるとか、ラフマニノフですね。そして「惑星プラネット」っていう音楽、特に木星で有名なホルスト、これも20世紀に大活躍をした人であります。意外なのは、もうものすごく古いバロック音楽ではないかと思われているレスピーギが、実は20世紀に生きながら、実は非常にその「新古典主義」っていうのを名乗り、バロック音楽風の音楽を作ったということであります。

 ドビッシー以降は、実はロマン派というよりはむしろ新しい「印象主義音楽」というふうに言うべきかもしれませんし、ストラヴィンスキーからは「現代音楽」っていうふうに分類するという人もいます。しかし、そういう現代音楽でさえ、実は20世紀の初頭でありますから、ごく最近のものなんですね。クラシックといっても本当に古いものではない。例えば中世の音楽とか、あるいは古代の音楽っていうについて、私達はほとんど知らないと言ってもいい。正確に言うと、実は近代になって数学の発達が背景にあり、特にヨハン・セバスティアン・バッハによって「平均律」というものが生み出されてから、和音の研究とは何かもう非常に進行したわけでありまして、現代音楽の基礎というのは数学とともに始まったと言っても過言でない。少し大げさであることは確かですが、それ以前の音階理論というのは非常に煩雑で、作曲も面倒であったわけであります。

 私は今日、クラシックと日本で呼ばれるクラシック音楽についてお話しましたけど、クラシックっていうのを語るときには当然、クラシックな芸術一般、特にクラシックな絵画、クラシックな彫刻、そういうものにも目を向ける必要があると思います。そして、私達がそのクラシックという言葉でひとくくりにしているものは、実に歴史的に多様である。音楽の場合は非常に短い。それに対して、絵画に関してはそれより遥かに長い歴史、遥かに長い歴史的スパンと言ってもいいと思いますが、それを持っているということ。それに注意することは、私達が現代あまりにも早く流行を追いかけ、流行を消費していく。まるで食い尽くすかのように流行をバリバリと終わらせていく。それがやはり私達の文化の扁平さに繋がるのではないか。そう思って今日はいわゆるクラシック、クラシカルミュージックのお話をいたしました。

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