長岡亮介のよもやま話57「花咲爺」

 最近の人々は短い話しか聞こうとしないという話を聞きました。そこで今日は短い話に挑戦してみたいと思います。それは昔の人々が、子供たちを教えるときに必ず使ってきたのは、「表面的な努力をしても意味がない。きちっとした継続的な徳を積むというべき行為の連続が大事だ。」ということだったように思います。

 典型的には、花咲かじいさんあるいは花咲爺という話です。ファンタスティックな話ではありますが、そこに出てくるのはとても動物を大切にしている良いお爺さんと、損得に敏感で自分が得するばかり考えている悪いお爺さん。そういう対比でありまして、良いお爺さんがすごく報われるのに対し、悪いお爺さんはますますひどい目にあうという話です。この単純な話ですが、日本人のほとんどの人はみんな聞いて知っていると思います。作者もはっきりしているのかどうか、それさえ私も知りません。ストーリーが一つであるかどうか、それもわかりません。これは学問で言えば、民族学的な研究の対象ということになるのかもしれませんけれども、ここで大事な事は、「正しい努力をしている人は報われ、よこしまな生活をしている人は罰せられる。」という非常に単純なストーリーです。子供でも十分にわかる、そういう話がずっと伝えられてきたということに対し、私はやはり私達の祖先の精神性の高さを感じて、ちょっと誇らしく思います。皆さんはいかがでしょうか?

 得をする道を自分の人生に選ばなかった、そういう人が本当は得をするという話。子供に最もわかりやすく、いわば経済学的な生き方の非経済性を語っていると言えないでしょうか?

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