長岡亮介のよもやま話56「幸せならいいじゃん」

 私達の極日常的な会話の中に登場する表現で、ちょっと聞き流せばごく普通と思ってしまいがちなもの。それをあえて取り上げたいと思います。それは何とかすればいいじゃないか、私は横浜育ちですので、何とかでいいじゃん、という言い方ですね。外国語に翻訳するのが難しい表現の一つかもしれませんけれども、例えば大学生になってしっかり勉強しなきゃいけないって言われたときに、「いや、大学は卒業すればいいじゃん」、あるいは「勉強がわからなくても単位が取れればいいじゃん」、さらには「著名な企業に就職できればいいじゃん」、あるいは反対に「そんなことにこだわらなくたって食べていくことができればいいじゃん」。そういう言い方、よくしませんか。そういうもの中に、究極的な中に「その人が幸せだと思っていればいいじゃん」というのがあると思います。こういう「何とかでいいじゃん」という考え方、それを支えているものは何かということについて、考えてみたいということです。例えば、「何とかすればいいじゃん」というのの反対は、「何とかすべきである」と、「何とかしてはならない」という、非常に厳しい強制力のある規律、それを人に押し付けるという考え方ですね。「学生は勉強すべきである」とか「単位を取るからには、それにふさわしい知識をしっかりと身につけなければならない」というような、そういう価値観というか、制約力のある発言ですね。

 一般に、人の生き方に対して、制約力のある発言をして良いかというと、それを常にやるようではいけない。常にやるようではいけないというのは、例えば日常的な生活に関して言えば、人々がどのような人生を生きるかということは、その人固有の価値観で決められるべきであって、それを人から、国のためにとか、あるいは町のためにとか、家族のためにとか、そういう理由で強制してはならない。これが民主主義の基本である「個人主義の基本原理である基本的人権」というものです。例えば、朝起きてラーメンが大好きな人がいて、朝からラーメンを食べる。日本人だと平均的に朝からラーメン食べるということはありませんから、「朝からラーメンなんか食べるべきじゃないよ」「朝からラーメン食べるなんて信じられない」、そういうふうに言ってしまいがちですが、これが中国であれば、朝からシュウマイというのはごく自然なことをあるでしょうし、人によってはラーメンも追加するということがあってもそんなに不思議ではない。

 日常生活において、普通一般的になっている流儀と異なる、そういう生活順位を持っている人に対して、そうすべきでないというふうに介入してはならない。私達は一人一人、他人が介入することのできない「神聖不可侵な権利」というのを持っている。これを「基本的人権」というふうに言うわけでありまして、ある組織の中で、その組織の利益のためになる人とならない人を選別して、「あの人は役に立つ。あの人は役に立たない。あの人は有能である。彼は無能である。」と、こういうふうに能力差で、ある区別を持ち込む。それが給与などの区別、つまり単なる区別を超えて、差異、時には差別に発展するということはよくあるわけですが、そういうときに「馬鹿にするんじゃない。基本的人権を無視するな」というふうに言う人がいるんですが、ある組織の存立理由に関わる価値観に関して、「優秀である。優秀でない」というような判断がなされるということは、これは必ずしも基本的人権に関係することではない。

 私達は、例えば「ある組織におけるそのような差別がないような社会を目指す」という別の理念はありますけれども、しかし基本的人権というふうに言うときには、そのような能力の差によって差異を差別としてしまうということがあったとしても、それはやむを得ない。しかし、そのような価値観を押し付けることが本来できないような場面で、例えば組織において、その組織の中の人間がどういう宗教を信じているかということは本来関係ないことでありますね。そのときに彼はあの新興宗教の信徒であるからというような理由で、「君はその新興宗教の信徒をやめないと、この会社にはいられないよ」というようなことはやってはならないということです。いかに怪しい新興宗教であったとしても、その人が真剣にそれを信じている、それを禁止するということはできない。

 つまり、私達が人間社会において、合理的な基準に基づいて、こうすべきであるというふうに断定できるものについては強制できる。特に法律ですね。法律に違反してはならない。憲法に違反してはならないということはありますけれども、そうでない事柄に関しては、一人一人の人間は、他人が侵すことのできない神聖なる権利というのを有している。これが基本的人権であります。ですから、そういう意味で、その基本的人権に属する事柄に関して、「そんなの自分の勝手じゃない」というふうに言うときに、それは「勝手じゃない」という言い方が不完全なだけで、「これを決めるのは私自身の問題でしょう。この問題についてあなたは介入することはできないはずですよ。」というふうに言うことはできる。

 でも反対に、私はそういう「何とかでいいじゃん」というような言い方の中に、ある種の自分が向上していくという努力を放棄することを正当化するという、横縞な、というと言い過ぎかもしれませんが、少しずるい考え方を正当化するという側面が、あるのではないか。これを指摘したいわけです。例えば、一番最初に出した「単位が取れればいいじゃん」という言い方。これは「カンニングしたって単位が取れればいいじゃん」「先生を騙すことができればいいじゃん」あるいは「インターネットで情報を調べてコピーアンドペーストして、レポートを書いていい点が取れる。そしてそれが自分に有利になればいいじゃん」。ばれたらどうするんだというふうに友達がアドバイスするときに、「そんなのばれるはずないじゃん」。こういうふうに話を持っていく。そういう類の議論です。これは、本当はしっかりと勉強して自分自身のレポートを作る。こういうことが求められているときに、それをずるする。そのことによって、その自分がなすべき努力っていうのをしなくて済ます。それを正当化しようとしているわけですね。

 そういうときに、それは基本的人権って言っていいでしょうか? 私は、本当は違うと思うんですね。もし私がその人の親しい友人であれば、「いや君、君はそういうことを言ってるかもしれないけど、それは人生一生の中で考えればものすごく大損してることになるんだよ。大学の授業料って年間幾ら、1時間あるいは1単位当たり幾らに相当すると思ってる? あるいは学生のように1日どんだけでも勉強することができる。図書館に行けば何万冊、何百万、そういう本に接するそういう権利も保障されている。そういう権利が保障されるわずか数年間の間に、君がそういう生活をするっていうことは、どう見ても合理性がないんじゃないか。もっと君は一生懸命努力すべきなんじゃないか、せっかくのチャンスなんだから」なんていうふうに、友達を説得することの方が友情ではないかと思うんです。もちろん親友でなければ、「彼なんかどうでもいい。あいつはせこい奴なんだから、そういうせこい生き方をすればいいじゃん」というように、諦めてしまうということは、世の中ではよくあることです。そして、僕たちはある種の諦めを許容しなければ、いつも100%完璧に生きていくなんてことは息苦しくてできないということもありますから、妥協、諦め、これは人生にはつきものだと思うんですけれども、妥協や諦めを正当化するというのが、私はまずいんじゃないかと思うんですね。

 そういう中で最も普遍的な表現として、「幸せならばいいじゃないか」、「その人が幸せならばそれでいいじゃないか」。そういう議論があります。しかし、果たしてそうでしょうか? もし、その人の幸せが、他人の幸せを妨害することによって成立しているんだとすれば、そんなはずはないですよね。そもそも「幸せということはどういうことなのか」という根本的なことを考えるということを放棄している点で、あまり人間的な思索の表現としてふさわしいと私は思えないんです。「幸せとは何か」、「幸福とは何か」、これは人間にとって、人生生涯をかけて追求していくべき最も重要な問題の一つであって、簡単に結論を出して終わりにすることはできない。そういう大切な問題だと思うんです。本当の幸せ、もっと深い幸せ、もっと大きな幸せ、というものを私達は考えていくべきだと、私は思います。そして、その最も大きな幸せというのは、単に自分が幸せとか自分の家族が幸せというんではなくて、自分の身の回りにいる人も一緒に幸せになる、そういう幸せだと思うんですね。「幸せが共有されるような社会の中で、みんなが幸せを感じて生きる」という幸せであると思うのです。

 そういう理想的な幸せに向かって今は程遠い状況にあるわけですから、「私が幸せならそれでいいじゃん」というような言い方は、私自身は一種の思考停止を宣言しているような感じです。「思考停止」というのは、これ以上考えることはしないということで、それでもう終わりにしてしまう。「思考停止の哲学」においてしばしば必要な事柄であるわけですから、それを自覚的に行うことはあります。これは難しい言葉では、「方法論的思考停止」というふうに言いますけど、その思考停止をしているということがわかっているからこそ、思考停止に意味があるわけですね。しかし、わかっていないまま思考停止して、「それでいいじゃん」という発想はやはりまずいんじゃないかということです。今日は、「幸せならいいじゃん」というような、私達の極生活の身近にある言葉について、それを少し深く考えるきっかけとなればと思い、お話いたしました。

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