長岡亮介のよもやま話47「セリフのないところで話をする」

 今日は、皆さんが、長岡がなんで急にこんなふうに突然情報発信に熱心なったのか、と不審に思われているかもしれませんので、この非常に安直な情報発信のシステムについて技術的な側面も交えてお話したいと思います。皆さんの多くの方から私自身は誤解されていると思うのですが、そして私の周囲にいる人間は、それは私の誤解ではなく、実は私自身の誤解であるというのですけれども。私は子供の頃は元々吃音症、いわゆる吃りの性癖があったこともあり、人前で喋るということは、教科書を読むというような小学校低学年の学習でさえあまり好きでなかった人間の1人です。まして学級討論会のようなもの、私の時代には、今ほど盛んではありませんでしたけれども、ああいうアメリカ型の学習を強制されたときには、私自身は油染みるような嫌な緊張感を持ったものであります。もちろんそんな私も、幼稚園では演劇で2年連続主役級の重要な役割をやっておりますし、中学高校時代はそれほどぱっとしませんが、いわゆる英語劇というのでハックルベリーフィンなり浦島物語なりをやった記憶があります。セリフが決まっていると、それを暗記するのは若い時代には確かに得意でした。

 しかしながら、セリフのないところで話をするということ、そのことに自ら重要な課題であると認識して取り組もうとしたときに、大きな抵抗があったのも事実です。私が大学に入学したのは1966年。それから約2年後の1968年6月からの安田占拠事件と世間の人は言うでしょうね。69年の1月にかけての厳しい私達自身は「戦い」という言葉を好んで使っておりましたが、「戦い」というのは当時私達の中で使われたときには、私達自身の内なるものとの戦いという意味が強かったと思います。その厳しい戦いの中で、どうしても人とのコミュニケーションというか、相手へのアピールとかというのをしなければならない場面が数多くあり、そういう数多くの場面を通じて人前で喋るということに次第しだいに慣れていきました。もし、そういう経験がなかったら、私は人前でもおどおどする、あるいはおじおじする、そういうしょうもないおっさんの1人であったと思います。しょうもないというのは今の若い人から見ればということですね。そういうおどおどするような男性の心の内を察して、それを魅力的と思ってくれる女性に恵まれていれば、私もハッピーだったと思いますけど、世間の表層はそういうものではなかったと思います。男性の中でさえそうだったと思います。しかしながら、なんとなく周囲の人に励まされ、一歩一歩そっちの道に近づいていきました。

 そして、大学を中退することももう本当に数え切れないくらい考えたのですが、結局その道をやめて大学院でそれまでとは違った分野の、しかし他の人が決してやり得ない、そういう世界を開拓するという挑戦を自らに課したということであります。そして、そういうことができたことも、実は私が19・20歳という若い時代に人生を生きる一大決心をしたということと深く関係していると思います。というのも、それ以前は自分自身の道を歩むと言いながら、結局は敷かれたレール、それがはっきりと見えないまでもなんとなく敷かれたレールとして存在するものに自らを重ね合わせる。そういうことが少なくなかったからです。

 そういうものからいったん自由になると、今度は今までの軛、自由を縛っていた鎖、それから解き放されて、自由満喫する気分になって私はものすごく勉強いたしました。しかし、どんなに勉強しても、勉強というのは量だけで決まるわけではなく、やはり質も必要ですし、何よりもそれまでの履歴、ヒストリーというのがとても大切です。絶対的な勉強量というか、蓄積量という点において、私は自分が学識の経験の浅い人間であるということを何度も思い知りましたが、その中でももがきながらその蓄積量において他の人に劣ることのないように、できる限りの普遍性と深みを持つように頑張ってまいりました。気の利いたようなことを言うことが大切なのではなく、誰も言ったことのないような視点からものを見るという「斬新性の重要性」というのもこの時代に学んだことだと思います。

 そんな私が教員という職業に立って、若い諸君と話をするというきっかけを持った最初のきっかけはいわゆる家庭教師でありますけれども、私自身は家庭教師は実は中学3年生の頃からしていましたので、言ってみればベテランの家庭教師でありますが、家庭教師には家庭教師特有の難しさがありまして、家庭教師特有の気楽さというのもあるのですけれども、実は必ずしもそれほど楽ではない。それに対して、学校の先生というのは実に楽しいものでありました。私はいわゆる「教育実習」という馬鹿げた教員ごっこからスタートして、子供たちにじかに教えるということがどれほど楽しいことであるか、ということをそのときに実感しました。

 というのも、そのときに実際に指導教員となっている先生たちの授業を見ると、それは数学の授業になっているとは思えないという、数学的にはめちゃめちゃなものであったからですね。僕だったならば、数学を正しく、その頃は傲慢でありましたから、僕だったらもっともっと正しく教えられる。そう思っておりました。しかしながら、年をとってみると、当時の私を指導した先生方というのは、数学を何も知らないまま何も知らない子供たちに対して数学もどきを教えるというのが仕事であったということを考えると、私が毎日毎日実習ノートというものに書いた、先生方の授業に対する手厳しい学問的批判は、誠に的を得ていなかったなと思います。つまり、批判しても仕方のない人に対して、徹頭徹尾批判しても通じるはずもないような、理解してもらえるはずのないような批判をしていたわけであります。そういう先生方は、言ってみれば学問的な研究を通じて先生になったわけでもなく、単に4年制大学を出て、教職教養という科目の単位を取って、数学教員として採用されたというだけの人たちだったわけですね。

 しかしながら、こういうことがわかるようになったのはごく最近のことでありまして、私は先生と名の付く人はものすごく立派な方であるに違いない。そういう先入観を持って自分の人生の大半を生きてきました。それは私自身の個人的な幸運に過ぎなかったということが、本当にわかったのは晩年近くと言っていいと思いますが、この20年間くらいだったと思います。私は小学校のときから奇跡的に立派といってよい、そういう先生方に習ってきました。ある意味で私の小学校は、バッハという先生に音楽を習い、そして級友にはモーツアルトがいる。そういうような雰囲気の中で、子供時代を過ごすことができたということです。このことは一般的にありうることではなくて、ありうるかもしれないけど一般的によくあることでは少なくともなくて、どういうわけか私の人生に降ってきた幸運の結果でありますけれども、ともかくそのようなことを通じて、先生という職業に対して強い尊敬と憧れがありました。そしてその背景には、私自身の出会った素晴らしい先生への尊敬、これがあったわけです。もちろん、私はこの先生はろくでもないとか、この先生は教えていることは正しくないとか、そういうふうに思うことはいっぱいありましたけれども、むしろ私はそれは先生としていわば例外であって、本当の先生はそうではないと、頭で思い込み続けてきたというべきかもしれません。

 大学に入ってからもそれは同じでありまして、すごく立派な先生もときに本当にがっかりする先生もいましたけれども、しかし私の目に入り、そして頭に入り、心に響いてきたのは、みんな立派な先生方でした。ですから、そういう先生方に近づきたいという思い、これは私の人生全体を貫いてきたと思います。しかし、そういう先生方も決してお話することが流暢であったというのは、例外的でありました。私の今まで習った先生の中で本当にお話が流暢だったのは、日本宗教史の笠原一男先生、日本の歴史の先生ですね。それともう1人、哲学の廣松渉先生です。笠原先生は、講談調の素晴らしさがありましたが、廣松渉先生の文章は、というより先生の講義は、そのまま録音して文字に起こせば岩波文庫になるというくらい完璧なものでありました。その他に何人か印象に残る先生がいますけれども、私の今も心の中に深く残っているのはやっぱり廣松渉先生です。それは語り口のうまさという点ではなく、語り口の鋭さという点まで全部含めてっていうことでありますね。

 数学者としては本当に尊敬する先生がたくさんいらっしゃいましたが、みんなが尊敬する小平邦彦先生でさえ、決して雄弁あるいは雄弁家として優れているというわけではなかったと思います。そのとつとつとしたお喋りの中から、小平先生の知性があふれ出ていたわけです。私は小平先生と二人で喋るときに、そのところに小平先生の奥様がお茶を出してくださるということだけで、私は大変に恐縮して人生にこんな幸福があるかと思うくらい、小平先生の一言一言に耳を傾けて聞いたつもりだったんですけれど。その頃は「ICレコーダーで録音する」というような洒落た機能が一般に普及していなかったこともあり、今皆さんに昔私が小平先生の別荘で伺ったお話というのを、再現して差し上げることができません。すごく残念に思っています。

 私はこのように、元々訥弁であって、喋るのが苦手であって、しかし喋らざるを得ないという人生の局面に立ち、そして話を通じて人を感動させることができるということを、何回か経験したことを通じて、会話あるいは講演といったものであっても、原稿に書くのは違うメッセージの伝え方がある。その方がより生き生きとして迫力があることがあるということをいろいろと知りました。私が講演録に近いものを技術評論社から二つ発行させていただいたのは、そういう「講演の持つ良さ」ということをわかってくれた編集者の関心とご尽力によるもので、本当に感謝しておりますが、実は講演録というのを本にするというのは意外に大変なことなんですね。それは文字起こしも大変ですが、文字で起こしたものというのは、なかなかそのまま手で書いた原稿ほどには完成度が高くない。余分な部分がたくさん入っているわけです。一方、映像や放送の専門家に言わせると、そのような余分なものが入っていることが実は臨場感に重要なんだということも、私の人生の様々な経験を通して知りました。

 ですから、手を入れない生の講演というのも悪くないということは聞いておりましたが、実はTECUMで、TECUMについてはまたいずれお話したいと思いますが、ウェブサイトを、私は古い人間でありますから、HTML、HyperText Markup Languageそれの初期の時代に、これは大変に優れたものであると考えていたので、その言語に注目し、その基本的な仕様を理解したので、元々この数年間維持してきたTECUMのウェブサイトwww.tecum.worldというサイトは、私がアメリカで借りたレンタルサーバーその上でいろいろなサービスを使い、HTMLをScratch(スクラッチ)から書くという非常に古典的な方法で維持してきたんですが、TECUMの若い理事の方々からもう年寄りがそんなことまでいちいちやってる時代ではない、自分たちがもっともっと簡単な方法でウェブサイト維持管理するから、私はもっと楽してよろしいと言われたときに、それを大歓迎して、「世の中の時代はGraphical User Interfaceみたいなものだけで十分な時代になった。それを大いに利用すべきである」と私も思いまして、私自身はそれが嫌いなんですが、それを利用することが便利であると思う人がいっぱいいて、そしてそこそこ十分なものがそこでできるならばそれで結構だと思ったんですが、そのときにその責任者の1人からその代わりということで交換条件として付けられたのが、私がウェブサイト管理にかけていた労力を、私の一種のブログのような形の簡易な情報発信で代弁するというか、代行するというか、それに振り返るという提案で、「私はそういうのはあんまり自分では好きではないのでやりたくない」と申したのですが、「実は最新のテクノロジーを使えば単に声で喋るだけで文字起こしまで自動的にするという、いわゆる人工知能と呼ばれているソフトウェアが、日本語の自然言語解析までかなり高い精度でできるところまで発達しているので、喋るだけで良い。」そういうふうに言われたとき、それくらいなら簡単にやるよと返事をしてしまったのがきっかけなんですね。

 この皆さんがご覧になっているのは文字かもしれませんし、音声かもしれませんが、音声は必ずしもスタジオで取ったような音声ではありませんので、決して効率が高いとは言えないのですが、文字がついてるということによって誤変換も多いと思いますが、私が間違って発音する、あるいは誤って日本語を喋るという誤りと比べると、笑って済ますことができる程度のものではないかと思うんです。昔は文字起こしというのは、1時間当たり何万円もするというサービスでありましたが、今ではこのように本当に低価格で自然言語解析、というと高級に聞こえますが、要するに人の声を録音し、その録音データに基づいてそれを文字として原稿として起こすという機能が、簡便に簡単に使えるようになったわけです。

 私達はTECUMとして、このソフトウェアを理事会や研究会に導入し、その記録を残すということに使おうと言っているのですが、使い切れないだけの機能を私のブログに使ってるということで、私は朝起きて目が覚めない、十分目が覚めてない時間、そのときの方が私の吃音の癖が出づらいのでその時間を無駄にしないようにして、これを作っています。全体を体系立ってこういう話をしようっていうふうに組み立ててるわけではなく、その朝起きたときに考えてることをそのまま皆さんへのメッセージとして届けば良いと考えているので、まさにブログのようなお喋りの場でありますけれども、これは決して私の選挙戦略でも何でもなく、私を育ててくれたたくさんの恩師の、数え切れないほど多くのメッセージ、それを私は皆さんにお伝えしたいと思いながら、実はそれが私の記憶の中にしかないという現実を踏まえると、その恩師からいただいた私の思索のための基本となる型、それを少し皆さんに具体的に継承していくために、何らかの形で残していくことは悪いことではないかもしれない。そういうふうに思っている次第です。いろいろと不完全なところがあります。原稿を書いてから喋ってるわけでもない。プロットさえできていない。そういう中で、朝目覚めた時間、原稿を書くことがまだ十分できないほど眠い時間、その時間を利用して日本の皆さんに考えて欲しい、ぜひ考え続けて欲しいと思う問題を取り上げていっているという次第です。本来ならば、きちっと原稿を推敲すべきなのですが、「推敲していない原稿だからこそ、より本音が直截に出る」という良さもあるということで、ご理解願えれば幸いです。

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