長岡亮介のよもやま話38「テクニカルターム」

 政治家の言う「異次元緩和」とか「異次元の経済対策」という言葉は、明らかに国民の科学的な知識のレベルを馬鹿にした偉そうな発言なんだと思いますが、自然科学や数学のテクニカルタームと言われるいわゆる専門用語の中には、特に数学の専門用語の中には、日常生活の中に使うとぴったりくるというものが少なくないように思います。「多少の誤解が許されてもいい」ということになると、かなりの言葉が数学でもって語ると、非常に良い比喩になるのではないかと思うんですね。

 皆さんの中にもこれに賛成なさる人が多くなると期待するものの一つに、負の数の概念というのがあると思います。正負の数と、符号の違う数というに過ぎないわけですけれども、その符号の違いを表現する正と負という言葉。これが日常用語の中には日本語にはなくて、英語にはポジティブ・ネガティブってとしてあるのですが、日本語には対応するものがない。日本語であえて言うとすれば、英語のポジティブ・ネガティブを翻訳した肯定的、否定的ということになりますが、そういう肯定的・否定的というような難しい言葉を使うことなく、中学校一年生で学んだ数学の知識だけを用いて、日常用語の中で、「そのような政策は負の効果を持つ可能性がありますね」とか、「そのようなやり方は負の結果しかもたらさないでしょう」というような表現は、実にしっくりしているのではないでしょうか?

 数学の言葉を使うことによって、非常に的確に語ることができるということです。原点も同様ですね。原点というのは、数学的には数直線上のある決まった定点を表しているに過ぎないわけで、どの点を原点にとっても良いというのはとても大切な点ですが、多くの人が数直線の中に原点という点が決まっていて、原点に戻るっていう言い方をします。そのときには原点という言葉を、ほとんど出発点というのと同じ意味で考えているわけですね。そのように原点を誤解して使うときも、実は数直線において特定の点を原点と考えるという立場を踏まえるならば、その特定の一点、最初に決めた一点として、原点という言葉を出発点のような意味で使うということにも、やはり意味があると言わなければいけないと思うんです。その他に、等式、英語ではequality、イコールである、等しいということを表す式、それを相当性とか同一性というような哲学的な言葉を使うことなく、方程式あるいは等式というふうに呼ぶことによって、わかった気分がより増加するという効果もあるかと思います。

 昨日のお話は、専門用語を人に自分の真意を理解させるために使うのではなく、自分の真意を自分でも理解しないまま、言葉だけで使うことの危険をお話したんですが、今日は実は、専門用語をちょっと使うことによって、自分の表したい意味をより鮮明に表現することができるという場面もあるということですね。これは勉強とか学問とか大げさに言えばそういうことの大きな一つのメリット、特典だと思います。勉強したことのない人には、その言葉の意味が全く通じないということですね。しかし、意味の通じない相手に対して専門用語でもって、偉そうに語ることは恥ずかしいことですから、数学者も数学的な言葉を使うときには、数学外の人に対して使うときには、概して一般に慎重なものです。そういう数学者のいわゆる謙虚な態度が、数学外の方にとって何かコミュニケーションの手段を持っていない、というふうに誤解されてしまう傾向があること。これを私は時々感じて残念に思います。

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