長岡亮介のよもやま話37「異次元の少子化対策」

 科学の言葉、中でも数学の言葉は、それを比喩として使うときにとてもお使いやすいものであるということを、私はしばしば経験し、そのことの重要性を皆さんと一緒に考えていきたいと表明もしているのですが、困ったことに世の中には、数学の言葉、あるいは科学の言葉を勝手に、自分勝手にと言った方がいいかもしれませんが、自分の発言の意味をわざと曖昧にするために、あるいは相手に誤解させるためにという悪意を持ってとしか考えられないような使い方をする、特に影響力の強い政治家の中にそういう人が存在するということを知って私は大変驚き、そのことに警鐘を鳴らしたいと思って、このメッセージをしたためています。それは「異次元の少子化対策」というものです。

 そもそも異次元とはどういう意味でしょう。「次元を異なる」ということは、政策として何を意味してるんでしょう。今までの政策はどういう次元の政策だったんでしょう。そして、それと異なる次元の対策というのは、それより高次の対策なのか、それより低次の対策なのか、そのこともはっきりしません。「異なる次元の」ということは、「全く別の」ということでありますから、「今までやってきたことが全部間違っている。それを全否定して完全に新しい対策をする」というんだったら、もっと的確な言い方があると思いますね。それは「今までの政策は間違っておりました。したがってこれからはこういう対策を打ち出します。」こういうならわかりやすい。

 「異次元の」という言葉によって、今までの対策を否定しているわけでもない。そしてこれからの対策の新しさがどこにあるか、それを明確に打ち出すこともない。ただ人々を「難しい言葉」を使って混乱させているだけですね。最も「難しい言葉」というふうに考えるのは私達数学者くらいで、一般の人は「次元」というものをものすごく簡単なものと理解しているのかもしれません。おそらくこの発言をしている政治家も、小学校の低学年の子供が使うように、直線は1次元、平面は2次元、空間は3次元、という程度の次元の理解しかないのかもしれません。一般の人々の次元についての理解というものも、基本的には小学校のときのそれとあまり変わらないでしょう。

 相対性理論などを知ってる人は、時空4次元という世界がアインシュタイン以前に数学的に準備されていたということもご存知だと思いますけれども、実は数学的には単に4次元というのではなく、むしろ大学の初年級の学生ですら勉強する線形代数という教科においては、理系の学生であるならば少なくとも理学系工学系の学生であるならば、ほとんど必修であろうというふうに思われる線形代数という科目の中で、一般の線形空間というのを勉強し、その一般の線形空間の最も単純な場合としてn次元数ベクトル空間というのを勉強するはずです。n次元というときのnは普通は1,2,3,4,5,6…というような、いわゆる自然数でありますけれども、実は数学的には少し勉強をした人ならば、それを知ることになる。無限次元の線形空間、その無限次元というのも1,2,3,4…n,……無限大、という最も低次元の無限次元ではなく、もっと高次元の無限次元というのもあるということを数学科に進んだ人ならば、あるいは物理学で素粒子論などを勉強する人であるならば当然知っているはずであります。そういう次元の空間について勉強することは、それより低次元の世界を見る見方が変わってくるわけですから、それ自身は素晴らしいことでありますね。

 私達は一般に高次元の空間、数学で大学初年級で一般知識ということに合わせるならば、n次元空間というのを考えることによって、小学生の頃1次元、2次元、3次元と言ってきた初々しい時代を懐かしく思うことができる。つまり、高い立場から初等的な立場を、見つめ直すことができる。そういう意味で高次元空間を勉強することの意味というのは大変大きいわけですが、他方で、実は高次元空間になると話が簡単になる。実は「3次元空間くらいの低次元の空間が実は大変に数学的に難しい」ということも、大学で数学をちょっとかじるとわかってくるわけでありまして、次元の問題というのはちょっと複雑なんですね。

 しかもちょっと変わった数学の世界に入ると、フラクタルっていうものがあって、フラクタルってのは破片というものですが、破片が無限に集まっている。そして有限の世界に無限に小さな秩序が詰まっている、そういう世界を私達はフラクタルっていうふうに数学では呼んでるんですけれども。そのフラクタルの世界において、次元を語るときにはハウスドルフ次元というのがありまして、そういうハウスドルフ次元だと自然数次元とは限らない。あるいは、整数次元とは限らない。例えばルート2次元とかログ2次元とかいうのがやすやすと出てくるわけですね。そういうときに一体小学生であるならば、そういうものじゃなくても例えば1.5次元とかっていうだけでも、小学生はきっとわからないと思います。3分の7次元というだけでもわからないでしょう。しかし、フラクタルを勉強すれば、簡単な話に過ぎないということがわかります。

 次元概念一つ取ってみても、実はなかなか奥深い世界でありまして、次元を高くして物事を見るとか、低次元の世界で物事を見つめ直してみるというような比喩的な言葉が、その比喩なしではなかなか伝えられない内容を担う、ということがありうるわけですね。そういう意味で、「数学の用語を、数学を知らん奴が使うな」というような、狭い了見で私は言ってるんでは全くありません。数学の言葉を使うならば、その言葉を使うだけの説得力を持って使ってほしい。まるでテレビのコマーシャルで、一般のあまり科学に十分な知識を持ってない消費者を騙すようにして情報を垂れ流す、そういう広告宣伝の世界がありますが、まるでそういう広報活動を行うかのように、数学の用語を、多くの人が理解できないであろうように使うということに対して、私はその不誠実さ、まるで広告代理店並みの感覚であるというふうに、広告代理店の方には失礼ですが、本当の広告というのはそういうものでないということを私は百も承知で言ってるわけですが、そういうときの広告っていうのはコマーシャルではなくて、パブリックリレーションなんですね。パブリックリレーションの重要さということを、私は十分に理解しているつもりでありますけれども、日本の政治の世界にまで食い込んでいる広告宣伝会社の今の状況を考えると、政治家の発言の背景にそのような人々の活動を見るような思いがして、あえてこのような注意をしなければと思った次第です。

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