長岡亮介のよもやま話35「科学と技術の違い」

 日頃のジャーナリズムに振り回されるのも考えものだと思いながら、しかし日々ジャーナリズムにさらされている皆さんに、少し根本的な問題を考えるのに良いチャンスかなと考え、このメッセージを送ります。まず、国産の大型人工衛星H2Aっていうのは大変素晴らしい技術でありまして、それはスペースシャトルという国際宇宙ステーションというものに、人や物資を届けるバスみたいな役割を、アメリカのスペースシャトル計画が完全にアメリカの科学アカデミーによって中止を勧告され、アメリカ政府からもその大型予算に見合うもう利益が科学的にもあり得ないという烙印を押されて、それが終了した後、国際宇宙ステーションを維持してきたのは、日本のH2Aのロケットとソ連のロケットといっていいでしょう。中国がまた独立に宇宙ステーションというものを作り上げておりますが、いずれにしても莫大な開発費と莫大な開発労力、そして打ち上げのために莫大な経費を食うわけです。

 それが科学の前進のために役に立つが、それは狭い意味での科学だけではなく、当然のことながら、軍事産業、アメリカの場合はスペースシャトルとかアポロ計画とか、そういう人類の夢を乗せた計画ということを、政治的には苦心してましたけれども、それだけの衛星技術を持つということは、軍事偵察衛星としても、あるいは大陸間弾道弾の誘導装置としても、あるいは国際間の情報通信、その傍受のための道具としても、あるいは直接上空から相手国の表面の様子を観察し、そこに基地がどのように作られつつあるかということを見るという、軍事的な目的のためにも非常に重要であったからこそ、アメリカもこの計画を推進してきたわけでありますね。

 日本はというと、「日本は、宇宙というのは平和目的なんだ」と、無条件にそういうふうに信じている人が少なくありません。そもそも、国際宇宙ステーション、宇宙って言ってますけど、実は宇宙じゃないんですね。あれは地表すれすれでありまして、地表すれすれで、これ以上のすれすれになるためには大気圏に突入して、高度が維持できなくなる。だからある程度早くなきゃいけない。ある程度早くなきゃいけないんだけど、これ以上スピードを速くすると、地球から遠のいてしまう。スピードを速めるとロケットは地球から遠のく。地球から遠のくということは、それだけ地球を観察する精度が落ちるっていうことなんです。

 スペースシャトルというのは、安定軌道でいながらしかも地球をじっくりと観察することができる最も近い軌道にいるわけですね。言ってみれば、人工衛星というのは地球偵察衛星と言ってもいいくらいなわけです。だからこそ、非常にいろんな使い道があると期待されていたわけですが、実は様々な技術の発達によって、もうアメリカ合衆国としてはスペースシャトルを継続して国際宇宙ステーションISS、それを維持する価値がない、そういうふうに見限ってしまったわけです。

 その後を受けて、日本はそれを支えてきたわけでありますから、日本としてはある意味誇らしいところもあるかもしれませんが、言ってみれば宇宙を開拓するパイオニアとしての仕事から、言ってみればバスの運転みたいな、そういう世界になってしまったわけですね。科学的にはその最先端のことをしてるっていうんではなくて、日常的な行為の延長に過ぎないということです。日常的な行為も様々な技術が必要でありまして、バスなんかも正しく運行されるためには、ダイヤの管理からバス機材の整備、そういうのも当然必要になります。そういう機材の種類が増えてくれば、人工衛星もそれに伴って複雑になるわけでありまして、H2Aといっても決して単純なものではない。

 しかし、国際的な価格から比べると、日本の人工衛星はいくら何でも高すぎる。これだったならば、「外国に人工衛星の打ち上げを、下請けに出す方がよほど安いではないか」という議論が当然起こってくるわけでありますね。アメリカでも実際そうであったわけで、アメリカではパイオニアの部分は国家の指導でやるけども、パイオニアの仕事が終わったらあとは民間に任せる。そして、その民間が民間の発想でどんどん安い衛星でビジネスに参入していく。これが健全だっていうふうに考えられ、アメリカではSpaceXをはじめとしてテスターなども一枚かんで、そういう宇宙ビジネスが盛んであります。

 私は宇宙って言ったときに、ISS国際宇宙ステーション、あんなものは宇宙というのはおかしい。というのは、地球周回軌道、地球ギリギリのところなんですね。本当に大気圏をちょっと出たばっかりですから、スペースシャトルから地球を見ると、本当に地球がまだ丸く見えない、地平線がほとんどまっすぐ見える程度にしか遠のいてないんですね。地球から最も離れた人工衛星の代表的なものは、いわゆる天気予報で使われているお天気衛星でありまして、それは地球の自転周期と同じくらいの公転周期、地球の周りを地球が自分自身の周りを一回転する24時間に、ちょうどその周期に合わせて地球の周りを一回転する。そういう衛星が天気予報の衛星です。

 それは当然、軌道はスペースシャトルより遥かに高軌道なわけです。高軌道だということはものすごく早いってことですね。ものすごい高速で打ち上げるからこそそこの軌道にまで達するわけですが、その静止軌道は非常に重要な軌道でありまして、24時間で地球を一周する軌道って、もう高さが決まってます。その決まってる高さに打ち上げるスピードも決まってるわけです。これは科学的に簡単に計算することのできるものでありまして、それよりも速度が速いと地球の重力圏を脱出して、地球を離れていくわけです。私も言葉はちょっと忘れちゃいましたけど、最初に地球に落ちないための最低速度って、これが確か第1宇宙速度、ISSのスピードですね。それに対して、気象衛星の速さ、それが第2宇宙速度、地球の重力圏を脱出する速度で、地球の圏外に脱出すると、もはや地球のコントロール下にはなくなるわけで、でも例えば月に向かったときには、月の重力圏をうまく利用して地球に戻ってくると、そういう感動的なアポロ13の話もありました。

 しかしながら、ボイジャーなんとかっていうように地球の重力圏を脱すると、やがて太陽系の外にまでもロケットは飛んでいく。そのくらいの高速でもって、スピードを持って宇宙に向かっていくわけですね。そうなったら本当に宇宙なんですけど。少なくとも、国際宇宙ステーションの宇宙ってのは、無重力だから皆さん宇宙だと思うんですが、あれは落下速度が、ちょうど地球に落下してる速度と宇宙船が地球に落下速度が一致してるので、中では相対的に全く無重力であるかのように見えるというだけなんですね。言ってみれば、エレベーターの中でちょっと体がフワッと浮くような感じ、それと本質的に同じものであります。そういうH2Aというロケットが背負ってきた使命というか宿命というか、そういうものが国際的に見て商用衛星としては全く話にならないということから、予算を半額にしてH3っていう新しいタイプの大型衛星を開発するということにしたそうですね。その段階になっても、日本がなかなか民間と官の関係が、アメリカのようにすっきりと分けられないというのは、いかにも日本的な戦後の世界を代表してるというふうに思います。

 皆さんの中には、H3の度重なるlaunchの延期、発射の延期で、その計画が失敗してるんではないかというふうに勘ぐる人がいるかもしれません。しかしながら、実は人工衛星というのは、科学としては、「ロケットはどのようにして噴射し、どのようにして点火し、どのようにして分離するか。どのようにすればそれが各段階がスムーズにいくか」っていうことは、言ってみれば、科学的にはもうとっくの昔に明らかになっていることであるわけです。とっくの昔にってのはどのくらいとっくの昔かっていうと、第二次世界大戦の頃ということですね。第二次世界大戦で開発されたドイツの兵器の技術で、それをより確実でより確かなものにしようとするその努力が、戦後のアメリカの軍事産業を率いてきた。そして、アメリカの軍事産業を真似て、あるいは一部分ドイツからの情報を直接入手して、ソ連がいち早く宇宙開発に名乗りを挙げたということの背景には、第二次世界大戦におけるドイツの軍事技術開発が挙げられるわけです。科学的にはその段階でほとんどもう終わってるものであって、あとは巨大化するとか精密化するとか精度を高めるとか、そういう技術的な改良がもう本当に無限って言っていいくらいたくさんの技術が使われてきてるんだと思います。

 科学と技術の一番違うところは、科学は原理が少なければ少ないほど良いんですが、技術に関しては、原理の数を減らすことよりは確率を増すことの方がずっと大事なんですね。確率を増すためであれば、多少表現技術は複雑になっても、煩雑になっても、あるいは統一性を失って美しくなくなっても、技術として成功すればそれでいいんです。技術というのはそういうものなんですね。役に立つことが大切ですから、「理論としてエレガントであるということよりは、結果として成功する確率が高い」ということが大切なわけです。それは科学と最も異なる点なんですね。科学的には、理論的にわかってしまえばあとは何もやることがない。でも、理論的にわかっていても技術的に実現できるわけじゃないでしょ、とエンジニアの人は言います。実にその通りです。科学的にわかっていることが技術的に全部可能であったら、こんなに話は簡単なことはない。

 しかし、人間が科学をするとき、私達は自然や宇宙を、本当に人間に理解することができる、本当に単純な理想的なものとして描き、その理想的な世界で議論できる科学という理屈を作るわけです。それは美しい世界です。しかし、現実の宇宙というのはそんなに美しいものではない。ですからいろいろなことがありうるわけです。皆さんがよくご存知のことで言えば、スペースデブリの問題なんていうのは、まさに私たちの技術がもたらした最も非理論的な現実ではないでしょうか? 私達がロケットを打ち上げれば打ち上げるほど、宇宙がゴミでいっぱいになってくる。そんな逆説、考えたこともなかったですよね。そういうのは理論の世界にはないんです。しかし、技術の世界では避けて通ることはできない。そのスペースデブリをいかに減らすか。いかにスペースデブリをくぐり抜けてロケットをうまく安全に打ち上げるか。このための方法は、エレガントな科学的な方法があるわけではないけど、このときはこういうふうにするといいっていう様々なアドホックな技術があるわけです。アドホックなものであっても技術は構わない。そのことを皆さんに理解してもらいたい。

 技術は、所詮と言っては技術の人に失礼ですが、やはり人間のために役立つ、わかりやすく言えば儲かってナンボっていう世界なんですね。ですから、科学的に見てエレガントであるということよりは、やっぱり人に役に立ってナンボということですから、科学だけでは論じることができない。私はある時に、今ではJAXAっていう世界に統一されましたが東大の宇宙科学研究所っていうところで、電波天文台で遠くの衛星を制御しているというところに行きまして、そこのコントロールセンターに神棚があったのを見て、私は笑ってしまいましたが、結局最後のところはやっぱり神頼みなんですねって、そういうふうにそんな面白おかしく言いましたけれど。やはりどんなところにでも、最後の最後は神頼みっていうのが技術の世界にはあるんだなっていうことを思い知らされましたけれど、私はそのことを今日皆さんにわかりやすい形で、科学と技術の違いということで、より鮮明に理解していただこうと思いました。

 というのは、日本では科学・技術、科学と技術が一緒になっちゃって、科学の・もなく、科学技術ってことは新聞なんかにもおおっぴらに出てますね。文部省の中にも、文部省じゃない文部科学省、こういうふうな省庁があるのは多分日本しかないと思いますけどね。日本人の科学と技術に対する理解の不鮮明なところの象徴であると思います。我々は、技術に対してはその技術者の、人々の利便を考えて少しでも精密なものとするという日々の努力、それに感謝すると同時に、科学的に解明されてない世界に挑む技術者のつらさというのも、理解しなければいけないなと思います。

 と同時に、科学の世界においては、「科学の世界は、所詮科学的に解明できる非常に理想的な理念的な世界」、それについて私達は語ってるんだと。それは私が数学について語るとき、数学的な世界はこの世の中にないかもしれない。でも、数学が通じるような理想的な世界があってほしい、その理想的な世界に現実の世界が近づくようになってほしい。そういう願いを込めて数学をやっているという感じですね。

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