長岡亮介のよもやま話34「国際標準の流れ」

 今日は昨日目にした報道に関連して、ちょっと考えたことをお話したいと思います。それは、今まで「新型コロナウイルス」という言い方をしてきたが、これからは「コロナウイルス2019年型」と言い換えるというニュースです。「コロナの症状、あるいは蔓延状況がインフルエンザ並みに落ち着いてきた」ということが、その背景にあるというしたり顔の解説が一般的なのですが、私から見ると極めておかしいことで、このような大本営発表のような、日本だけでしか通用しない理屈が、世界で正しい唯一の理屈だと誤解してしまうと、日本人が全体として誤った方向に行くきっかけにもなりかねないと思い、あえてこの問題を取り上げてみたいと思いました。

 国際的には「COVID-19」という言い方、C,O,V,I,D,19という言い方がずっとなされてきました。コロナウイルス、infection diseaseなのかinfective diseaseなのかわかりませんが、要するにコロナウイルス2019年型ということですね。医学的にはそのコロナウイルスと言われているものが、SARSという非常に恐れられたウイルスと同じ型をしているということで、SARSの発展系って言ってSARS-CoV-2、コロナウイルス2型ってそういうような言い方が一般的でした。SARSっていうのは日本語で聞くと何も感じないかもしれませんが、非常に厳しい病名で、severeのS 、acuteのA、espiratoryのR、で最後のSはsyndromeいうことですね。要するに大変重篤で深刻で、しかも突然やってくる。医学的にはacuteの翻訳が定着しておりますが、普通の意味で皆さんにはお話しましょう。espiratoryは呼吸器に関係するっていうことですね。最後のシンドロームというのが、これが曲者でありまして、結局、日本では症候群というふうに訳されることが多いのですけれども。

 結局のところ病気っていうのは、伝統的には例えばその結核であるとか、あるいはぺストであるとか、そういう細菌によって起こされるということが特定できると、病気についてその細菌が原因である、とそういうふうにはっきりと言えるわけですね。それに対してウイルスに関しても、完全に科学的に解明できたわけではないんだけれども、しかし、大体似たような症状が起こる。そのような症状を総称して、シンドロームというふうに呼ぶわけですが、結局シンドロームというのは、解明できたというのとはちょっと違う。まだ未解明で、もっともっと深く分割しなければいけないかもしれないけれど、とりあえず一つのまとまりとして考えておこうという、科学ではよくある暫定的な現時点での達成地点、現時点で達成できた知見、という限界を持っている言葉なのです。

 医学のような本当に難しい科学においては、私達は物理学のように、完全に数学的に解明するということができているわけではありませんから、シンドローム、症候群というような言い方で、満足せざるを得ないというところがあります。

 皆さんに私の子供の頃の話をすれば、本当にびっくりされると思いますが、私が子供の頃はビタミンの大切さというのがわかってきて、昔はそのビタミンっていうのはわかんなかったわけですね。「栄養というのはタンパク質・でんぷん・脂肪の3大栄養素から成る」こういう言い方が一般的だった。それに対して、そういういわゆる栄養とは違う生活あるいは人命それを維持する上で、ビタミンという微小な栄養素と言っていいんでしょうか、それが大切であると。ということが注目された。それはビタミン、その頃はまだ、A、B、C 、Dというような大分類しかありませんでした。ビタミンCはお肌に良いとか、ビタミンDは日に当たっていれば自然に人間の体の中で合成されるとか。それに対してビタミンBが不足すると、脚気という非常にいい困難な病気になる。ビタミンAは目に良いとそのような大雑把な言い方でありましたけども、ビタミンA B C Dって、そういうような分類がありました。

 しかし、今やビタミンBのタイプだけでも、それこそB1,B2,B3,B4,B5,B6…という形でものすごく詳細に分類されていますね。同じように他のビタミンについてもC以降にもEとかFとかKとかいろいろあるんだと思います。ビタミンのような研究が早く始まった分野でさえ、実はいまだに進行中だと思うんですね。ビタミンの持つ難しさというのは、本当にごく最近になってからわかったというものもあるわけで、「ある種の病気に対しては、このビタミンを大量に摂取するということが有効である」ということがエビデンスに基づいて証明されたりもしています。エビデンスを言っても、当面の段階で実施できる治験では、そういう結果が出たというに過ぎないという限界はあるものの、科学的な認識に向かって一歩一歩近づいているわけです。

 SARSという恐ろしい病気の話になりますけれども、これは幸いなことにあまり日本には影響がなく、日本人にもあまり知られずに過ぎ去りました。それに代わって新しいその亜種であるコロナウイルス2型というのが猛威を振るってきた3年間であったわけです。これが2019年から2023年の初頭にかけてまでだけでも、ものすごい変異を繰り返していて、最初のうちこそ α,β,γ,δ などというふうにギリシャ文字を当てましたけれども、オミクロンまで来たときに、オミクロンというのはラテンアルファベットのOに相当するものですが、もうそこからは大きな変化に対してギリシャ語のアルファベットを当てはめてもすぐΩまで行ってしまいますから、オメガってのはギリシャ語の最後の文字ですね、オーメガよ発音するのが正しいんですが、そういうわけで、もうその種の方法が破綻するくらいこのウイルスも様々な変異を追う繰り返し、そしてその感染症の立ち現れ、症候群というふうに呼ばれるもの、それに関する出方に関しても従来の想像を超えるような多様性を示しているわけです。

 そして、残念なことにそれに対抗すべく、急遽開発されたワクチンに関しても、人によってはそれが想像もできなかったような広い副作用、最近は副反応というふうに弱い言葉で訳されることも多いですが、それをもたらして、場合によっては致命的な症状になるっていう方も存在している。とにかく訳のわからないくらい難しいわけです。訳のわからないくらい難しいということが、しかし専門家の口から言えるようになったくらい、私はその分野の基礎科学が進歩してきた、大変力強いメッセージだというふうに、私自身は思っています。

 そのような国際的な潮流「COVID-19」を含む国際的な潮流を、ずっと無視して我が国では「新型コロナウイルス」そういう言い方に執着してきました。どうしてわが国は、世界の潮流とあえて異なることを、行政が大本営発表として、統一的に使うというふうにするのでしょうね。そして今や2類だか5類だかよくわかりませんが、その分類を変えたということによって、「新型コロナウイルス」という言い方を変えるということを行政が決めました。それに倣ってジャーナリズムは一斉に変えているようです。しかし、ジャーナリストの方は、ぜひ国際ニュースをちゃんと読んでほしいですね。アメリカの新聞くらいは、ジャーナリストの人たちはやはり毎日目を通すべきだと思います。

 日本の若い人たちも、皆さんは英語たくさんの時間を使って勉強してるんですから、国際ニュースを読むということを、自分のdutyとして課すようにした方がいいと思う。これは、私は心よりそう思います。そして、国際的な基準でそれを踏まえた上で、私達独自の日本人はどう考えるかというのはあっていいと思います。しかし、国際標準の流れをあえて無視するということに、どれほど大きな意味があるのかということを、やはり考えてほしいと思うんですね。特に我が国は、今の国際的な危機の中で、物価高が騒がれ、賃金値上げとかという非常に楽観的な見通し、労使の話し合いということであれば、それは闘いっていうふうに言ってもいいのかもしれませんけれども。そんなことがニュースの取材になっている。

 しかしながら、実は世界では、賃金の値上げなどでは全くカバーできない、そういう難しい問題がたくさん生じているわけです。特に深刻なのは食糧問題であります。日本ではどういうわけか、この食料問題に関して「輸入する食料の値段が国際紛争のせいで値上がりした」という程度の情報しか、語られていないように思います。しかし、食糧問題の本質は、たまたま食料の流通や備蓄に変化があった。そしてそれを利用して買い占めたりする人たちがいる結果、価格が暴騰しているというような問題もあるということはわかっているつもりですが、より深刻な問題として、70億人を超え、80億人に達しようとしている地球全体の人口、その人たちが十分に栄養をとる。ための食料が確保をすることが困難になっているという、数学的に考えると、ごく当たり前の状況が目の前に迫ってきている。

 そして、貧しい国そして弱い人々にこの問題が集中的に表れている。いわゆる日本のような先進国における食糧費というのは、今のところ表面的には価格の高騰でしかないわけです。価格の高騰はもちろん深刻な問題ではありますけれども、お金を出せば買えるうちはまだいいんですね。今、我が国では戦略的な構想あるいは防衛構想という勇ましい意見が、いっぱい提出されていますけれど、食べ物はなくなったときに、それをお金を出しても買えなくなったときに、どうしたらいいのか。

 人類は今まで何回も食料危機に出会ってきました。昔は朝から晩まで食べ物を作るためにあるいは探すために準備は時間を過ごしてきたわけですね。今でも動物たちはそうだと思います。飢えとの戦いっていうのが長い目で見れば、長い長い人類史の中で大半の部分はそれであったと思います。しかし、農業という手段を手に入れてから、そして最近では人工的な肥料の開発、これによって動物の餌、家畜の餌、それを大量に生産することができるようになったということから、私達はある意味で人類的な難問であった食料調達の問題から、完全に解放されたかのように思っています。

 しかしながら、自分の足元を見れば、日本の国内における食料自給率、これをちょっとした統計サイトに行けばそれがいかに悲惨なものであるか。私達は私達の国民を食べさせていく、それだけの食料を確保することができない国に生きている、ということです。この大問題を先送りして、全くその大問題の拠って来る所以を、国際紛争のような自分と関係のない遠い世界の事柄のせいにして、問題がやがて解決されるであろうというような楽観を振り撒いている人、あるいはその楽観に振り回されている人が、多いのではないでしょうか?

 世界の中で様々な紛争とか自然災害で食料に困っている、飢えている子供たちのこと。それは明日の私達の姿でもあるということを、決して忘れずに毎日を過ごすことが大切ではないかと思います。私が国際的な視野を持って日々を過ごしてほしいというふうに思うのは、私達の置かれている状況に対して、私達はあまりにも世界の流れから断絶しすぎているのではないかと心配するからです。私の心配が、全く老人性の心配性に過ぎない、ということであれば結構なのですが、私としては、人々が自分たちの置かれてる状況に対して鈍感でなくなるそういう時代に、日本がどのような方向に行ったのかという、ごく最近と言ってもいい、100年もたっていないその昔のことを思うと、あまり心穏やかではいられなくなるというのが正直なところです。皆さんにちょっと考えていただきたいなと思っています。

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